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引退したのが48年も前だから、実際に見た人は本当に少ないに違いない。
私は、大阪球場で辛うじて見ている。
福本豊に次ぐ盗塁数を誇り、右の安打製造機でもあり、守備範囲の広い中堅手でもあった。
そして1歳上の野村克也の背中を見て出世した選手でもあった。

野村とともにファーム暮らし

広島県大竹高校出身、高校時代は投手だった。1955年に南海に入団。1年目は一軍公式戦に出場せず、二軍暮らしだった。
ファームには2年目の野村克也がいた。野村は1年目の1954年は一軍の試合に9試合出たが、2年目は二軍暮らし。肩が弱かったため、捕手失格の烙印を押され、この年の野村はファームでは一塁手だった。
広瀬も肩を痛めたため、投手を断念し、外野手に転向した。
野村はこの年、ウエスタン・リーグで 24試合78打数25安打
1本塁打7打点2盗塁 打率.321(2位)と言う好成績を残したが、球団の評価は低かった。しかし翌年2月のハワイキャンプに「カベ(ブルペン捕手)」として帯同し、実直に練習をサポートしたことから鶴岡一人監督の信頼を得て、この年に正捕手になる。
広瀬は肩が良かったので外野手から内野手に転向、翌年は19試合ではあるが1軍の試合に出場、三塁と二塁を守っている。

大卒と高卒を競わせる

この時期の鶴岡一人監督は、自信と同じ大学出身のエリート選手と、野村や広瀬のような高卒のたたき上げの選手を併用し、競わせていたような印象だ。
1960年のメンバーでいうと
投手陣
 大・杉浦忠(立教大)通算187勝106敗 防御率2.39
 高・皆川睦男(米沢西高)通算221勝139敗 防御率2.42
野手陣
 大・杉山光平(専修大)通算1305安打88本67盗 打率.279
 大・穴吹義雄(中央大)通算814安打89本25盗 打率.264
 大・長谷川繁雄(法政大)通算537安打54本47盗 打率.269
 大・大沢昌芳(立教大)通算501安打17本38盗 打率.241
 高・野村克也(峰山高)通算2901安打657本117盗 打率.277
 高・広瀬叔功(大竹高)通算2157安打131本596盗 打率.282
 高・森下整鎮(八幡高)通算1188安打50本315盗 打率.256
 高・岡本伊佐美(洛陽工)通算1018安打125本182盗 打率.257
通算成績は他球団の実績も含む。杉浦や穴吹の獲得を巡っては、札束が乱れ飛んだと言う話もあるが、そこまでして獲得した大卒有名選手よりも、テストを経て入団した高卒選手の方がはるかに活躍したと言うのは興味深い話ではある。
なお大沢昌芳は、のちの大沢啓二、大沢親分だ。立教の大スターの長嶋茂雄をエースの杉浦と共に南海に入れるために画策をしていたとされる。長嶋は南海に断りを入れたが、その席上、大沢親分は激高したと言われている。

屈指の右打者

広瀬は1958年に規定打席に到達、以後リードオフマンとして活躍。当初は遊撃手だったが、1961年に初めて盗塁王のタイトルを取り、翌年外野手にコンバートされ以後5年連続で盗塁王。1964年には打率.366で首位打者となる。
この打率は1985年に落合博満が抜くまで、右打者の最高打率だった。
右打者、シーズン打率5傑
 2008年 内川聖一(横浜).378(500打189安)
 1999年 R.ローズ(横浜).369(521打192安)
 1985年 落合博満(ロッテ).367(460打169安)
 1964年 広瀬叔功(南海).366(456打167安)
 1950年 藤村富美男(大阪).362(527打191安)

屈指の盗塁成功率

広瀬と言えば盗塁。5年連続盗塁王、通算596盗塁は、福本豊に抜かれるまでNPB史上1位だった。
広瀬は福本と異なり、盗塁記録を伸ばすことよりも、試合の勝敗に関わる重要なシーンでの盗塁にこだわった。また、成功率にもこだわった。
通算300盗塁以上の選手の盗塁成功率6傑
 西川遥輝 .839(343盗66死)
 広瀬叔功 .829(596盗123死)
 松井稼頭央 .819(363盗80死)
 赤星憲広 .812(381盗88死)
 木塚忠助 .808(479盗114死)
 福本豊 .781(1065盗299死)
記録マニアは、西川が300盗塁に到達して、広瀬の記録を抜くのはいつなのかを心待ちにしていたものだ(下の写真は拡大してみていただきたい)。

広瀬はなんであんなに…

私が広瀬を見た時には、すでにレギュラーではなく試合後半に代打で出てくることが多かった。地味な印象の選手だった。
記憶に残っているのは、NHKの解説者になった鶴岡一人が、外野守備に就く広瀬に対して
「広瀬はなんであんなに後ろを守っているんでしょうね」と言っていたことだ。若いころの広瀬は守備範囲が広かったので、外野守備でも前を守っていたのではないか。衰えて後ろを守る広瀬に違和感を持っていたのだろう。

1977年、野村克也はサッチー事野村沙知代の「公私混同」の責任を問われて南海ホークスを追われた。私は人生の半分の楽しみがなくなった気がしたが、この年、広瀬も引退。18歳の私にとっては、好きだった南海ホークスの終焉の年だった。



 



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