み
僕はひらがなの"み"を書こうとすると、つまづいてうまく書けない。
二画目から、下に書いて右にはねないといけないのに、左にどうしても書いてしまうんだ。
まるで鏡文字みたいになる。
えんぴつの芯がポキンと鳴って折れてゆく。
自分の名前は、さとうたかしって書けるのに。
「なぜ"み"はこんなに難しく苦しいのだろう」
ピカピカの小学一年生になって、名前以外のひらがなを学んだ。
始めは、不思議と書けなかった。
ぶきっちょだが、ようやく書けるようになったのは、数カ月後。
時間割のことも、「どうして分からないの?」と言う母に何度も教えてもらい、やっと分かるようになった。
他にもおかしいことがある。
人よりおむつが外れた時期も四歳になってからだ。
食べたいお菓子を母親が買ってくれない。
スーパーの外でしゃがみ込んで泣きわめいたんだ。
「これを、かんしゃく持ちって言うんだっけ?」
玉子がけごはんとお菓子だけ食べると言う強い偏食もある。
先生から、持ち物を指示され覚えておらず、忘れ物も多い。
空想の世界にこもるから、授業はつまらなく聞いていられない。
もちろん、勉強をしないから落第点だ。
算数や数を理解できない。
国語は、話しの世界だけが好きだ。
だが、記憶力は抜群にいい。
カレンダーの日付、数字や語句だけを覚えるのは得意で答えを丸暗記。
再テストは、満点を取った。
「わざとじゃないんだ。分からないだけなんだ」
学校では場面緘黙症になる。
集団行動や学校の組織が苦手だが、スリルなことは好きだ。
黙々と木登り、コンクリート工場へ無断侵入、焚き火、友だちのポケモンカード盗み、危険な遊びをたくさんする。
そのたびに大人たちに叱られ、同級生から非難轟々の声が上がり、あざけるいじめに発展した。
仏頂面で笑みを湛えることができなくなった僕を、母は児童精神科へ連れ出した。
えーでぃーえいちでぃーとえるでぃー障がいと診断された。
それもよく分からなかった。
ただ、先生の言葉に昏い表情になった母が印象的だった。
「僕は、人と違った障がいなんだ」と頭の奥がズキンといたぶられた。
役に立たない人間は、消えてしまおう。
そんな心に蝕まれベランダから、飛び降りようと思った。
手すりの太いところに立ってみたけど、三階だから死ねない気がして。
結局、足元がすくんでやめた。
あげくの果てに、学校でイジメを受けていることが両親に発覚。
母は、学校に啖呵を切って乗り込んでくれた。
おかげで収まったが、またイジメは繰り返された。
そのことは、誰よりも親に知られたくなかった。
僕がみじめで嗤われる人間じゃないかって。
ぶざまな現実を受け入れる勇気がなかったんだ。
母は、不登校になった僕に諭すように言った。
「たかし、いじめは二百パーセント、いじめた側が悪いから。あなたは人と違うかもしれないけど、天才病だからね」
「天才病?」
「そうよ。有名の人でアインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチやエジソンは、同じ障がい者よ。得意なことが生かされる天才になるの」
「母さんは、僕のこと迷惑じゃないの?」
と掠れた声で訊いた。
「そんなことないわ。子どもは、みな優れた財よ。みんな、何かの天才。たかしは、未来から来た使命がある子よ。子育ての苦労も、崖っぷちになった後は、はい上がるだけよ」
「母さん、ありがと……」
強く結んだ唇がふるえてきた。
顔をクシャっとさせた母が僕を抱き寄せると、ふたりで止めどなくむせび泣いた。
こだわりが強い僕。
人と目を合わせづらく、興味関心のないことに集中力が続かない。
しかし、すきなことは人一倍集中する。
絵を描くことだけは、やめられない。
多分、こう信じたいんだ。
与えられた試練は、最後は乗り越えられるって。
生まれる前から、艱難なこの人生を願ったなって。
「真の喜びを見いだして幸せを証明するために僕が選んだ道。だから、この世に生まれた」
大人になった僕。
イラストレーターとしてだいすきな絵に挑戦している。
納期を守れなかったり、ミスがあったら三倍の努力と克服をしていくよ。
時々、ひとつだけ許してほしいんだ。
ポキン、ポキンと芯が折れて、"み"がうまく書けなくなることを。
完
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