『望んだもの、与えられたもの vol.12-14』-創作大賞2025(エッセイ部門)応募作品-(6/10投稿)
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はじめに
作品のコンセプト
『望んだもの、与えられたもの』
一見すると「願ったものは与えられなかった」と語りながら、実は「本当に必要なものは与えられていた」
「人の願いと、人生が与えるもののズレ」 の両極の現実を一度は素直に受け止める事ができた時、その深い洞察の先に新たな価値観への扉が開くのではないか🤔💭
洞察を通して、人間の視点から見れば「不足」や「欠落」と感じることも、視座を高め、より広い視野から見れば「成長」と「気づき」のために必要なのかもしれない🤔💭
それはまた、人は「力」や「成功」を求めるけれど、実際に与えられるのは「弱さ」や「失敗」だったりする。でも、その「ズレ」が、人生の深みを作っていくのかもしれない🤔💭
このような詩(うた)をストーリー仕立てのエッセイにまとめ『望んだものと、与えられたもの』 の対比が鮮明となるようにメイキングしてみたい🤗
メモ📝
2025/6/5現在、『望んだもの、与えられたもの』をテーマにしたエッセイは、ちょうど20作品を数える。
区切りとして、ショートエッセイを応募することにしました☺️
作品のイメージアート

女性の姿:「静謐のなかで人生の答えに手を伸ばす」瞬間をとらえた姿。
彼女のふたつの掌は何を感じようとしているのか――それはまさに「欲したものを手に入れようとする右手」と「与えられたものを静かに受け取る左手」の二面性を象徴している。
着物の織り模様には、星雲のような銀河や波紋が広がり、人生の軌道──すなわち、希望・選択・錯綜・回帰──の複雑なレイヤーを内包する宇宙の布帛(ぬの)が描かれている。
髪飾りの白い花は、「願い」を象徴すると同時に、「散ること」への覚悟も帯びた二面性を象徴している。
背景に浮かぶ光輪と螺旋は、「この世界の外からの視座」を示す。
私たちは常に主観という点の中に生きているけれど、実は、その背後にはもっと大きな軌道、与えられたカイロスの時間が流れていることを、彼女の後ろに広がる幾何学が静かに語っている。
✍️コンセプトとアートのリンク
このアートは、本構想の物語──
「望んだものではなかったが、必要なものだった」
というメッセージに、視覚的な奥行きを与える強力なメタファーとして作成した。
求める掌と、受け取る掌
華やかな着物と、内に秘めた瞑想的なまなざし
願望としての花と、散る運命を受け入れる美しさ
動的な背景と、静的な存在感
すべてが、「ズレ」という余白の中にこそ人生の真理が宿るというテーマに収束する。
✍️『異質なものとの調和力』との関連性
『望んだものと、与えられたもの』
経(たて)糸と緯(よこ)糸を組み合わせ
織り成すのが染織(布)、これが布帛(フハク)
このテーマで言えば
望んだものを経糸とするならば
与えられたものは緯糸
このたて糸とよこ糸が組み合わさって
織り成されるのがエッセイ(物語)
望んだものと与えられたもの(望んだものではない)
の両極の『ズレ』が、エッセイを通して織り成す
つまり、両極の『ズレ』は『ニコイチ』☯️だ
すなわち、BLUEの価値観『異質なものとの調和力』そのものなんだ☺️
(参考記事)
💎掲載作品💎
『望んだもの、与えられたもの-過去と未来』 vol.12
過去を振り返ると、後悔や懐かしさ、学びが入り混じった感情が湧き上がる。未来を想像すると、不安や期待が交錯する。しかし、どちらも「今」という瞬間からしかアクセスできない。人は過去の教訓を未来へ活かすために生きていると言われるが、その過程で「現在」という最も重要な一点を見失ってしまうことが多いのではないだろうか。
過去と未来に意識を向けながらも、その二つの極に引き裂かれないようにするにはどうすればいいのか。意識のベクトルが、過去へ向かうほど「懐古の情」に沈み込み、未来へ向かうほど未知への「不安」に苛まれる。では、「現在」を意識するとは、一体どういうことなのか。

