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少年野球と「飲酒」について

まあ、よくも続くと思うが、昨日までハマスタで野球を観て、今日は横須賀スタジアムで、ファーム・リーグのDeNA対ハヤテ戦を観た。
ハヤテはファーム加盟審査の記者会見から密着している。昨年末の「くふう騒動」では気をもんだが、オイシックスほどではないにせよ、強くなった。着実にチームの体制を整備している。

陽気な少年野球

このことは稿を改めて書くつもりだが、週末の二軍球場には地域の少年野球チームが集団でやってくることが多い。主催チームが招待するのだ。
このあいだもそういうグループがいた。非常に陽気なグループで、大人も子供もみんな笑いさざめきながらスタンドに入ってきて、席に着くなり選手に歓声を送っていた。
球場の雰囲気が明るくなるから、これはいいことだなと思っていた。
グループは席に着くと、弁当の蓋を開けて食べだした。監督やコーチなど男の大人たちはビールや焼酎を飲み始めた。
彼らはさらに陽気になり、あちこちで大声で笑いだした。
お母さんもたくさん混じっているが、本当に明るくて陽気で、子供が大人によくなついていて、楽しい少年野球チームだな、と思っていたのだが。

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これって本当にいいことなのか?

しばらくすると、酎ハイを飲んでいる大人の一団に、年長と思しき子供が氷を配り始めた。「こっちにもくれ」「はい」みたいな感じで、大人の間を子供が動いている。
私ははっとした、これって本当にいいことなのだろうか?
日本の法律では飲酒は禁じられていない。
家庭で子供とテーブルを囲んだお父さんがビールや酒を飲むことも、日常で普通にあるだろう。
飲食店に家族連れで入って、子供の間で酒を飲む父親や母親も普通にいるだろう。昨今は居酒屋が「家族連れ」をターゲットにしてメニュー開発をしているとも聞く。
しかし、野球チームの集まり、つまり本来は「子供が主役」の集団で、大人が酒を酌み交わし、子供が「給仕」めいた動きをするのは、本当にいいことなのか。

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「空白の20年間」と酒

日本では「酒」を媒介したコミュニケーションで物事が決まってきたとされる。日本政治の本当の「核心」は、高級料亭が舞台だったといわれているし、堅苦しい会議ではなく「飲みにケーション」で、物事が動いてきたともされる。「待合政治」という言葉もある。
しかし、そうした酒を介したコミュニケーションは結局のところ物事をファクトに基づいた「是々非々」ではなく、なし崩し的な「なあなあの関係」で決める悪しき習慣になったのではないか?
バブル経済以降の日本経済が「空白の20年間」と呼ばれる停滞期を経たことで、国力を決定的に低下させたのも、結局のところ「身内の論理」で「出来レース」を繰り返したからではないか?そしてその背景に、日本独特の「飲めばわかる」コミュニケーションがあったからではないか?
日本の野球も、草創期以来「酒臭い」ものだった。野球選手は「勝てば飲み」「負ければ飲み」、飲むことで人間関係を深めてきた。
しかし、そうした関係が「事実を直視せず」「過去の栄光にすがる」日本球界を作ってきたのではないか?

ついていけない親子もいたはず

球場で酒を酌み交わす少年野球のグループは、実に仲良さそうだったが、その周囲にはこうした雰囲気に「ついていけない」ために、離脱した親子がいたはずだ。
野球場でプロ野球の試合を観戦しながら、一流のプレーをみて「何かを学ぶ」ことをせずに大声を張り上げて騒ぐ大人と、それを見ている子供、という関係は、本当にそれでいいのか。そういう空気に嫌気がさした父母もいたのではないか?
要するに、今の日本野球に染み付いているのは、何かといえば「人間臭い交流」で何とかしようとする「なれ合い主義」なのではないか?アルコールはその媒介をしているのではないか?

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「酒にだらしない」のは良くない

私はタバコは吸わないが、飲酒はしてきた。酒の席で色々な話もしてきた。それは有意義だったとは思うが、もはや酒の席で「大事な話」をまとめるようなことはあってはならないと思う。
同様に、子供の未来を考える「少年野球」の指導者、大人たちが「酒にだらしない」のは良くないのではないか?
「飲酒」という「大人のたしなみ」は、あくまで大人の世界であって、子供たちを早い時期から巻き込むべきではないのではないか?
酒を飲む飲まないは、子供が自分の判断で決めるべきであって、そこに大人が介在すべきではない。ましてやそこに「野球」が絡むのはあってはならない。

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