佐渡は宝の島すぎる
新潟港→両津港 船の旅

新潟市「新潟港」から佐渡島「両津港」までカーフェリーで約2時間30分、ジェットフォイルで約67分かかります。カーフェリーは1日5往復・ジェットフォイルは夏季7往復運行しています。今回はカーフェリーに乗船し出港です。
2等席に乗ったので片道2960円。靴を脱いで大部屋に座るタイプの席です。天気が良ければ甲板で潮風に吹かれてもいいかもしれません。(潮で髪や服がペタペタしますけどね)
観光シーズン前の平日のため、2等席は乗り慣れた方たちばかり。皆さん広間についたとたんゴロンと寝転びます。理由は楽だから!というのもあると思いますが、海が荒れた日は寝たほうが船酔いしにくいそうで、凪いだ日も時化の日も同じ乗船スタイルのようです。

牛尾神社 〜天王祭〜
6月12日、この日は牛尾神社宵宮。薪能が奉納されます。お祭りといっても、子どもがはしゃぐような声もせず、大人たちが静かに参道を登り、すでに神聖な雰囲気です。




<牛尾神社>
新潟県佐渡市新穂潟上
<牛尾神社 御祭神>
須佐之男命(スサノオノミコト)
大国主命(オオクニヌシノミコト)
少彦名命(スクナヒコノミコト)
※須世理比咩命・櫛名田比賣命・足名椎命・手名椎命を配祀と記している方もおられますが、ネットや図書館にも記載がないためメモといたします。
須佐之男命が牛頭天王と呼ばれているのに対し、神社の名前が“牛尾”というのが面白いですね。
<境内社>
天満宮 御祭神 菅原道真公(スガワラノミチザネ)(太子堂・薬師堂合祀)
神明宮 御祭神 大日孁貴(オオヒルメノムチ)
※こちらの御祭神も現地でまた確認したいと思います。

<御神木>
夫婦杉・安産杉



延暦11年(792年)「出雲大社」より大国主命などを勧請して建立。明治に大火事により焼失し、明治34年(1901年)から6年かけて再建される。
当時の棟梁や名工たちの手による、鯉の泳ぐ姿や順徳上皇の物語絵など精緻な彫刻群が施されている。


|薪能《たきぎのう》

午後七時、火入れ神事が始まります。能楽の薪は舞台を照らす照明という意味もありますが、薪の種火は神官が人力で火をおこすもので、それ自体が神事なのだそう。静かに厳かに薪が灯され、パチパチと鳴り時折上がる火の粉が幻想的でした。
午後七時二十分、木々に囲まれ薪の音だけが聞こえるなか演目が始まります。鼓や笛の音が流れ、静かにゆったりとした人物の歩みにより場が清められていくようでした。

この世とあの世を繋ぐ能舞台
この日の演目は「田村」。
花守りの少年(坂上田村麿の化身)が語る京都清水寺の縁起と、清水寺を建立した坂上田村麿の鬼退治の奮戦。武士をシテ(主役)とする修羅物と呼ばれる世阿弥作の曲だそうです。
能の演目には幽霊や鬼や天狗などが多く登場します。霊的存在が登場し過去を回想する形で物語が展開する曲は「夢幻能」と呼ばれる形式です。この夢幻能を確立させたのが世阿弥です。
能舞台向かって左側には、本舞台と幕を繋ぐ「橋掛り」と呼ばれる廊下があります。幕の向こう側が“あの世”で、本舞台が“この世”、2つの世界を繋ぐのが「橋掛り」です。※次の図を参照
能舞台と北斗七星
能舞台裏の林に月が隠れた頃、ふと夜空を見上げると真上に北斗七星が輝いていたのが印象的でした。その数日後、能舞台には北斗七星が描かれていると知ることになります。

