「友達、いや知人で良いから欲しい。」ネット老人会が泣いた!友達ゼロの限界増田に学ぶ、レバーパテと孤独の文化人類学。なぜ現代人は1と0の電子の海で「知人」を求め、ラスコー洞窟の壁画のように寂しさを書き殴るのか?看護師との絆はレンタルビデオ?SNSの虚飾を剥ぎ取る、哀愁と笑いの人間観察エッセイ。ミキサーは洗わないと臭くなる。
インターネットの片隅、はてな匿名ダイアリー(通称・増田)を徘徊していた時のことだ。
俺の目に、あまりにも虚無に満ちたタイトルが飛び込んできた。
「友達、いや知人で良いから欲しい。」
最初は、よくあるネットの寂しがり屋の独白だと思った。
「はいはい、孤独アピールね。SNSで『誰か通話募』って書いてるやつと同じ系統でしょ」と。
画面をスクロールする俺の指は、完全に事務的な冷たさを保っていた。
だが、読み進めるうちに、俺の脳細胞がにわかにざわつき始めた。
その増田(投稿者)は、人脈と脈拍と鉱脈を謎の言語センスで自然につなげ、孤独という名のレバーパテをこねくり回しながら、己の枯渇した人間関係を嘆いていたのだ。
普通ならここで「大変だね、マッチングアプリでもやれば?」と一蹴して終わりだ。
しかし、俺のゴーストが静かに囁いた。
「待て。これは『僕は友達が少ない』の聖地巡礼をリアルでやっている、令和の哲学者なのではないか?」と。
気がつけば俺は、その「友達がいない」という異常事態を、アポロ11号の月面着陸を見守るNASAの管制官並みの神妙さで受け止めていた。
ここで、あるブコメ(ブックマークコメント)が俺の視界をジャックした。
「入院すると看護師さんとか医療チームの人と知り合いになれた錯覚ができるよ。退院とともに一瞬で消えるけど」
おいおい、何だそのライフハックは。
それは言うなれば、「人間関係のレンタルビデオ」だ。
延滞料金の代わりに命の危機を支払い、退院という名の返却期限が来れば、あの優しかった看護師さんとの絆(※錯覚)は一瞬で歴史の彼方に消え去る。
俺は猛烈に熱中し始めていた。
これは単なる寂しい奴の愚痴ではない。
インターネット老人会がかつてテキストサイトで繰り広げていた、「リアル充実爆発しろ」という文化の、最も純度の高い結晶なのだ。
現代のSNSは、フォロワー数という名の「偽りの戦闘力」で溢れている。
誰もが薄っぺらい繋がりを誇示する中、この増田の地平では、「知人すらおらん。でもレバーパテは美味い」という、あまりにもリアルで、あまりにも生々しい人間賛歌が鳴り響いている。
俺は胸を熱くしていた。
友達が欲しいのに繋がれない。日本中にそんな奴が数百万人はいるはずなのに、なぜか全員が「見えない星を観測する天文学者」のように、互いの存在を認識しつつも交わることはない。
このもどかしさ、これぞまさにサブカルの極み。俺は今、現代社会の構造的欠陥という名の深淵を観測しているのだ。
画面の向こうの増田に、俺は激しい感動を覚えていた。
人はなぜ、見ず知らずの他人に「寂しい」と吐露するのか。
それは、ジオシティーズ消滅のように自分の存在が歴史から消える前に、電子の海に「俺はここにいるぞ」という、現代のラスコー洞窟の壁画を描く行為に他ならない。
どんなにくだらない独白であっても、そこには人間の原始的な祈りがある。
「レバーパテは自分で作って出来立てを食べるとすごく美味い」というクソの役にも立たない料理アドバイスのブコメすら、絶望の淵に咲いた一輪の優しさに見えてくる。
だが、そんなエモーショナルな連帯感も、ブラウザを閉じれば終わりだ。
フラッシュ黄金時代が、ある日突然消え去ったように。
俺たちがどれだけ画面の前で共感しようとも、増田と俺たちの間には、絶対に超えられない冷徹な液晶画面の壁が存在する。
そう思うと、胸の奥がツンと痛むような、たまらない哀愁が押し寄せてくる。
……。
……いや、まぁ、うん。
散々それっぽい人生論を語ったけどさ。
冷静に考えてみてほしい。
俺、平日の真っ昼間から、友達が一人もいない見ず知らずの他人の日記を読んで、「レバーパテのミキサーはちゃんと洗わないと臭くなる」っていうライフハックを真剣にメモってただけなんだよね。
何が現代のラスコー洞窟だよ。
何が人間関係のレンタルビデオだよ。
ただのネット中毒者の現実逃避じゃねえか。
よし、正気に戻ったところで、俺も知人ゼロのまま、今夜は一人で新鮮な鶏の肝をゲットしにスーパーに行ってくるわ。
インターネット最高。

いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! 