現在という点の意識
時間を考えるとき、物理学では「プランク時間」という極小の単位が登場する。これは、時間をどれだけ細かく区切っても、それ以下には分けられない最小単位とされている。つまり、「現在」は一見連続して流れているように思えても、実は極小の時間の積み重ねに過ぎないのではないか。
過去も未来も、我々が認識している時間の流れのなかで生まれる概念にすぎず、本当の意味での「現在」は一瞬ごとに完結しているとも考えられる。その証拠に、私たちは現在を「経験」することしかできない。過去を経験することはできないし、未来を直接見ることもできない。ただ、脳の記憶が「過去」を呼び起こし、想像力が「未来」を描いているに過ぎない。
現在を生きるとはどういうことか
もし時間が連続的ではなく、「現在」という極小の点(プランク時間)の連続体として存在するのだとしたら(現在+と定義)、その瞬間瞬間にどれだけ意識を向けられるかが、本当の意味での「生きる」という行為になるのではないか。
私たちは、日々のルーチンの中で「今」を無意識に流してしまう。たとえば、朝起きて仕事に向かい、何かを成し遂げ、夜には疲れ果てて眠る。その一連の流れの中で、「この瞬間に私は何を感じているか?」と立ち止まることはどれだけあるだろうか。
現代社会では、スマートフォンの通知、次々と流れるニュース、終わらないタスクリストによって、未来へと駆り立てられがちだ。しかし、私たちが本当に意識すべきは、今、目の前に広がる現実だ。
たとえば、歩いているとき、足裏の感触や風の流れ、周囲の音に気づくことができるだろうか。食事をしているとき、その味や香りをしっかりと味わっているだろうか。会話をしているとき、相手の言葉を深く受け止め、しっかりと聞いているだろうか。
もし、私たちが「今🈁」に意識を集中できるようになれば、過去や未来に囚われることなく、本当の意味での「生きる」を実感できるのではないか。

『現在=今🈁』ファーストで “生きて”こそ
今を大事にしないで、
過去と未来の可能性の中に生きることは
アドラーも明確に否定している😳
補足
現在の点(プランク時間)は人間では感知できない
現在の連続体(集合体)として、初めて認識できる
これを『現在+』と呼ぼう
過去の束縛、未来の幻想
もちろん、過去を振り返ることが全て無駄だというわけではない。過去の経験から学び、未来への希望を抱くことは人間の本質の一部だ。ただ、それが「現在を犠牲にして」までなされるべきではない。
多くの人が、過去の出来事に縛られて生きている。失敗したこと、後悔したこと、叶わなかった夢。それらが心の奥底に残り、時に未来への不安を生み出す。だが、過去はもう変えられないし、未来はまだ確定していない。では、なぜそれに囚われてしまうのか?
それは、脳が時間を直線的に捉えるようにできているからだ。我々の意識は過去から未来へと流れるものだと信じ込んでいる。しかし、もし時間が本来、流れていないものだとしたら?
この視点に立つと、時間というものが「人間の主観的な創造物」に過ぎないことに気づく。エントロピーの増大という物理法則が、我々に時間の流れを感じさせるだけで、本当の意味で過去や未来が存在しているわけではないのかもしれない。
今、この瞬間を生きる
ならば、私たちはどう生きるべきなのか?
それは、今この瞬間に最大限の意識を向けることに尽きる。過去はもう手放し、未来に執着しすぎず、今、自分が何をしているのか、何を感じているのかに集中する。それこそが、「時間」という概念から解放される方法なのではないか。
過去を振り返るとき、それは学びのために。未来を考えるとき、それは希望のために。しかし、そのどちらにも引きずられず、今この瞬間を純粋に生きることができれば、それが最も充実した人生になるのではないか。
望んだものが与えられるとは限らない。しかし、与えられたものの中に、自分が本当に求めていたものが隠れていることもある。そして、その答えは常に「今ここ」にあるのだ。

