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『奔放な生、うつくしい実験』サイディヤ・ハートマン著

米国では19世紀末以降、差別と貧困から逃れようと多くの黒人たちが南部からニューヨーク、フィラデルフィアなど北部の諸都市やカリフォルニアなどの西部へ移り住んだ。その後「ルネサンス」と称される黒人の文化運動が隆盛となる。本書に登場する黒人(カラード)の「女たち」はその公式の記録から漏れるような「奔放な(ウェイワード)」「身振り(ジェスチャー)」をやめようとしない。たとえそれが奴隷解放後の人種主義的秩序における「身分秩序」によって逃げ場のない暴力を誘うものだとわかっていても。著者はそれを「うつくしい実験」と評する。

「コーラス」。「集まり(アセンブリ)」。登場する「女たち」はみな、別々の場所で各々の生を生きてきた。似たような辛酸を舐めてきたことの共感もゆるされず、お互いを知らないまま生を終えただろうバラバラな「女たち」である。著者はありえたかもしれない「女たち」の声を掬い取り、その集まりを、コーラスを編む。

終盤に登場する夢を追い続け、女を愛したコーラスガールのメイベルが結局家事労働に戻らざるを得なかったエピソードは、無慈悲な現実を突きつけられるようでやるせない。その人生に重ねるように、メイベルの恋人イズメイの生が挿入される箇所がさらに興味深い。メイベルはイズメイを外国人だと思っていた。若くて才能もあったイズメイはメイベルが憧れるあらゆることを成し遂げていたので。オペレッタやクラシックの舞台に立ち、アフリカン・ダンスの一座を立ち上げ、映画にも出演し、社会主義運動にも参加して。医者の家という家柄、教育を授けられるなど、メイベルとはあまりにも境遇が違っていた。イズメイは外国人だから貧しくてクィアな自分に対しても偏見を持っていないのだとメイベルは思っていたが、ナイジェリア生まれのイズメイ自身はハーレムをホームと感じていた。二人の邂逅もまた「うつくしい実験」であろう。だからこそ、最後に短く添えられる「イズメイは極貧裡に死んでいくのだ」というアーカイヴがブラックネスの歴史を一望させる。つまり、本書の「批評的作話」が「アーカイヴとともにありつつアーカイヴに抗う」手法であるとすれば、一回まわってテキストからアーカイヴを想像する試みも読者には求められるのではないか。


『奔放な生、うつくしい実験 まつろわぬ女たち、クィアでラディカルなものたちの親密な歴史』
サイディヤ・ハートマン著 勁草書房 2025年9月30日発行 葉々社にて購入

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