幕開け[第4話]
〈第1話〜3話〉
・・・
「やっぱりすごいと思うよ、駿介は」
「……こんな話してるのに、か?」
「うん。だって、普通はそんな辛いとき、ぐうたら過ごす人がほとんどだよ」
「ははっ。なんだよ、それ。そんなこと、ないだろ」
心底わからないという表情のまま、駿介は首をかしげていた。
「ううん、そういうものだよ、普通はね。でも、駿介は違う。自分を見つめ直すために、きっと色々したんでしょう。いつもは出ない同窓会に参加してみたりさ。……きっと今はもう、心は決まってるんじゃない?」
駿介は少し驚いた表情のまま、ゆっくりと、深く頷いた。
「千秋の言う通り、俺、じっとしてらんない性分だからな。いろんなこと試してみたんだ」
やっぱり根は変わらないんだなと思いながら横顔を見つめると、駿介は身体をリラックスさせるように大きく伸びをした。
「どんなことをしたの?」
「んー。まずは母ちゃんに会いに行って、親父の墓参り行った。で、今度は自分が知らない仕事を経験したいと思って、お世話になってる大道具さんに弟子入りしたんだ。骨組みの仕組み教えてもらって、舞台セット作ったり。衣装さんには問屋に連れてってもらったし、イベント清掃の体験もした。あとは、美術さんと一緒に駅前のディスプレイ装飾も。そこにいたんだよなー。知らない俺らにおつかれさまでーすって、元気に声かけてくれた人がさ」
私ははっとして、咄嗟に両手で口を塞いだ。
「うそ……」
「ははっ。やっぱり、そうだったか。声が似てるとは思ったんだけど、まさかなーと思ってさ。あんな遅くまで働いてるんだな」
別に恥ずかしいことをしていたわけでもないのに、ドクドクと心臓が早いリズムを刻んでいる。偶然を、偶然とは思いたくなかった。
「俺、この一ヶ月で学んだよ。見えない場所で汗水流して働いてくれてる人が、大勢いるってこと。俺は練習してステージで披露することだけに集中してたけど、それはただ俺らがその役割を担ってるだけで、皆で創り上げてたんだなって、当たり前のことをさ。情けないけど、改めて知ったんだよ」
線香花火の火種がぽっと灯ったように、駿介の眼が輝き始めたのがわかった。
「それから、昨日と今日で、一番大事なこと、思い出せた気がする」
「大事なこと?」
ペットボトルのキャップを回してスポーツドリンクをゴクゴク飲み干す姿は、CMみたいに爽やかだった。悩みがある人には到底見えない。こうやって、今までもうまく隠してきたんだろうな、と思った。
「今の自分は、大勢の人との出会いや経験の上で成り立ってるってこと。ファンのみんなのことはもちろん大切だけど、これまで関わってきた人の中にも、応援してくれる人がいる」
「みつこおばちゃんとか、ね」
「うん。それから、千秋。お前みたいに、俺を信じてくれる人がいるってこと。俺はもう、自分のためだけに音楽をしてちゃ、だめだ。忙しいことを理由に忘れてたけど、思い出したんだ。皆の為に、俺らの音楽を、言葉を、パワーを届けたいっていう、覚悟をさ」
目の前にある大きな瞳には、ほこすぎ橋のライトと月明かりが反射して、小さな宇宙みたいだった。駿介は私の目を真っ直ぐ見つめたまま、右でキラキラと輝くアリーナを指差している。この目を見たら、思い出さずにはいられない。高校を卒業してからも、大学生になってからも、社会人になってからも、私が何度も何度も反芻した、あの言葉を。
高校三年の夏。受験勉強の合間を縫って、二人でバンクスのライブに行った。今は解散してしまったけれど、当時は日本で名前を知らない人はいない位、有名なバンドだった。アリーナ中に響き渡るファンの歓声と底知れないパワーが紡ぎ出す音に、私たちは圧倒された。そして、最後に聞いた、アンコールの一曲。本編とは違うアコースティックなリズムで、心地良く身体に響き渡る言葉と音。
今思い出しても、心が震えるほどの経験だった。
