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【日記 #4】AI疲れと老害予備軍

今日は「ああ、私いつか老害になるな」と思った話。
久々にnoteを更新して、全く小説と関係のないことではある。
考えがまとまっていないので内容は堂々巡り気味。(しかも話し言葉)


最近、業務でAIを使っていて感じたことなんだけど、

ここで「うわ、AIの話か」と思った人。わかる。でもまじでいったん聞いてほしい。なにもAIの活用事例とかそういう話をしたいわけじゃなくて、「AIうざくね?」っていう愚痴を披露したい。

では、さっそく

今年に入って転職をしたんだけど、そこがめちゃくちゃ業務にAIを導入してる会社で。

日々、「AIまじでいらん」って思うわけ。

それで、なんでそんな風に思うんだろうって考えたんだけど、
まず、言葉を選ばずに言うと、これまで「仕事ができない」と評価されがちだった人が、AIを挟むことで、あっさり平均点を取れるようになっていることへの恐怖なのかなって。

仕事が苦手な人がこれを読んでいたら本当に申し訳ないんだけど、でも実際、仕事ができる・できないっていう見方はあると思っていて。
抽象的だけど、社会全体、企業、部署、チーム、環境ごとに見えない合格ラインみたいなものがあって、そのラインを超えられなかった人がその場においては「仕事ができない」に分類されてしまう感覚。
逆を言えば、そこさえクリアできれば、それ以上の差はたいして重要じゃないというか、優秀な人も平凡な人も同じ「仕事ができる」という一部屋に入るイメージ。

どの部分で評価するかによっても変わるし、人それぞれ得意不得意があるから、今自分で書きながらこんな表面的で主観に依存する基準ありえないだろって思うんだけど、でも事実こんな感じで私は第三者に対して、仕事ができない人だなと思ったことがある。最低。

私自身、自分で言うのもはばかられるが、これまでは「仕事ができる」から漏れていない自認だった。
基本的なタスク遂行力や問題解決能力において平均的であるということが、少なくとも自分は仕事ができない部類ではないと思えていた。

私の感覚だけど、仕事が苦手なことで職場の人間関係が難しくなるみたいなことってあると思っている。
言ってしまえば、多少変な人でも仕事さえできれば、そういう人として許されるみたいな。
もちろん仕事が苦手でも愛嬌で突破できる人もいるし、一概に仕事ができないから苦労するとは言えないけれど、それぞれの人間性が見えない環境下においては、仕事の出来って自分の立場の確立を助けてくれる。

それがAIの介入によって、仕事ができる・できないの差がかぎりなく0になってしまった。そうなると話が変わってくる。
自分の優位性というか、自尊心みたいなところを保つのが難しくなって、客観的に見れば小さな差でも、自分の中ではかなり大きな喪失感になっている。
誰もが一定レベルのことをできるようになり、もはや私はただの人。

もともと突き抜けて優秀な人は、AIがあろうがなかろうがはっきり言って関係ない。
だけど、私のように自分は中間層だとぼやぼやぬくぬく安心していた人は、正直、今めちゃくちゃしんどいと思う。共感する人いませんか、?

こういう話題ってリアルではできないというか、なんか気まずいし、ちょっと言い回しを間違えるだけで嫌味だったり自己過信のようなニュアンスに受け取られそうで、少なくとも私はまじで誰にも言えない。
ほんとはすぐにでも、実際どう思ってる?どんな感じ?って各々の温度感を聞いて回りたいけど。

弊害はそれだけじゃない。
誰かが提出したアウトプットを見ても「これ、この人が自分の頭で考えてないよな」と無意識にフィルターがかかってしまうようになった。
もちろん、AIを上手に活用しているのも指示を出しているのも当人だし、その人が考えたものではあるんだけど、なんていうか、吹いたら飛びそうだなみたいな。
だけど、仕事という観点でいえばそんなことはどうでもよくて、成果物が全てで、その過程を人間がやっていようが、AIがやっていようが関係ない。
頑張って出した50点より、AIでサクッと仕上げた80点の方が優れている。

それに、あらゆるタスクがAIを使う前提で組まれているのも嫌だ。
ビジネスの世界である「来週の100点より、今日の60点」的な考えは十分にわかっているし、そのスピード感に価値があることも理解はしている。
だからこそ、ロジカルに自分を納得させようとしているけど、どうしてもモヤモヤが残る。

