『望んだもの、与えられたもの-健康と優しさvol.1』-創作大賞2025(エッセイ部門)応募作品-(6/5投稿)
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はじめに
作品のコンセプト
『望んだもの、与えられたもの』
一見すると「願ったものは与えられなかった」と語りながら、実は「本当に必要なものは与えられていた」
「人の願いと、人生が与えるもののズレ」 の両極の現実を一度は素直に受け止める事ができた時、その深い洞察の先に新たな価値観への扉が開くのではないか🤔💭
洞察を通して、人間の視点から見れば「不足」や「欠落」と感じることも、視座を高め、より広い視野から見れば「成長」と「気づき」のために必要なのかもしれない🤔💭
それはまた、人は「力」や「成功」を求めるけれど、実際に与えられるのは「弱さ」や「失敗」だったりする。でも、その「ズレ」が、人生の深みを作っていくのかもしれない🤔💭
このような詩(うた)をストーリー仕立てのエッセイにまとめ『望んだものと、与えられたもの』 の対比が鮮明となるようにメイキングしてみたい🤗
メモ📝
2025/6/5現在、『望んだもの、与えられたもの』をテーマにしたエッセイは、ちょうど20作品を数える。
区切りとして、ショートエッセイを応募することにしました☺️
作品のイメージアート

女性の姿:「静謐のなかで人生の答えに手を伸ばす」瞬間をとらえた姿。
彼女のふたつの掌は何を感じようとしているのか――それはまさに「欲したものを手に入れようとする右手」と「与えられたものを静かに受け取る左手」の二面性を象徴している。
着物の織り模様には、星雲のような銀河や波紋が広がり、人生の軌道──すなわち、希望・選択・錯綜・回帰──の複雑なレイヤーを内包する宇宙の布帛(ぬの)が描かれている。
髪飾りの白い花は、「願い」を象徴すると同時に、「散ること」への覚悟も帯びた二面性を象徴している。
背景に浮かぶ光輪と螺旋は、「この世界の外からの視座」を示す。
私たちは常に主観という点の中に生きているけれど、実は、その背後にはもっと大きな軌道、与えられたカイロスの時間が流れていることを、彼女の後ろに広がる幾何学が静かに語っている。
✍️コンセプトとアートのリンク
このアートは、本構想の物語──
「望んだものではなかったが、必要なものだった」
というメッセージに、視覚的な奥行きを与える強力なメタファーとして作成した。
求める掌と、受け取る掌
華やかな着物と、内に秘めた瞑想的なまなざし
願望としての花と、散る運命を受け入れる美しさ
動的な背景と、静的な存在感
すべてが、「ズレ」という余白の中にこそ人生の真理が宿るというテーマに収束する。
✍️『異質なものとの調和力』との関連性
『望んだものと、与えられたもの』
経(たて)糸と緯(よこ)糸を組み合わせ
織り成すのが染織(布)、これが布帛(フハク)
このテーマで言えば
望んだものを経糸とするならば
与えられたものは緯糸
このたて糸とよこ糸が組み合わさって
織り成されるのがエッセイ(物語)
望んだものと与えられたもの(望んだものではない)
の両極の『ズレ』が、エッセイを通して織り成す
つまり、両極の『ズレ』は『ニコイチ』☯️だ
すなわち、BLUEの価値観『異質なものとの調和力』そのものなんだ☺️
(参考記事)
💎掲載作品💎
『望んだもの、与えられたもの-健康と優しさ』 vol.1
久しぶりに、祖母の家を訪れた。小さな庭の片隅に、祖母が毎年大切に育てている紫陽花が咲いている。
「今年も綺麗に咲いたね」と声をかけると、祖母は土をいじりながら笑った。
「咲くかどうかは、あたしには決められないんだよ。水もやるし、肥料もやるけど、それでも枯れるときは枯れるし、咲くときは咲く。自分の思い通りになることなんて、そんなに多くはないさ。」
私はつぶやいた・・・。
“You can take a horse to the water, but you can't make him drink.”
「馬を水辺に連れて行けても水を飲ますことはできない」・・・課題の分離・・・ね。
祖母の手は、長年の畑仕事で少し曲がり、節くれ立っていた。それでも、その手が触れると、土がふわりと柔らかくなるように感じる。
「思い通りにならないことって、悔しくない?」と、私は聞いてみた。
祖母はしばらく黙っていたが、やがて、土の上にしゃがみ込みながら答えた。
「若い頃は、そう思ったよ。元気な体がほしいとか、もっと裕福になりたいとかね。でも、振り返ると、欲しかったものとは違うものを、たくさんもらってきた気がするよ。」
「違うもの?」
「そう。欲しかったのは『健康』だったけど、その代わりに、周りの人の『優しさ』を知る機会をもらった。欲しかったのは『成功』だったけど、その代わりに、『失敗』したからこそ見えた景色があった。」
祖母は、小さな紫陽花の蕾をそっと撫でた。
「思い通りにならないことが、思いがけない贈り物になることもあるんだよ。」
私は黙って庭を見渡した。思い通りにならないことばかりの人生を、不満に思ったことは何度もあった。でも、祖母の言葉を聞いて、ふと考えた。
私は、富、肩書、名声といった表層的なHavingだけに心奪われていたかもしれない。
もっと生き方、価値観、アイデンティティといった本質的なBeingを大事に扱わなければならなかったのかもしれない。
もしかしたら、私は「与えられなかったもの」ばかりを数えて、「与えられたもの」を見落としていたのかもしれない。
いま私にあるものは、有形無形問わずなんだろう。
求めたものは手に入らなかった。
でも、その代わりに、気づくことのなかった大切なものを、私は受け取ってきたのかもしれない。
祖母の手が触れた紫陽花の蕾は、静かに、けれど確かに、次の雨を待っていた。

穏やかで深い思索にふける。
彼女の手の中には、人生における「望んだもの」ではないが
「与えられたもの」を象徴する光が優しく輝いている。
🗣️一言サマリー
咲かなかった花が教えてくれたのは、見過ごしていた優しさだった。
「咲かないこと」=「与えられなかったこと」が、逆説的に「与えられた本質的な価値」へと導く──という構造。まさに「BLUEの布帛」だね🪡
【了】