一、二、三ノ松で北斗七星を表す
牛尾神社の前に訪れた「蓮華峰寺」の灯篭にも北斗七星が現されていました。佐渡と能・佐渡と北斗七星には何か関係があるのでしょうか?
現代の生活様式に合わせ、土日に例祭日を変更する神社さんもあるなか、牛尾神社さんはずっと六月十三日という日を守ってきたそうです。北斗七星が真上にくるこの日に、天王祭が設定された!? なんだかワクワクしますね。北斗七星については陰陽道が関わっていると思われますが、「蓮華峰寺」紹介の際にお話ししたいと思います。
この日の様子がテレビ放映されました
牛尾神社の薪能の様子と能の担い手をつとめる女性、鬼太鼓と佐渡に移住された方を追ったテレビ番組が放送されました。興味がある方はご覧ください。わたしも微かに映ってる〜〜(汗)
【佐渡牛尾神社天王祭】闇夜に浮かぶ能舞台「潟上の天王さん」で織りなす幽玄の世界 Ethereal Island to Protect Sado Ushio Shrine Tenno Festival
世阿弥と佐渡
歴史の教科書にも出てくる「世阿弥」は、永享6年(1434年)将軍足利義教によって佐渡に流罪になりました。理由は不明とされていますが、足利義教の寵愛を受けていた甥の音阿弥に秘伝書を渡すことを拒んだからという説があるようです。70歳を越えての流刑は大変だったでしょうね。
(資料:「能」と佐渡・越後 荻 美津夫 著より)
しかし、このときの世阿弥が佐渡に能が広めたわけではないようです。広めたのは江戸時代初期、1603年に徳川家康により佐渡代官(のちの奉行)に任命された大久保長安です。大久保長安については「佐渡金山」紹介のときに少し掘り下げたいと思います。
牛尾神社に残る、雨乞いの面伝説
牛尾神社には白色尉と黒色尉の翁の能面が保存されています。(室町時代末期・春日面匠作と伝えられている)
昔、佐渡で百日も日照りが続いたとき、能太夫 本間左京が加茂湖の上に仮舞台を作り、この能面をつけて能を舞った。すると豪雨となり雲の中から竜神が現れて、この面を奪おうとした。太夫は慌てて面を持って走り牛尾神社境内へ投げ込んだ。このため面は牛尾神社の神様に守られ無事だったという。(資料:新潟県伝説集成 佐渡篇 小川直嗣 著)
牛尾神社には出雲系の神様が祀られているため、龍神信仰と思われましたが……考察できるほど知識がないため、ヤマタノオロチ伝説を思い浮かべる程度で。
空海が開山した、小比叡山 蓮華峰寺

新潟県佐渡市 小比叡 182


皇城の鬼門とは?
佐渡が皇城の鬼門にあたるとして、806年頃に空海(弘法大師)が開山したとされる蓮華峰寺。皇城とは天皇の御所、皇居などの意味があります。
延暦13年(794年)、風水の思想(四神相応)に従い、選び抜かれた土地に造られた都が平安京です。陰陽師が官職として活躍し、最澄・空海によって開かれた仏教が盛んな時代でした。

こんなザックリしすぎた図で申し訳ありませんが、たしかに佐渡島は皇城の北東・鬼門の方角にあたります。方角だけでいえば、かなり広い地域が鬼門となるので、他にも選ばれた理由はありそうですね。


工事前の写真

配置されたお地蔵様
蓮華峰寺境内はとにかく広く、山の斜面にいくつものお堂が建っているため、筋トレ寺とお呼びしたいくらいでした。(怒られそう)
佐渡の史跡巡りは高低差のある道をかなり歩きます。動きやすい服装がオススメです。
徳川家康・家光を祀る御霊屋

御霊屋

(御霊屋前)
徳川家康・家光の御霊屋が佐渡にあるのは、佐渡島が江戸幕府の直轄地だったからでしょうか? 御霊屋前の灯籠に北斗七星を表した灯籠があるというのも気になります。
灯篭と北斗七星にまつわる話
北斗七星は 柄杓型では?と思いますよね。⚫️が円形に並んだ形も星を表すんですよ。まるで知っていたかのように書いていますが、佐渡旅行から戻って調べました。(ブログを書きながら勉強しています)
⚫️のつく家紋は星を表しているそうで、思っていた以上にたくさんありました。実は、星信仰をルーツに持つ方が、日本にはたくさんいるのかもしれないですね。

