「अ」は運ぶ|はじめに言葉ありき。
和歌山は高野山へ、先週、旅をした。
何となく、ずっと行ってみたかったのが、時が熟したようでご縁がつながり、行けることになった。台風も全てが色を添える、とても濃い4泊5日。なかなか言葉にできずに1週間も経ってしまったが、その中でもひときわ私の中で精彩を放った体験を書き留めてみたい。
4泊5日のうち、2泊分は高野山でのリトリートというものへ参加した。観光地を巡るのではなく、然るべきところをお参りして、瞑想をする、どちらかというと外向きというよりも、内向きの時間を過ごした。
その中で、阿字観という瞑想の機会をいただいた。
西禅院の本堂、瞑想の前に、お坊さんがやり方と所以をお話ししてくれる。関西弁なので、とても軽快だ。
「お経は、サンスクリット文字(梵字)で書かれていて、一字一字が諸仏諸尊を表しとられますー。それで、皆さんに今からお祈りしてもらうのは、大日如来さんなんですが、大日如来さんの文字はこちら!」
と、見せて下さった文字―――
【 अ 】
―――これを、私は読めてしまったのです。
10年前からインド映画にハマり、6年前からその興味がヒンディー語に敷衍し、今年に入ってからは、文字に頓に興味を持つようになっていた。いわば、私の現在一番のホットトピックであり最推しが、ヒンディー語の書き言葉に用いられるデーヴァナガリー文字だったのです。
デーヴァナガリー文字は、サンスクリット文字に由来します。だから、ヒンディー語の書き言葉のまだぜんぜん入口だけれど、私は「अ」を、知っていた。
その「अ」が、何を求めてやってきたのか分からなかった高野山のお寺の薄暗く厳かな本堂で、目の前に提示されたのです。
お坊さんは続けます。
「阿字観で皆さんがつながっていただくのは、大日如来さんですー。大日如来さんは、この宇宙を創った力であり、存在する全てのものですー。だから、あなたも大日如来さん、わたしも大日如来さん、この掛け軸も――?そう、大日如来さん。阿字観では、空気の大日如来さんを吸い込んで――」
そして、また、つながってしまった。
あ、アッラーの神さまだ。
私はアラビア語圏、イスラム教徒の夫と結婚して17年になり、その中で一通りの礼拝の方法とお祈りの文句を教わってきました。ぜんぜん、敬虔とは言えないものの、不真面目なりにも祈りの文句や音について、思い致す機会に恵まれてきました。
いろいろな戒律にはだいぶチャランポランなのですが、
「創造主であり、万物を創る意図であり、その物体そのもの」
である存在、を信じていれば、それはイスラム教徒として十分なのではないか、と思っています。
ボーンジャパニーズでアニミズムが基本でミヤザキの映画のそういうところに心惹かれずにはおれないけれど、でも、そういう意味では自分はちゃんとムスリマなんじゃないかなぁ、とも思っている。
*
平穏とは程遠かった結婚生活。けれども、この「अ」が読めてしまった瞬間、私の中で
自分の突き詰めてきた興味、
自分の歩んで来た道、
自分のルーツ
のパズルがピタッと嵌ったような感覚があり、心が歓喜してやみませんでした。
インドとサウジ(イスラム)が、高野山でつながる不思議と喜び…!
高野山を降りて、がぜんサンスクリットに興味が沸き、勉強する術を探しているとことです。
*
2月の入院中になぜか無性に気になって、毎日何十回も聴いて号泣していたインド映画の曲も、「はじめに言葉ありき」というような、コーランの一節を冠したスーフィズムの曲でした。
アラビア語のコーランの文句とヒンディー語が入り混じるこの曲には、当時から個人的にいろいろと感じるものがあったのですが、伏線というか、ここでつながってくるとは!……何とも不思議な感じ。
入院中にやろうと決めていたのですが、この曲の歌詞をデーヴァナガリー文字とアラビア語で書き出して訳する、を少しずつはじめました。
この世界への興味は、尽きることがありません。
拝
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