頼まれもしないのに毎日「一喜一憂」する人たち
私は「推し活」を真っ向否定している。対象を好きになるのは「根拠」があるからだ。その「根拠」がなくなれば洟もひっかけない態度が正しい。一度好きになったからと言って、べったりつきまとったり、何でも買ったりするのはファンではなく「依存」「中毒」だ。是々非々の姿勢であるべきだ。
その考えと矛盾するわけではないが、私は野球が好きになってから、毎日気になって成績を確認する選手が常に1人いた。
野村克也
最初に気になったのが、南海ホークスの野村克也だった。小学校3年のクラスメートに「野村君」がいて、彼が「好きだ」と言ったので注目し始めたのだ。ファンになるきっかけは大概、そういう他愛ないものだが、当時、南海の試合はテレビでもラジオでもやっていなかったから、毎朝、新聞のスポーツ欄で試合結果を見て野村の成績を確認し、パの打撃10傑のランクを確かめた。
野村の打率はたいして高くなかったからベスト10に載っていないことも多く、週に1回掲載される打撃30傑で見つけることも多かった。
1977年のシーズン終盤、野村はよめはんのサッチー絡みの公私混同問題で、南海を追われた。私は人生の楽しみの半分が奪われたような気がした。ロッテに移籍してからも成績を追いかけはしたが、毎日試合に出るわけではなく、気持ちは冷めていった。
清原、門田
そのあとに気になったのが清原和博だ。PL学園時代の活躍というより、高校出たての19歳が、プロで通用するかどうかが気になったのだ。まだ屋根のない所沢の球場にも見に行ったし、大阪球場でホームランを打ったのも見た。
1年目で30本を打ち、10年選手のような貫禄ある打席は見ものではあった。
しかし2年目だったか、記者に「あかん、財布に20万しかない、遊びに行かれへん」と言ったという記事が出て興ざめした。
その後「うまい酒飲んでええ女抱くために野球やっとんじゃ」と言ったと聞いて完全に気持ちが離れた。
門田博光が40歳を控えて猛烈に打ち始めると、それが気になった。当時、私は大阪の淀屋橋に勤めていたが、仕事が終わるとタクシーを飛ばして大阪球場に駆け付けて南海の試合を観た。
当時の門田は、バットを構えると微動だにせず、投手を凝視し、一振りで投手を仕留める凄腕だった。野村克也が退団して10年、南海ホークスは優勝争いから見放され、注目すべきこととてなかったが、門田だけは異次元の活躍をしていた。
88年オフに南海が身売りされダイエーになると、門田は九州に行かずオリックスに移籍した。その後ダイエーに入った。
ずっとあとになって独立リーグ大阪ホークスドリームの監督になってから私は門田を再びグランドで見たが、こんなに小さかったのか、と驚いた。

イチローとともに
このあとがイチローだ。彼が210安打を打ってブレークした1994年から毎日の試合をチェックするようになった。翌年阪神大震災があったが、その復興と彼の活躍が重なって見えた。当時、私が勤めていた会社も被災したが、イチローを見るために西神のグリーンスタジアム神戸にも行った。
あの独特の打撃フォームは、遠いスタンドからでもはっきり確認できた。2001年にMLBマリナーズに移籍すると、朝のBSでイチローの成績を確認するのが日課になった。
2004年、イチローがジョージ・シスラーのMLBシーズン安打記録に迫るころ、私は毎日会社のパソコンのMLB公式サイトを開けたまま仕事をしていた。メディアの皮算用を上回る勢いで安打を量産したのには驚いた。ただこの年、イチローはMVPになっていない。この時期からセイバーメトリクスの考え方が普及し「安打」の価値が相対的に下落したのが大きかったのではないか。
2019年、イチローが東京ドームで引退するまで見届けることができたのは、本当に幸せなことだった。

ただの野球ファン
こうして書いてきて「何の変哲もない、ただの野球ファンじゃん」ということに気が付いた。世間が知らない隠れた名選手に注目していたわけではなく、世間が騒ぐスター選手を普通に追いかけてきただけだ。
しかし、そういう誰もが注目する野球選手に一喜一憂してきた私の野球ファン人生は、実に充実していたのも事実だ。
そして今、皆の衆と同じように、私は毎日、大谷翔平の数字を気にしている。今は野球のライターとして日々いろいろな話題を記事にし、取材もしているが、そういう傍ら、MLBの「Game Day」でドジャース、大谷の成績をずっと気にしている。
最近、MLBの公式サイトは日本のファンを気にしだして、変な日本語が混じりだしかえって見づらくなっているが。
シーズン中は私はあちこちを回って野球を見たり取材をしたりしている。今は九州でこのNoteを書いている。日々原稿も入稿出来て、大過なく生きているのだが、最近どよんとした気持ちに陥ることがあって、なぜなのか、と考えてみたら、MLB公式サイトを見て「また大谷4タコ、5タコ」と絶不調の情報に接するからだ、と気が付いた。
ただの野球ファンの私は、このまま大谷が「並みの選手」に成り下がるとは思いたくなかったが、今朝、大谷は53打席ぶりのホームランを打った。反対方向であり会心の一打という感じではなかったが、打球角度が上がったのは復調の兆しのように思えた。
「愁眉を開く」思いがした。彼自身もほっとしただろうが、多くのファンも胸をなでおろしたはずだ。
思えば、野球ファンとは、赤の他人の野球選手のために、頼まれもしないのに「一喜一憂する」不思議な人たちなのだ。幸せなことではあるが。