蓮華峰寺の灯篭の穴も1つが内側に入っているので、星田妙見宮の図柄のほうに似ているようです。星田妙見宮も弘法大師(空海)が開祖とされています。
星の信仰は世界中に存在し、夜空で唯一動かないと見なされた北極星と、その周りを廻る北斗七星は、星々を統治するとして崇拝されています。
中国では北極星は北辰とも呼ばれ、天帝の位に例えられます。天帝と天帝をサポート・守護する北斗七星はセットとして考えられ、図案・デザイン化されているので、意外なところにも使用されている可能性があります。
日本においては天帝→天皇(帝)と考えると、佐渡に北斗七星が見え隠れするのは、皇城を守護しているからと考えられます。(佐渡には能舞台が30以上残っている!前記事、牛尾神社をご参照ください)
では、徳川家康・家光の御霊屋が蓮華峰寺にある理由は!?!?!? 江戸の鬼門ではないけれど……。
日光東照宮の門と灯籠
徳川家康を祀る日光東照宮 陽明門にヒントがあるようです。陽明門は中央真上に北極星がくるように造られ、わたしたちは東照宮、すなわち北を向いて拝礼することになります。つまり徳川家康もまた天子であると言いたいのでしょうか。
「陽明門」という名の由来は、「京都御所※の東を守る門」からきているそうなので、謎はそれほど単純では無さそうです。
※京都御所:明治維新までは天皇のお住まいでした。
伊達政宗が奉納した南蛮鉄燈籠の図柄にも「七曜紋」が描かれているそう。(守護している!)謎は解けずさらに深まり、日光東照宮、星田妙見宮と訪れたい場所が増えることとなりました。
波切不動尊と蝶のお出迎え

話がだいぶそれました。蓮華峰寺に戻りまして、山のように配置されたお地蔵様のさらに奥へ向かうと、波切不動尊があります。海上安全守護仏であり、安産・就職・進学にも霊験ありと祈願される方が多いそうです。
〜高野山の浪切不動明王より〜
不動とは動かざる心。
本尊とは自己本来の尊さ。
本尊に参詣して、世の浪風を切り開いて
動かない信念と幸福をお祈りください。
小木港周辺の旅行程マップ
佐渡は広すぎるため移動時間も考え、地域をしぼって巡る必要があります。小木港周辺では散策場所を4つにしぼりました。小木港は新潟県直江津港からのフェリーが到着する港です。
旅の行程順に 蓮華峰寺→宿根木→岩屋山石窟→度津神社 の順に紹介していきたいと思います。

歴史と暮らす宿根木集落
小木海岸に面し、江戸時代の面影を残す宿根木集落。観光地というだけではなく、現在も住民が暮らしているんですよ!




宿根木には、中世より廻船業を営む者が居住していました。江戸時代は佐渡金山によって栄え、江戸時代中頃〜明治期には北前船の寄港地としても発展しました。
宿根木は船主や船乗り・船大工のほかに様々な職人が集まり、廻船と造船の基地となっていました。その名残が建物の建材やデザインにも残っています。
宿泊や食事、体験学習ができる施設もあり、見学の目安は60分だそうです。詳しくは宿根木公式ホームページをご覧ください。


たらい舟にも乗れます

魚を一旦保管した洞窟も何箇所かある
この洞窟を通り抜けると遊歩道へと続いており、大地の変化が楽しめるジオパークとなっています。
わたしは閉所恐怖症というか、洞窟に恐怖を感じるようで穴には入れませんでした。探検好きな方はこちらからどうぞ!→→→ 佐渡ジオパーク・小木半島宿根木コース
そして、この洞窟恐怖症が次の見学地でも発現してしまうのでした。
70メートル隆起した神秘の岩屋山石窟

半円状に洞窟前を囲う

この洞窟は、今から数十万年前に波の作用でできた海食洞です。かつて海岸にあった洞窟が、何度かの大きな地震で持ち上げられ、標高70mの高さにまでなり、現在でも年間1mmずつ上がっているのだそうです。

今から約6500~5000年前の縄文時代前期、岩屋山石窟は縄文人の生活空間でした。古墳時代や弥生時代の遺物も発見され、中世以降は墓域や信仰の場となったと考えられています。
洞窟内部には弘法大師が彫ったとされる磨崖仏があり、洞窟最奥に祀られている観音様は、十一面観音だそうです。
※磨崖仏:岩壁に彫刻された仏像。
洞窟にビビリまくりの友達とわたしは、中へは入れず入口だけ見学させていただきました。人数が多ければ、きっと中へも行けたはず!?
勝手に私たちがビビリまくっていただけで、洞窟は住人によりしっかり管理され、大切に守られているそうです。
佐渡宿根木の「ねまり遍路」に参加した動画も見かけました。(8月17日) “ねまる”とは佐渡の方言で“座る”という意味です。信者は洞窟におこもりをして、座ったままで御詠歌や念仏を唱えます。
洞窟の中は明かりを灯さなければ視界が悪いようですので、行かれる場合は懐中電灯を持っていきましょう。(懐中電灯を持参していない時点で、洞窟の見学は無理でしたね。)

