日本保守党は「オレンジ党」のなり損ないか⁉️――「空っぽ」の器が吸い込む、現代日本教の闇
「あなたは今日、どの神谷さんですか?」
ナザレンコ・アンドリー氏が放ったこの皮肉な問いかけが、今、ネット上で静かな波紋を広げている。移民反対を叫んだかと思えば、受け入れ容認に転じ、果ては「日本はもともと移民国家だ」とまで言い出す。一貫性のなさを一貫させているその姿に、多くの有権者が首を傾げている。
しかし、この変節を「個人の資質」と片付けていいのだろうか。中国情勢に詳しい中川コージ氏は、この「オレンジ党(参政党)」の本質を、ある不気味な言葉で表現した。
――それは、**「ホムンクルス(人造人間)」**であると。
1. 事務局という名の「脳」が支配する人造組織
中川氏の分析によれば、参政党という組織は、国家を救うための手段ではなく「組織を拡大すること自体」が目的化した怪物だ。
その最大の特徴は、**「事務局独裁」**にある。 党員も、候補者も、あるいは議員ですら、巨大な組織を動かすための「替えのきく駒」に過ぎない。ボードメンバーと事務局が、試験管の中で培養するように党員をコントロールし、組織を肥大化させる。
彼らには、守り抜くべき中心的なイデオロギーなど存在しない。右であれ左であれ、陰謀論であれ反ワクチンであれ、その時々の大衆に「刺さるもの」を貪欲に飲み込む。 神谷氏は「党員の意見で決める」と美名の下に語るが、それは裏を返せば、**「リーダー自身が掲げるべき革新的な信念が空っぽである」**ことを自白しているに等しい。
2. 「日本教」の亡霊が、政治の服を着て現れた
なぜ、これほどまでに「中身が空っぽ」な組織が熱狂を生むのか。その謎を解く鍵は、かつて山本七平や小室直樹が提唱した**「日本教」**という概念にある。
日本教とは、特定の教義(ドグマ)を持たない。むしろ「空っぽ」であることを特徴とする。そこにあるのは教義ではなく、構成員を縛り付ける強固な「規範」と「空気」だ。 「身内か、それ以外か」という縄張り意識。 身内の論理がすべてに優先され、外部に対しては排他的、あるいは無関心。
参政党が体現しているのは、まさにこの日本教的な「村社会」の論理だ。思想が空っぽだからこそ、強力な事務局が課す「空気」が教義の代わりとなり、熱狂的な支持者を結束させる。
3. 「日保」という名の、もう一人の双子
ここで、もうひとつの勢力に目を向けてみたい。日本保守党(日保)だ。 私には、この二つの組織が「同じ親から生まれた双子」に見えてならない。
日保もまた、実態は「事務局(事務総長)独裁」の組織である。有本事務総長の差配がすべてを決定し、党員や支持者はその意思に追従することを求められる。 だが、参政党という「洗練されたホムンクルス」に比べ、日保はあまりに**「出来損ない」**だと言わざるを得ない。
参政党が、空っぽな器を組織力とオーガナイズで埋め、システムとして拡大しているのに対し、日保にあるのは「特定の個人のエゴ」である。百田・有本両氏の自尊心を満足させるために、受けそうな言説を食い散らかし、アンチを信者に攻撃させる。その様は、組織運営というよりは、稚拙な「教祖ビジネス」に近い。
4. 結末:私たちは何を見せられているのか
参政党と日保。 一方は高度にオーガナイズされた「システムとしてのカルト」、もう一方は属人的で稚拙な「出来損ないの双子」。 しかし、その本質は同じだ。
独自の信念やイデオロギーは存在せず、中身は空っぽ。
事務局が絶大な締め付けを行う上位下達の独裁体制。
外部に対しては極めて攻撃的で、排他的。
これらはもはや「政党」と呼べる代物ではない。日本社会の底流に澱(おり)のように溜まった「日本教」的な共同体論理が、政治という衣をまとって噴出したものだ。
「空っぽ」の器は、何にでもなれる。だからこそ恐ろしい。 私たちは今、救世主を求めているのではなく、単に自分たちを縛り付けてくれる「心地よい空気」を求めているだけではないか。その危うさを、この二つの「双子」の姿が雄弁に物語っている。
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