ミミズとりんたろう、そして、およげ!たいやきくん──ゼロで人生の物語を閉じる勇気はあるか?
─創作大賞2025(エッセイ部門)応募作品─(7/5投稿)
第一章:ミミズは自由か、運命か
夏の陽射しで熱せられたアスファルトに、焼け焦げたように横たわるミミズがいた。体温調節ができないミミズは、地面が熱くなると、より涼しい場所を求めて地上に出てくることがある。しかし、地上に出てきてしまった本当の理由は、本人でないと分からない。ただ、そこには確かに命の痕跡があった。
この姿を見て、誰が「役に立った」と言うだろうか。誰が「価値のある最後だった」と胸を張って言えるだろうか。
でも、彼(彼女)は確かに生きていた。土の中を自由に這い回り、雨を感じ、根に触れ、土壌を耕しながら地球と共にあった。
たとえ最後が誰にも注目されず、風に乾いた命の痕跡だけだったとしても、それは自由の代償としての自然な結末だった。
ここに、誰にも支配されずに生きた生命がいた。
名もなく、跡もなく、ただ“循環”として還っていく生命が──。
ここでの循環とは、以下を意味する☺️
自然界の物質大循環(例えば炭素や水の循環):次の新しい生命のタネになるレベルまで現世代の生命に分解され、そして、原子は、様々な形に姿を変えながら地球の物質大循環サイクルに取り込まれ、閉じた地球(あるいは周囲の宇宙も含め)の中で無駄を出さずに物質バランスが保たれているという考え
第二章:りんたろうのベッドはあたたかい
一方、もう一匹のミミズ「りんたろう」は、冷蔵庫の野菜室で生きている。
彼は、コットンリンターという綿屑をふかふかの寝床にして、オガクズに包まれ、定期的に栄養を与えられる。
人間が用意した「安全」で「清潔」な環境。そこで1〜2ヶ月、のんびりと過ごすことができる。
だが、りんたろうには明確な役割がある。釣り餌だ。
その役割を全うすることが、彼に与えられた「生」であり「死」でもある。
快適な暮らしの代わりに、自由はない。
定められた運命の先に、彼の存在意義は置かれている。
安全をとるか、自由をとるか。
それは、ミミズに限った問いではない。
りんたろうとは、釣り餌として販売している「りんたろうみみず」のこと
このアカミミズは、生ゴミを堆肥に変える「コンポストミミズ」としても使われている。
第三章:およげ!たいやきくん、魚としての目覚め
そして──たいやきくん。
あの童謡の主人公は、店のおじさんと喧嘩して海へと逃げ込んだ🌊
「毎日毎日鉄板の上で焼かれるのは、もううんざりだ!」と、海へ身を投げた彼は、波間に揺られ、魚たちと泳ぎ、ほんの少しの間だけど魚としての真の“自由”を味わった。
けれども、岩場の影から、釣り糸に垂らされたミミズに思わず反応してしまい、あっさりと釣り上げられる。
そして、浜辺で見知らぬおじさんに、美味しそうに食べられてしまう。
たいやきくんは、その時こう呟いた。
「やっぱり僕はたいやきさ……。少し焦げあるたいやきさ……。」
でも、BLUEは少し違う視点を持っている。
彼が釣り針のミミズに反応したということは──つまり、“本物の魚として生きていた”という証なのではないか。
たいやきなら、釣り針になんか反応しない。
でも、彼は心惹かれ、岩場の影から思わず動いた。
その瞬間こそ、たいやきの皮を超えて、本物の命(魚のサガ)としての目覚めだったのではないだろうか。
焦げの代償
ミミズ:夏の陽射しで熱せられたアスファルトの上で焼かれた焦げ➡️無価値
たいやきくん:熱せられた鉄板の上で焼かれた焦げ➡️美味しさへの価値変換
終章:ゼロで物語を閉じるということ
とある作家さんの読書日記
『DIE WITH ZERO 0で死ね』(ビル・パーキンス著)
お金を持って死んだら、もったいない。
ゼロで死ぬ勇気がありますか?
https://note.com/kenhonda/n/nbbc5db8e75a7
煉獄のようなアスファルトで終わるミミズ。
りんたろうという商品名を与えられ、快適さと引き換えに魚の餌となることを受け入れたミミズ。
魚としての本能に目覚め、ミミズに反応してしまったたいやきくん。
どの命が正しくて、どの命が間違いだなんて言えるはずがない。
それぞれが、それぞれの場所で、一生懸命に生きていた。
そして──誰も何も残していない。
でも、こうも言える。
彼らの“ゼロ”は、誰かの“始まり”を支えていた。
土に還ることで養分となる。
餌となって魚を育てる。
食べられて、誰かの心に懐かしさを残す。
それは「ゼロ」で終わる勇気ではない。
目に見える形では何も残さず、すべてを託すような生き方。
その潔さに、私たちは心を打たれるのかもしれない。
だから今、あなたに問いたい。
「ゼロで人生の物語を閉じる勇気は、あなたにありますか?」

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【了】