四国八十八ヶ所巡りになぞらえ、佐渡の石工により作成されたという八十八体の石仏。半円状のずらりと並んだお地蔵様に圧倒されます。

佐渡一宮 度津神社

大きな赤い鳥居の下を車でくぐると、もう一つ赤い鳥居が見えてきます。 佐渡で一番社格の高い「一宮 度津神社」。
一つ目の鳥居の手前で川を渡り、拝殿前でも小川を渡ります。水の流れが清々しく、澄んだ空気が漂っているようでした。

<度津神社>
住所:新潟県佐渡市羽茂飯岡
延喜式神名帳(927年)に記載されています。文明二年(1470年)に大洪水により社地・古文書などが流出し、現在の場所に遷座しました。そのため由緒・縁起などは不明となっています。
海・陸の交通安全の神として島民に信仰され、たくさんの方が初詣に訪れるそうです。
「わた」は古語で海、“渡す”意味もあらわし、「つ(津)」は船着き場や港、渡し場をあらわします。海を通じた交流が盛んだった、佐渡らしい神社のお名前ですね。
<御祭神>
五十猛命(イタケルノミコト)
須佐之男命の御子であり、高天原より持ってきた種を全土に植林したため、林業の神とされています。
<末社 八幡社>
御祭神:誉田別尊(ホムダワケノミコト)
合祀祭神:豊受大神(トヨウケノオオカミ)/稲荷大神(イナリオオカミ)



羽茂川にあったときの写真
五十猛命がよく釣りをしていたという「釣り岩」と「亀岩」が県道拡幅工事で壊されるかもしれないと、度津神社の境内へ移設したのだそうです。
それにしても、佐渡には「亀」のつく岩が多い気がします。(全国的にもね)「大野亀」や「二ツ亀」は佐渡の景勝地であり、トビシマカンゾウ(オレンジ色の百合の花)の群生でも有名です。
つい先日、「亀岩は竜宮城の方角を向いている」という動画を観ました。夢があるな〜〜。「亀」のつく岩を見かけたら想像してみるのも楽しいかもしれませんね。
佐渡金山と高任神社
佐渡旅行2日目。この日も快晴ー!! フェリーに乗るギリギリまで3箇所を巡る予定です。最初に目指すは佐渡金山!・・・の隣の高任神社!!
佐渡金山は、もちろん見学したいんですよ。ですが佐渡旅行検索をしていて見つけてしまったんです、高任神社にある「盃状穴」を!!!
日本ではあまり研究されていない、古代の海洋民族の痕跡が見れるかもしいれない。これは行かないわけにはいきません!

高任神社を探し、ぐるぐる
Googleマップのナビを頼りに、レンタカーで高任神社を目指します。ですが高任神社へは、まったくたどり着けません。行けると思った道は、会社工場敷地内へと続く道で柵で通行止め、山道なら道なき道を越える必要があります。皆んなどうやって行ったの?

時間と体力があれば冒険もまた楽しい!?

途方に暮れていると友達が車を停め、工事の作業員さんたちに「聞いてくる!」と車を降りて飛び出していきました。待つ間、不思議だな〜と岩から生える木を眺めていました。そして判明します。高任神社へは、佐渡金山の施設内へ(有料)入らないとたどり着けないことを。
友達にも作業員さんたちにも感謝感謝です。(作業員さんたち、めっちゃ詳しかったらしいです)
いざ、佐渡金山へ