以前なら本人の能力として証明できていたものが、今では本人が時間をかけたものなのかAIが仕上げたものなのか見えなくなり、というかそこを考えるのも野暮で、単純に成果物の凄さが個人の凄さにまで結びつかなくなった。
努力はただの自己満足とこれまで以上に言われているようで、良くも悪くもこだわりが強い人間には辛すぎる。

あと、仕組化できる作業はAIに任せて人間はもっとクリエイティブなことに時間を使えるなんて言われているが、実際は判断する回数ばかりが増えて、以前より疲労感が強い。
自分の頭で考え出すより、AIが出力したものを読んで、理解して、真偽を確認して、調整する方がよっぽど体力も使うし、シンプルに目も疲れる。まさに、AI疲れ。

しかもAIが出した内容って、自分の経験からきていないから、思い入れもないし、人に説明するときも「私が考えたことじゃないし」と、どこか他人事になってしまって責任がいまいち持てない。

この業務はこのAIツール、この業務はこのAIエージェントと、情報過多で完全についていけていない。
何かにつけて自動化効率化ってもう勘弁してくださいって気持ち。
いくら最新機能を追いかけても、ものすごいスピードでもういらないスキルになっていくのが想像できて、ただその場しのぎで消耗している感覚。
色々と調べているせいで、ネットを見ればAI活用術や次はこのツール!的な期待を煽るものばかりが表示されるし、正直、AIという文字が目に入るだけで「もういいよ、、」となっている。

こんな文句を言いつつも、別に業務に限らず常日頃からAIは身近にあるし、その恩恵も受けている。
だから別にAIがない時代に戻りたいとかそういうことでもなくて、ただ漠然とこの世界に虚しさがあるというか。

誤解のないように言うと、今の会社、経験が積める環境に感謝はしている。
現時点で、ただ会話でちょっとした壁打ちをする程度じゃなくて、より実務に近いところでAIを触っているかどうかの差って後々効いてきそうだから、そういう面では転職をしてこういう環境に身を置くことができている状況はとても運がよかったと思っている。
むしろこれ以上遅かったらやばかったまじでぎりぎりくらいの感覚。

凡人こそ今は無理をしてでもこの波にしがみつく時期なんだろうけど、考えるだけでため息が出る、

以前、イラスト界隈の人たちが「生成AIがどうのこうの」と問題視していたとき、失礼ながら「なんか大変なんだな」程度にしか思っていなかった。
だけど、いざ自分がそういった影響を受けると、まじでAIがうざい。
AI自体がというより、このAIありきで成り立つ世界に、もうやっていけないって感じ。全部どうでもよくなる。

こんなことを言っていても仕方がないし、あと何年かすればAIがさらに普及してもっと当たり前になるんだろうけど、完全に共存を受け入れるまでの感情の持っていき方がほんとに掴めない。

とは言え、AIのおかげで世の中の生産性が上がれば、必ず今より余暇時間みたいなものは増えて、なんならベーシックインカムが導入されちゃったりなんかして、そうなれば、小説もそうだし、負荷のかかるエンタメみたいなところの需要は一定数戻ってくると思う。
今のとにかくタイパという風潮がいったん落ち着いて、過去の時代ほどではなくても、求められる機会は増えるはず。
今の人は本を読まない、本が売れない、と言われ続けてきた中で、それは小説家を目指す者としては希望なわけで、
だから喜ぶべきことではあるんだけど、どうしても現状が。まじで今ハイプサイクルのどこの何の段階なんだ。

上の世代の人からしたらインターネットが普及して業務形態が変化していった時もこんな感覚だったのかなと思ったりもするけれど、それにしてもAIは時代の切り替わりのインパクトとしてあまりにも大きすぎる。

年々トレンドに疎くなっていると感じていたが、きっとこうやって少しずつ自分の考えややり方に固執して、どんどん最先端から遠ざかっていくんだろうなと思った。
柔軟な考えを持ち続けたい、老害になりたくないと思っていたのに、自分があまりにもその傾向を持っていて驚いている。
それこそ多分生まれるのがあと少し早かったら、今頃私は「パソコン?Excel?そんなもの無くても困らないだろ」状態だったに違いない。

自分を固めたくはないけれど、ずっと時代に振り回されるような生き方はしんどいなと思ったりもするし、そういう仕事の人は別として、そうじゃない人間でそうだと、なんか自分がない感じというか、歳を重ねて浮ついている状態でありたくないみたいな、すごく難しい。
みんなどうやって気持ちに折り合いをつけているのだろう。
自然とどこかで諦めフェーズみたいなものが来るのだろうか。

てか、「老害」って言葉がよくないよな。
年上には敬意を払わないと痛い目みる。

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