【画廊探訪 No.182】舞台の隙間の隙間をカラカラと吹く日常の風――『Life as usual いつものような日々に』 長沼翔出品作品に寄せて―――
舞台の隙間の隙間をカラカラと吹く日常の風
――『Life as usual いつものような日々に』Gallery FACE to FACE企画
長沼翔出品作品に寄せて―――
襾漫敏彦
僕らの出会う今は、これまでの思い出の形によって飾られている。そして、思い出の形を並べたところに、これからの物語は、見立てられていくが、その時、踏み出す一歩は、形の間の空地に足跡を残す。

長沼翔は、シャープな描線を刻む銅版画家である。彼は幾何学的に構図をさだめ、そこにフォルムを変容させた図像を嵌め込んでいく。そして、エッジのきいたシャープな線を描き込んでいく。フォルムを変容させた図像は、演劇の舞台に立てられた大道具のようにあらわれる。
長沼の作品の前に立つとき、想像力が俳優となって展開する演劇を見ているような気分になる。

風景は、人生という演劇の舞台のようなものである。かつて、風景には、情緒があり、温度があり、物語があった。そして意味があった。けれども、その道を先へ先へと進めたとき、全てが消え始めた。
三十も違う僕が風景に見えたものと、長沼が風景に見ているものは違っている。そして熱い政治の季節に生きた人、大戦の時代に生きた人々が見た風景も異なるだろう。それでも、長沼の作品の中には、ひとつの普遍的な情緒を感じる。

かつての時代に生きていた若者達は、あまりにも深く物語に染まっていたのだろう。それでも舞台から離れ、関わりと、フッと切り離されたとき乾いた寂しい風が吹く。皆、時として、そんな寂寥の中に自分を確かめるように孤独を感じた。
物語が崩れ落ちたディストピアの時代といわれる。けれども、ユートピアもディストピアも、どこにもないトポス(場所)である。確かなのは、生きる今を支える乾いた風の吹く清潔な舞台だけであろう。