佐渡金山では巡るコースをいくつか選びます。江戸金山絵巻コースも気になりますが、時間も押してきたため、道遊坑が見れるコースを選びました。
■江戸金山絵巻コース(|宗太夫坑《そうだゆうこう》コース)
所要時間:30分
坑道には動いて話す人形がたくさんいて、佐渡金山の人気者「なじみの女にも会いてぇなぁ〜」と話す人形もこちらで見れます。
■明治官営鉱山コース(|道遊坑《どうゆうこう》コース)
所要時間:40分
道遊の割戸や明治期から平成元年までの坑道や機械類が見れます。高任神社へはこのコース。
■山師ツアー(|無名異坑《むみょういこう》)(|大切山坑《おおぎりやまこう》)
所要時間:100分/4月〜11月/要予約/上級者向け・中学生以上
ヘルメットとライトをたよりに探検。健脚者じゃないと難しいそうです。
■産業遺産ツアー ガイド付き
所要時間:70分/4月〜11月/団体10名以上
産業遺産と江戸初期の鉱山町の風情が残る町並みを巡るツアー。


坑道に入ると一気に気温が下がります。10度前後ですので長袖の上着が必要です。(歩きながら撮った写真はブレブレ)




ひととおり坑道内を見学し、道遊の割戸へ。
山が中心から割れています。これは露天掘りをして金を採掘したためです。露天掘りは、坑道を掘らずに地表から地下めがけて掘っていく手法で、巨大な金脈を求め下へ下へ掘り進めた結果、このような割れた形になったんですね。

道遊の割戸を間近に見られる採掘跡は、ぜひ訪れてほしいです。大きさに圧倒されます。相川金銀山の鉱石はとても硬く、1日に約10㎝程しか掘れなかったそうです。当時の労力が偲ばれます。(下部の大きな穴は明治時代以降のダイナマイトを使用した採掘の跡)
高任神社


ど迫力の道遊の割戸が見れます
高任神社は、佐渡金山の守り神「大山祇神社」を分社し、明治時代中期に活躍した大島高任に因んで命名された神社です。

相川地区に大山祇神社(佐渡市相川下山之神町)がありましたので、そちらからの分社でしょうか。少し前に載せた古道地図には「大山祇神社跡」もありました。
盃状穴発見!!

天保三年 辰九月
そして見つけました!!盃状穴。この手水石は、江戸時代の天保の頃に作られたものです。
盃状穴とは、手水石の上部などにポコポコとくり抜かれている穴のことです。トルコにあるギョベクリ・テペ遺跡(紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた遺跡:祭祀に用いられたと考えられる)にも彫られています。世界中に存在し、子孫繁栄や死者の蘇生を願ったもの/再生や不滅のシンボルとして信仰されてきました。

日本では縄文時代にも作られた形跡があり、世界中に同じような盃状穴や巨石、ペトログリフ(ペトログラフ)が見られます。
そのため「巨石文化は海洋民族によって世界中に伝播した」という説も存在しています。(ハーバード大学教授 故バリー・フェル博士が唱えた)
日本では武内一忠さんが盃状穴の研究をされています。
「エンシェント・ワン・ワールド」--超古代世界は、一つの文化圏だった。この夢のような痕跡を探しているわけです。
海洋民族の特徴としては、ざっくりとですが、星を信仰し湧水を求め、鉱山、冶金、石工の知識や技術を持っていることが挙げられます。
佐渡金山に盃状穴があるのも、何かしら繋がりがあるのかも!? どうでしょう!?
※冶金:金属を精製し加工すること

