訃報の知らせに生を想う
親戚の訃報の知らせに触れた。
そんなときはいつも
理由を必ず知りたくなる。
理由を知りたいのは
気になるから?
突然だから?
知って自分の気持ちを
落ち着かせたいから…
納得させたいから…
身内ではないにしろ
やはり知っておきたいのかも。
そして…
知りたくなかったことを
知ってしまう…
その後に
その人に持っていた印象が
少し変わってきたかもしれない。
今までも…
人の訃報を何度も耳にしたり
直接目の前で遭遇したり。
いつもそう…
「死」に触れると
「生」を考えてしまう矛盾。
「死」には
否応なしに
人の人生が凝縮されてしまう。
大袈裟じゃなく…
その人の生き様が
その人の残像となり
残された人に刻まれる。
近ければ近いほど…
その「生」を
意識させてしまう。
だから…
悲しみの後は
どう生きる?
に変わっていく。
いつもそう…
「死」から
「生」を教えられる。
死ぬ時は、多分…
生なんて
微塵も考えてないのだろうけど。
いいなと思ったら応援しよう!
頂きました大切なサポートは、良い記事が提供し続けられるよう、noteでの自己研鑽の為の購読や勉強に使わせて頂きたいと思っております。