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セックスレスの果てに見えた    もうひとつの未体験ゾーン。

境界線の上で、男は夜を彷徨う。

セックスレスの果てに見えたもうひとつの未体験ゾーン。
セックスレスは今も静かに続いている。

欲求がないわけじゃない。
むしろ、身体の深いところでは
「誰かと繋がりたい」
「求め、求められたい」
という火が消えずにくすぶり続けている。

本当は
パートナーである女性と向き合えるのが一番の理想だ。

でも
現実の夜は冷たく
シャッターは下りたまま。

かといって
風俗に行くことや
他の女性と関係を持つことには強い抵抗がある。

「一線を越えてはいけない」という倫理観と
理性が自分を繋ぎ止めているからだ。

この葛藤のなかで
欲望の行き場を失った男の脳は
ときどき奇妙な迷路に迷い込む。

そんな夜
ふと考えたことがある。

「もしも今、おとこの娘と出会えたら…どうなるんだろう?」

それは「越えていい線」なのか、という問い

正直に明かすと
夜中に密かに「おとこの娘」のAVを検索してみたことがある。

画面の向こうにいる彼女たちは
華奢で、美しく、女性よりも女性らしい佇まいをしている。
けれど
その身体には男としてのパーツが存在している。

その映像を見つめながら
胸の奥で小さなざわめきが起きた。

これは…
浮気なのだろうか。

それとも
女ではない相手ならば
自分の中の「一線」を守ったことになるのだろうか。

自分でも身勝手な論理のすり替えだと分かっている。

けれど
レスの乾きに長年晒されていると
脳は「家族を壊さないギリギリの逃げ道」を必死に探し始めるのだ。

そして何より
僕自身のなかにある
もうひとつの素直な好奇心。


「咥えてみたい」


これまで
「愛撫する側」
「与える側」
としてしか自分の性を捉えていなかった僕のなかに
誰かのそれを自分の口で受け止めてみたいという
未知の欲求が芽生えていることに気づいた。

相手がおとこの娘であるなら
その欲望は奇妙な現実味を帯びてくる。

未知なる世界への
期待と恐怖
もし実際にそんな出会いがあったとして
僕はどうなるのだろう。

自分は相手を満足させてあげられるのか?
女性器とは違う
男の身体の構造を知っている僕だからこそできる
繊細で丁寧な愛撫があるかもしれない。
僕がこれまで磨いてきた
「相手を愛おしむタッチ」は
彼女たちに通じるのだろうか。

自分は満足させてもらえるのか?

男の欲しがるポイントを誰よりも理解している相手から受ける愛撫は
僕のこれまでの概念を覆すような快感をもたらすのではないか。

未知の領域に対する期待と
足を踏み入れることへの恐怖が
胸の中で激しくせめぎ合う。

それは単なる性的な興奮というよりは
「まだ見ぬ自分自身の欲望の扉を開けてしまうこと」へのおののきに近い。

欲求は
かたちを変えて生き続ける

大半の男は
こういった葛藤や妄想を
「変態的だ」「恥ずかしい」と蓋をして捨ててしまう。
でも僕は
この感情を否定したくない。

セックスレスという暗闇の中で
僕の生命力は死んでいなかった。

女性という理想に拒まれ
一線を越えられない壁にぶつかった結果
僕の欲望はしなやかに
「新しいかたち」を探して形を変えようとしているだけなのだ。

おとこの娘という未体験ゾーンへの興味。

それは
40代になった僕が
まだ自分の身体や性の可能性を諦めていないという
静かな悪あがきなのかもしれない。

実際にその一線を越えるかどうかは
わからない。

でも
この未体験の妄想を胸に抱く夜があるからこそ
僕は今日も自分の欲望と正気をつなぎ止めている。

誰にも言えない夜の深みで
男の欲望はどこまでも自由に
そして切なく広がっていく。

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