「あの日、リーダーが最後に言ってた言葉……俺、頭から離れなくってさ」
「『俺たちの夢は、明日を生きるのが辛い人の、一筋の光になることだ。俺たちの音が、どこかの誰かの、世界でたった一人でもいい。誰かを少しでも救えるなら、これ以上嬉しいことはない』って」
「ああ。あの一言が今の俺らを作った、と言っても過言じゃないよな」
それから私たちは、何も喋らず、ただ線路を進む列車を見下ろしていた。昔のことを思い出していた。ぼんやりとしか見えなかった思い出が、少しずつ鮮明になってくる。さっきより冷たくなった風が、頬と腕を冷やす。この感覚が、心地良かった。
「……あのさ。少しだけ、私の話をしてもいいかな」
黙って頷く駿介を見て、誰にも言えなかった本音を、今この場所でなら話せると思った。
自分が関わってきたコンサートやイベントのこと。準備がうまく進まなくて大泣きしたこと。それから、コロナのために準備していた公演が直前で中止になったこと、そのせいで私が最近ひどく落ち込んでいたこと。
「コロナでイベントができないのは、誰のせいでもない。開催が善でないことも、もちろんわかってるつもり」
「うん」
「それでも、誰かが楽しんでくれる、ひとときでも幸せになってくれるものを、どうにかして届けたくて、ギリギリまで準備して、それでもできなくってさ」
「うん」
「光の当たらない場所で沢山の人が泣いてたのに、私、どうすることもできなかったんだ。でも、この悔しさを絶対に忘れたくないって、忘れちゃだめだ、って思ったの」
「ん……俺、今それ聞いて、少しほっとしたわ」
「えっ、どうして?」
駿介は短い前髪をふわっとかき上げると、少しだけ首を傾げながら話し始めた。
「ネットでは、エンタメが死んだって言われてたろ。サブスクとか動画で、家にいても楽しめる時代になったし。一人で考える時間が多いと、本当にそうなんじゃないかって不安になるんだ。音楽や舞台は、画面で見ればいいってもんじゃないと、俺は思う。あの日みたいに、本物に触れることで伝わることがあるって、信じてる。だから、そう思ってるのは俺だけじゃなかったんだ、って」
私は俯いたまま、こくりと頷いた。遠くから、列車の汽笛の音がした。
「卒業式の後、ここで話したことも覚えてるよ、俺は」
「私も今、同じこと考えてた」
卒業式の後、橋から見下げる線路には、少しだけ雪が残っていた。埼玉は、冬でも雪が積もるのは珍しい。打ち上げの食事会を少し早く抜け出した私たちは、誰もいないこの橋で話をした。
クラスメイトが三年間の楽しい思い出を振り返っている時に、私たちは将来の話をした。まるで漫画のように、指切りをしながら。俺たちは、バンクスみたいな大人になろう。世界中の苦しい人を救えるようなことを成し遂げよう。例え誰かに馬鹿にされても、諦めないで夢を持ち続けよう。それから最後に「お互い自慢できるくらいの大人になれたらここで再会しよう」と。
「私との約束なんて、駿介はもう忘れちゃってるかと思った」
「忘れるわけない。一日だって忘れたことなかった。大学の時も、もちろん、今も」
強く吹いた風によろけそうになった私の身体を、駿介に支えられる。
「今日ここで、改めてしてみないか。なんていうか……新しい約束、ってやつ」
「ちょっと、恥ずかしいけど」
「千秋との約束なら、叶えられそうな気がするからさ」
私は身体ごと、駿介の方を向き直す。指切り自体あの日以来だなと思いながら、小さな宇宙を正面から見つめる。
「じゃ、私からでいいかな」
駿介が背筋を正すのを見て、私も真似をした。息を深く吸い込む。
「私は、例え表に見えない小さなことでも丁寧に、感謝を忘れずに。裏方としてアーティストの声や言葉を、届けられる人になる」
駿介の物憂げな表情が、合わせた指に向けられる。
「俺は、今よりもっと……もっと、世界中の、大勢の人の心を救えるアーティストになる」