『望んだもの、与えられたもの-イデアと流転』 vol.13
少年は、幼い頃から真理を知ることを願っていた。
彼は完璧な答えを求めた。何が正しく、何が間違っているのか。美とは何か、善とは何か。それを明確に示すものがあれば、人生はずっと生きやすくなるはずだと信じていた。
彼が憧れたのは、プラトンの語るイデアの世界だった。この世界のすべては、不完全な模倣にすぎず、本当の「善」や「美」は、遠く純粋な形で存在する。もしそれを知ることができれば、迷いなく正しく生きられるはずだ——彼はそう考えていた。
だが、現実はそうではなかった。
どんなに学びを深めても、どんなに確信に満ちた答えを見つけても、やがてそれは揺らいだ。
彼が信じた真理は、あるときは賞賛され、あるときは否定された。人々の価値観は移ろい、社会のルールもまた変化する。自分が「正しい」と思ったことが、時間が経つにつれ、別の「正しさ」に取って代わられることもあった。
「どうして、確固たる答えがないのだろう?」
彼は苦しんだ。求めていたものは、手に入らなかった。彼が望んだのは普遍的な真理であり、揺るぎない秩序だった。だが、与えられたのは流動的な現実と、不確かさだった。
あるとき、彼はヘラクレイトスの言葉に出会う。
「万物は流転する」
この世界に変わらぬものはなく、すべては常に変化している。絶対的な真理などなく、人は変わる世界の中で自ら考え、適応し、流れに身を委ねるしかない。
彼は最初、この考えを受け入れがたかった。だが、ある出来事が彼の視点を変えた。ーー
ある日彼は、大切な人を失った。
彼は願った。「ずっと一緒にいたい」と。しかし、その願いは叶わなかった。
失った悲しみの中で、彼は気づいた。彼が求めていたものは「永遠」だったが、人生が与えたのは「有限」だった。
だが、その有限だからこそ、一瞬一瞬が輝いていた。
愛する人と過ごした日々は、決して永遠ではなかったが、それでも確かに彼の中に生き続けていた。もしすべてが変わらず、終わりがなかったなら、その時間の価値を知ることはなかっただろう。
彼はようやく理解した。
「願ったものは与えられなかった。でも、本当に必要なものは、ずっと与えられていたのかもしれない」
彼は求めていたものを手にできなかった。
だが、その「ズレ」にこそ、人生の深みがあった。
完璧な答えが得られなかったからこそ、彼は考え続けることができた。真理が常に変化するものだったからこそ、新しい価値を生み出すことができた。永遠ではなかったからこそ、一瞬が大切になった。
ヘラクレイトスは言う。
「同じ川に2度足を踏み入れる人はいない。その川は同じ川ではなく、その人は同じ人ではない」
少年はもう、その言葉に抗わなかった。
彼は川の流れを眺めながら、心の中で静かに微笑んだ。
すべては流れ続ける——だが、その流れの中にこそ、彼が探していた真理があるのかもしれない。