謎多き佐渡奉行 大久保長安
慶長8年(1603年)に徳川家康により佐渡代官(のちの奉行)に任命されました。大久保長安は、石見銀山(島根県)、佐渡金山(新潟県)、伊豆金山(静岡県)などの多くの地域職を兼任し、”天下総代官”と呼ばれています。
牛尾神社の能舞台でも触れましたが、佐渡の能がここまで浸透したのは、大久保長安が猿楽師(のちの能楽師)を佐渡に連れてきたことに始まります。
大久保長安自身は八王子に住み、佐渡へは2回訪れた記録があるそうです。たった2回? 連れてきた猿楽師とは?? 当時は猿楽衆の情報ネットワークがあったそうなので、情報を集める意味もあったのかもしれないですね。
この大久保長安という人物は、そもそも猿楽師の家系に生まれています。中国より伝わった「散楽」※が「猿楽」と呼ばれるようになり、「能」へと発展していきました。
※滑稽な物まね、曲芸、呪術など多種多様な芸一般を広く指す。
長安の父親が武田信玄のお抱え猿楽師となりましたが、長安は才能を見出され、武田領における黒川金山などの鉱山開発や税務などに従事しました。どうやら経理・行政の才能がすごかったらしいです。
甲斐武田家が滅んだ後は、徳川家康の家臣として仕えるようになりました。
大久保長安が優秀すぎます。そしてその人生に様々な逸話や謎や悲劇がある故に、多くの小説家が長安を題材に物語を書いてきました。
大久保長安が「秦氏の末裔」であるというのも、その謎の一つにあげられます。(家系図に「秦長安」と書かれている記録が残っている)
秦氏は、5世紀頃日本に渡ってきた渡来人集団です。鉱山開発、土木開発、機織りなどをもたらした技術者集団であると同時に、能楽(散楽)などの芸能も日本へ持ち込んでいます。
この秦氏、何かに似ていませんか? そう、海洋民族の特性にも似ている気がしてきました。 大久保長安は佐渡を含む日本海海運ルートを開発し、小木港・相川港も整備しています。
紀州から船を調達し、山伏もこれらの船に乗って佐渡へ渡ったのでは?とのこと。五十猛命は紀伊国を治めていますから、関わりがありそうです。
歴史はわたしが考えているより、もっともっとダイナミックなのかもしれません。
(資料:佐渡の風土と被差別民 沖浦和光著)
鉱山祭 「やわらぎ」
佐渡の相川地区では、7月の第三日曜とその前日に鉱山祭が行われています。大山祇神社(佐渡市相川下山之神町)では「やわらぎ」が奉納されます。
裃に描かれた百足が大胆でカッコいい! 実際にお目にかかりたいものです。

百足は山の神(鉱山の神)の使いなのだそうです。掘り進めた坑道の形が百足に似ているからという説もあります。
佐渡のラピュタ 北沢浮遊選鉱場


植物に覆われた建物跡が「天空の城ラピュタ」を思わせる、と人気のスポットです。意外にも道路に面していて、森深くひっそり佇んでいるわけではありません。それもそのはず、選鉱した鉱物を運ぶには、海に近いほうが適しているのです。
選鉱場とは採掘した鉱石を、有用なものと無用なものとにより分ける施設です。もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、日本で初めて実用化に成功したものです。戦時下では、1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理していたそうですよ。

「佐渡のラピュタ」とは、ジブリ映画「天空の城ラピュタ」に似ていると、呼ばれだした愛称です。
いつにの日か、古代の海洋民族ラピュタ人も佐渡を訪れていた!という痕跡が見つかり、「なんたる偶然!」と言ってみたいものです。
ドンデン山と荒崎神社
ドンデン山の伝説
ドンデン山には短い伝説が残っています。
昔、海府の女が相川の入川から渓谷を登って、山へ蕨取りに行った。蕨がおもしろいように沢山採れたので、どんどん山の奥まで登ってしまった。
すると山の上に真っ赤な顔をした大入道がいて、赤く焼けた鉄の板を「ドーン、デーン」と打っていた。女は驚いて蕨を投げ捨て逃げ帰った。
そこからこの山を「ドンデン山」と呼ぶようになった。
(資料:『新潟県伝説集成 佐渡篇/小川直嗣 著 より)
※ドンデン山の名称の由来については、鈍嶺からの転訛説など諸説あります。

(タダラ峰)方面
ドンデン山の伝説と「タダラ峰」という名称から、この辺りでは「たたら製鉄」が行われていたように思えます。たたら製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称です。(Wikipediaより)

タダラ峰には木の生えない場所が所々あるそうで、そのような場所を「たたら」と呼んだのが地名の由来では?と村落史『故里つばき』には書いてありました。
度津神社の御祭神 五十猛命(イタケルノミコト)が植林の神様なので、たたら製鉄で木を大量に使用したため植林が必要だったとも考えられますが、そのような資料は見当たりませんでした。

荒崎神社

<御祭神>
迦具土命(カグツチノミコト)
火の神様ですね。由緒書きには火を使う塩釜に関係する神社だからと書かれてあります。そして荒崎神社の境内、すぐ隣に秋葉神社(火伏の神様)も祀られています。