約束をこの場に刻むかのように小指に力を込めてぐっと下ろすと、どちらからともなく静かに指を離した。
二人の間を、湿った空気が通り過ぎていく。
「ねぇ、突然だけど、どうして星が瞬くか、知ってる?」
「急だな。んー……地球の大気の影響、か?」
「当たり。流石だね。去年担当したプラネタリウムのイベント前に、星の知識が全然なくて、勉強したんだ。それで初めて知ったの。星が瞬くのは、ゆらぎがあるからなんだって」
私たちはほぼ同時に、真っ暗な夜空を見上げた。東京よりも少しだけ、星がはっきりと見える。誰にも言ったことはないけれど、私が埼玉を離れられない理由の一つでもある。
「駿介が悩んだり葛藤したりするの、いいと思うな。無責任に聞こえるかもしれないけど、すごく魅力的だよ」
「そんなこと言ってくれるの、千秋だけだろ」
「そんなことないよ。だって、遠い存在だったSYUNが、駿介らしく見えるもの。ゆらぎがあるからこそ、もっと輝けると思わない?」
駿介は驚いた目をして、その後すぐに考え込むような表情をした。鼻の頭を右手で触る。うーん、と唸りながら、言葉を噛みしめているようにも見える。
「千秋はほんと、今の仕事向いてるな。お前に励まされてる表舞台の人間、絶対多いと思う。なんか羨ましいわ」
それでもまだ納得いかないというように、駿介は頭をぽりぽりとかいている。私は少しだけ勇気を出して、駿介の隣にぴたりと寄り添ってみた。
「知ってるかどうかわからないけど、駿介は私にとってライバルで、何より憧れなの」
「それって、喜んでいいのか? 褒められてるのかよくわかんないけど」
「褒めてるに決まってるよ。昔からずーっと、芸能人になっても変わってない。でも、今日久々に会って、短所も変わらないなって思っちゃった。なんだと思う?」
駿介は嫌な顔ひとつせず、でもちょっぴり照れながら、教えてくれと小さく呟いた。
「駿介の短所はね、自分が凄いことを、わかってないことだよ。それから、辛いとき、誰にも言わずに無理するところ。高校の頃もそう。お父さんのことがあってすごく辛いはずなのに、気づいてあげられなかったこと、ずっと……ずっと、後悔してた……」
言葉が、続かない。悔しい気持ちが、お臍から胃袋を伝い、喉にまでこみ上げてくるようだった。でも、今ここでまた伝えられなかったら、この先一生後悔するかもしれない。駿介も、少しだけ苦しそうな顔をした。拳を胸の上に置き、強く唾を飲み込む。
「あのとき、もし私が駿介の異変に気づけていたら。少しでも気持ちを楽にさせてあげられたんじゃないかって。私がくだらない悩みぶつけて、どうでもいいことで言い合いしちゃった。後から気づいたの、あの日の駿介は変だったって。もっと、もっと私にできることがあったんじゃないか、って」
「千秋、それは違……」
駿介の声を遮るように、今日一番大きな声を出した。
「駿介は、今でも充分凄いんだから! まずは自分を認めて、大切にして。自分のこと、たくさん褒めてあげてよ。じゃないと……」
アスファルトに一粒、雫がぽたりと染みている。その時初めて、自分が泣いていることに気がついた。唇をぐっと噛んで感情を抑えようとしても、涙が溢れて止まらない。
気づくと私は、駿介の腕の中にいた。
「千秋、千秋。大丈夫だから。ほら、落ち着けって」
「私、こんなはずじゃなかっ……」
「お前、昔っから泣き虫だけど、そういうとこは変わってないんだな」
背中をとんとん、とあやされる。結局、あの頃と同じくらい弱い自分に、嫌気が指しそうになる。これ以上涙を見せたくないと思い、ぐっと堪える。
大学生になってから駿介に一度も連絡できなかったのは、悔しさのせいだった。あのとき何より大切だった駿介を、支えられなかったからだ。
「ありがとな、千秋。でも、多分、一つ間違ってることがある」
「ふぇっ……?」
「なんだよ、その声。ははっ」