『望んだもの、与えられたもの-エントロピー増大と生命の秩序』 vol.14
人は秩序を求める。予測可能で整った世界を望み、混沌を恐れる。だが、物理法則の根底にあるエントロピー増大の法則は、それに真っ向から対立する。すべてのものは時間とともに崩壊し、散逸し、無秩序へと向かう。それがこの宇宙の基本原理であり、不可避の運命なのだ。
それでも、生命はその流れに抗いながら存在し続ける。混沌へと進むはずの世界の中で、生命は局所的な秩序を生み出し、維持しようとする。その営みは、あたかも宇宙の原理に反するかのように見える。しかし、本当にそうだろうか🧐💭
望んだもの:安定した秩序
人は安定を求める。揺るがない安心、変わらぬ幸福、終わりのない成功。人生の計画を立て、その通りに進むことを望む。しかし、現実はどうだろうか? 予想もしなかった出来事が起こり、築いたものは崩れ去り、思いがけない困難に直面する。何かを手に入れた瞬間、次なる課題が現れ、静止することは許されない。
秩序を求めても、世界は次第に混沌へと向かう。家は崩れ、身体は老い、記憶さえも風化していく。努力して築いたものが時間とともに失われていくことに、人は悲しみ、時に絶望する。
「なぜ望んだ安定は、決して与えられないのか?」
そう嘆くこともあるだろう。だが、ここで立ち止まって考えてみたい。もし、すべてが変化せず、永遠に固定されていたらどうなるのか?
与えられたもの:流動する秩序
エントロピー増大の法則のもと、すべては変化し続ける。だが、生命はこの不可避の流れの中で、独自の秩序を生み出している。生命はエネルギーを取り込み、構造を維持し、情報を蓄積しながら進化する。
イルカは存在するのか🐬
イルカは、ユニバーサルデザインの原子や分子の集まりに過ぎないが
その集合体が数十年間の仮初の姿(愛らしい小型のクジラ)を保ち
海を泳ぐ存在を『イルカ』と人間が名付けただけ
そしてまた、我々自身も分子の集まりに意識が湧いただけの存在☺️
宇宙共通の原子や分子を集め、
仮初の姿を留めているのが宇宙のカケラのボクらだ

ここに、宇宙の絶対法則と生命の営みの間にある「ズレ」が生まれる。
安定した秩序が与えられなかった代わりに、生命には「変化に適応する力」が与えられていた。昨日の自分と今日の自分は同じではなく、絶えず成長し、更新されている。私たちは変化の波を乗りこなすことで、逆に新たな秩序を生み出しているのだ。
宇宙の大いなる意志の試練として、変化を余儀なくされた生命
そのDNAに深く刻まれた『万物流転』
そして、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは
自らのDNAの意志に従い
こんな言霊を紡ぐ
「同じ川に2度足を踏み入れる人はいない。その川は同じ川ではなく、その人は同じ人ではない」
もしエントロピーの増大がなければ、新しい細胞は生まれず、進化は止まり、生命はただの静止した構造物になってしまうだろう。だが、崩壊と再生のサイクルの中で、生命は絶えず新しい形を模索しながら、より複雑な秩序を創り出している。
人生における「ズレ」
この視点を人生に置き換えてみると、「望んだものと、与えられたもの」のズレの意味が見えてくる。
人は「成功」を望む。努力すれば必ず報われる未来を夢見る。しかし、与えられるのは「挫折」や「失敗」だったりする。
人は「安定」を求める。愛するものが変わらずにそこにあることを願う。しかし、与えられるのは「別れ」や「喪失」だったりする。
だが、そのズレの中でこそ、人は成長する。
失敗を経験しなければ、新しい挑戦の意味を知ることはできない。別れを経験しなければ、本当に大切なものを見極めることはできない。秩序の崩壊があるからこそ、新たな創造が生まれる。
まるで、生命がエントロピーに抗いながら成長していくように、人間もまた、予期せぬ変化を受け入れながら、自らの人生の秩序を形作っていくのだ。
エピローグ:受け入れるという選択
「なぜ、私たちが望むものは与えられないのか?」
その問いに対する答えはこうかもしれない。
「それが本当に必要なものではないから。」
エントロピーの法則が示すように、宇宙は常に変化し続ける。そして、生命もまた、その流れの中で独自の秩序を生み出している。人生においても、私たちは望んだものが手に入らないことに嘆くのではなく、与えられたものの意味を見出す(吾唯足知)ことで、初めて本当の秩序を築くことができる。
吾唯足知=自己受容💖
吾、唯、足るを知る
足りない(不完全な)自分を
優しく包み込んでくれるのは
忖度なしで世界中でただ一つ
それが、自己受容💖
「つまずいたっていいじゃないか
にんげんだもの」(相田みつを)
誰かが手を差し伸べてくれる
それが、貢献感
「願ったものは与えられなかった。でも、実は本当に必要なものは、ずっとそこにあった。」
そう気づいたとき、私たちはエントロピーと秩序の狭間で、より深く人生を生きることができるのかもしれない。

【了】