荒崎神社の由緒書きには、利済庵の鎮守であったものが村の産土神として祀られたと書かれてありました。
神紋が輪宝?
輪宝とは、もとは古代インドの武器であり、仏教に取り入られてから仏の説法が心の煩悩を破ることのたとえに用いられています。
修験道系の神社にも多い神紋だそうで、いろいろな資料をめくっていると「山伏」と「鉱山」の深い関係が書かれています。
毘沙門天の背にも輪宝がありますね。毘沙門天の使者は百足です。旧金井町では2月に毘沙門祭があり(使いは百足)、商売繁盛・学業成就を願う参拝者が多いそう。そして毘沙門天は北方の守護をする。
このあたりの繋がりも、まだまだ謎であります。
虚空蔵清水と縄文遺跡
荒崎神社の近くに湧き水があるというので散策してみました。結論、虚空蔵清水見つからず、爽やかな音のみをいただいてきました。
この辺りでは縄文遺跡が見つかっています。調べると縄文遺跡のそばに湧水があることが多いです。遠くまで水をくみにいくより、綺麗な湧水のそばに住みたいですよね。

荒崎神社付近の縄文遺跡では、波形紋様・渦巻浮彫の縄文土器片、祭礼に使われたと思われる小型石棒、石斧、石皿、石槌、砥石、石鏃(メノウなど硬度の高い石で作られている)が出土されています。
■おまけの巻 佐渡の旅〜宿と食事と雑貨〜
アンティークショップ 海楼社(かいろうしゃ)さん

住所:新潟県佐渡市両津夷194-1
和のお皿や昭和小物やカゴなど、様々商品がありました。両津港からそこまで遠くはないので、歩いても行けます。
HEARTY WOODS(ハーティーウッズ)さん
住所:新潟県佐渡市両津夷300
0259-23-2697
朝の5:30から20:00まで開いている、チェーン店ではない個性的なコンビニです。佐渡の食品セレクトショップのようにも感じました。小さい店内に珍しいものがギュッと詰め込まれていました。手作り感のあるコロッケが美味しかったです。その日は薬膳お弁当があったような。(写真を撮りなさいよ、わたし)
不定期でお休みの日もあるので、電話してから伺ったほうが良いかと思います。アンティークショップ海楼社さんとも距離が近い。
持田鮮魚店直営 古民家食堂 持田家さん

住所:新潟県佐渡市相川一町目7
食事から居酒屋メニューまで。鮮魚店直営なため、お魚が自慢です。持田屋定食を頼んだような記憶・・・。(久しぶりの友達とも合流し、少ない時間で弾丸トークをしていたものでメニュー名を忘れてしまう)
2,800円と少しお高めなお店かなと思いました。佐渡出身の子は、焼きサバ定食が美味しい!と言ってました。こちらは1,400円。
ゴールデン佐渡 金山茶屋

住所:新潟県佐渡市下相川1305
史跡佐渡金山のお土産物屋さん隣にあります。池の鯉を眺めながら、濃厚な金箔ソフトをいただきました。350円


丸い穴の空いた石は「石磨」
鉱石を磨り潰す臼で上下2個からなり、上磨の材料は下相川の石英粗面岩、上磨は鹿の浦の花崗岩。
(荒崎神社の秋葉山塔のそばにも同様のものがありました)
ゲストハウス THIRD PLACE(サードプレイス)



住所:新潟県佐渡市市野沢839-1
ゲストハウス・囲炉裏小屋・音楽スタジオを併設した複合施設。ベッドルームは3部屋。セミダブルベッド2台にエキストラ布団を入れることで1部屋4名まで宿泊可能です。キッチン・バスルーム・ダイニングは共用。タオルや歯ブラシなどのアメニティーあり。
1名利用:¥5,000/2名利用:¥8,000/3名利用:¥10,000
一棟貸切:¥30,000/6泊以上の滞在:1名 ¥3,000
(HP掲載料金。料金についてはお問い合わせください)
その日はわたしと友達2人で貸切状態でした。近くのスーパーでお惣菜や蟹のむき身などを購入し、ゆっくり食事ができました。なんといってもベッドの質感が最高!1晩寝たら腰痛が治っていました(笑)
朝は窓を開け、風を通すと清々しい気分に!対して夜は真っ暗です!!!細ーい山道を登るので、暗くなってからの到着はおすすめしません。自然の多い場所ですので、虫が苦手な方はダメかも・・・だけど虫も込みの自然ですからね。
佐渡は、まだまだ奥が深い!
一度や二度じゃ巡りきれません!!
「佐渡は宝の島すぎる」を実感した旅でした。