「か、からかわないで」
「ごめん、ごめん。あのな、あの頃、お前がいてくれたから、心をなんとか保ててたんだよ。どうでもいいことで喧嘩したり、また仲直りして勉強したり。父ちゃんが事故で死んじゃってからは特に、一人じゃ飯も全然美味しくなかったけど……お前と食べてる時だけは、ちゃんと味がしたんだよ」
今は顔を見られたくなくて、厚い胸に顔をぴたりとくっつけるしかなかった。トクトクと規則正しく鳴る鼓動が、気持ちを和らげてくれる。
「今日、会いたかった本当の理由は、千秋にありがとうって、ちゃんと伝えたかったんだ。ごめんな、遅くなって」
私にできることなんて、ないと思っていた。駿介の優しさが、昔も今も、苦しかった。そのぎこちなさが、いつの間にか距離になった。大学生になってから何度か連絡をくれていたのに、私が返さなかった。どう返していいか、わからなかった。それで責められたことも、質問されたこともない。いつだって、駿介は他人には優しい。でも、もしかしたら駿介は、私のそんな気持ちも知っていたのかもしれない、と思った。
「駿介、ごめんね」
「何でお前が謝るんだ?」
「えっと……いろいろ、ごめんって思ってる」
「ははっ。いいよ、気にしなくて。それに俺は、高校の頃、お前からいつももらってばっかりだった。だから、何かで返したいってずっと思ってきたんだ」
私は駿介の胸板をそっと押し返した。顎まで流れた涙を、自分の拳で拭う。メイクが落ちることも、もう気にならない。
「それはこっちの台詞だよ。約束を果たせたら、少しでも返すことになるかなって思ってた。それに、駿介に負けたくないとも思ってたしね」
駿介はふいに何かを思い出したように、口に手をあてて思いきり笑った。
「昔、高田に言われたこと、急に思い出したわ」
「彩綾に?」
「うん。俺と千秋は似てるって言われたんだよ。確か、文化祭の準備してる時だっけな。そんなことないと思ったけど、もしかしたら似てるのかもな」
ほこすぎ橋に流れる空気が、ふと柔らかくなった。今ここにいる駿介は、テレビで見るSYUNよりもずっと自然で、優しくて、強くて、魅力的だ。もっと大勢の人にこの人の良さを知って欲しいと思う反面、この柔らかい表情だけは独り占めしたい、とも思ってしまう。
「でも、ほんと。俺の短所は千秋がさっき言ってくれた通りかもな。俺はまず、自分のこと……ちゃんと見てあげないと、いけないよな」
「大丈夫。駿介は、もっともっと輝けるよ。絶対に。それは、私が保証する」
「頼もしいなーまったく」
けらけら笑って、私の髪をぐしゃぐしゃにする。もうそこに、ぎこちなさはなかった。理由はわからない。でも、さっきより、もしかすると卒業式のあの日より、ずっと近くに感じられた。
「俺はもっと自分のことさらけ出して、ゆらいでもいいのかもな。なんてったって、STARSだから……なんてな」
「もう、なにそれ」
二人で、声を上げて笑った。
涙で滲んだけやき広場の電飾が、ゆらゆらと瞬いていた。
それから私たちは、もう一度だけ指切りをした。あの日と同じように、決意の約束を。
「二人で、世界に届くようなエンタメを創ろう。例え誰かに馬鹿にされても、諦めないで夢を持ち続けよう。夢を成し遂げられたら、その時は二人で、美味しいお酒を飲もう」と。
きっともう会えなかったとしても、この先どんなに仕事が大変で悔しい思いをしたとしても。
この約束さえあればきっと頑張れる。そう思った。
暗いトンネルの中で、先が見えずにただただもがいていたけれど、駿介との再会は、私にとって大きな変化になった。
大勢の人の心を動かすには、まず目の前の人を幸せにできる人でないといけない。それから何よりも、自分が幸せでないといけないのだ。
・・・
〈第5話〉
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