二つの月が恋した太陽 -第一章-
石垣の隙間に、一輪の。
「……ふぅ、あと少し」
栴檀 陽(せんだん はる)、二十八歳。
誕生日の自分へのご褒美は、都会の喧騒を離れ、一人で訪れた山城の石垣だった。
私は曲げず嫌いだ。仕事でも「栴檀さんなら安心」という期待には、いつも笑顔で、全力で応えてきた。
でも、その誠実さの積み重ねが、時々、心地よくも重い疲れとして肩にのしかかる。
だからこそ、誰にも邪魔されないこの静寂と、ここに来る必要があった。
「いた! やっぱりここだ!」
視界が開けた先に、それはあった。
野面積み(のづらづみ)。
自然の石を、加工せずにそのまま積み上げた荒々しい石垣。
不揃いな石たちが、互いの凹凸を噛み合わせ、何百年もの時を耐え抜いてきた姿。
「かっこいいなぁ… 無理に形を整えなくても、こうして支え合えば崩れないんだもんね」
私は石垣の表面を優しく撫でた。太陽の熱を蓄えた石は、ほんのりと温かく、その温かさに少し癒される。
一眼レフを構え、ファインダー越しに石肌を見つめる。
ふと、ゴツゴツとした石の隙間に咲く、一輪の小さな黄色い花を見つけた。
厳しい環境に根を張り、けれど凛と空を仰いでいる。
「君、根性あるね。今日、会えてよかった。」
もっと近くで撮りたくて、ファインダーを覗いたまま斜面に一歩踏み出す。
その瞬間、昨夜の雨で緩んでいた地面が、私の足をさらった。
「あ、わわっ!」
視界が急激に傾く。真っ先に浮かんだのは、自分の怪我よりも、手に持った愛機の安否だった。
レンズを守るように抱き寄せ、衝撃に備えて目を閉じた……
けれど、地面の硬さはやってこなかった。
代わりに、左腕をぐいっと引き戻される感覚。
「おっと。……っ危なっかしいなあ」
聞き慣れない関西の方の言葉。
驚いて目を開けると、そこには首からカメラを下げた、見知らぬ青年が立っていた。
「え…… あ、すみませ…」
謝ろうとした私の言葉を無視して、彼は私の顔ではなく、抱えられたカメラを覗き込み、レンズフードを指先でトントンと愛おしそうに撫でたのだ。
「せっかくのフルサイズが泣くわー。……自分、大丈夫やったかー?」
「……は?」
「カメラ、傷つかんでよかったわ。これ名機やからな。大事にしたってや」
彼は満足気にそう言うと、こちらが呆気に取られている間に、ひらひらと手を振って歩き出した。
「まあ、気ぃつけや。どんくさ姉ちゃん。ほなねー。」
去り際に投げられた言葉の棘が、遅れてチクリと胸に刺さる。
『…はあ!? なんなの、今の!!』
少しの間、茫然としてしまったけど、冷静になってみると、呆気に取られ、直後の腹立たしさで、まともにお礼すら言えていなかったことに気づく…
彼の言葉はひどく失礼だったけど、彼が腕を掴んでくれなければ、今頃私は怪我をしていたし、大事なカメラも壊していたはずだ。
「……最悪。ちゃんとお礼言えなかった…」
どんな場面でも、誠実でありたいと思っている自分が、情けない失敗をした気がして…
せっかくの青空が、少しだけ曇って見えたようで、肩を落とした。
