【TS023】異質なものとの調和力-科学と社会とメディアの事実(前編)-
プロローグ
異質なものとの調和力シリーズ第7弾💣
(これまでの過去記事は本稿の最後に纏めました🤗)
トランス・サイエンスと個人心理学
トランス・サイエンス
科学によって問うことはできるが、科学だけでは答えることのできない問題群からなる領域
科学:客観的事実に基づいた知識(思考)
社会:知識利用を意思決定する集団(感情)

ここで大事なのは
客観的事実(科学)がいつでも社会に受け入れられるわけではないということ
あなたの言うことはわかるけどさぁ〜😅
感情的に、あるいは、現実問題として
受け入れられないことは日常としてよくある話
ポイントは
1. 科学(技術)は、社会に受け入れられてナンボ
2. 正論を振りかざすほど、社会の感情・情動を逆撫でる
1.について
最高性能の量子コンピューターやAIを誰もいない星で実現したところで、そのメリットを享受できる社会(知的生命)がない限り、それらは無用の長物
未開の地で、人類の技術力を披露したとて、評価する相手は誰もいない😓
2.について
科学者は、ややもすると、これは事実だ‼️と言って
科学的根拠=エビデンスとして押し付けがち
これは、データから見て正しい😤
これは、リスクが少ない🧐
でも、事実と思い込んでいる多くの科学的根拠(エビデンス)は『確率』だったりする😳
・がんのリスク(罹患率◯%)
・自動車事故の確率
確かにこれらは、確定した過去の事実を元にした計算結果であり、これから起こる未来に絶対はない😤
一方、説明を受ける側(科学に対する社会全体)にも課題があったりする😳
これは、絶対に正しいんですよね‼️
これは、絶対に安全なんですよね💦
・・・と科学者含む権威に詰め寄ったりする
特に、2つ目は、あり得ない理不尽な要求をして、過剰なまでのリスク0️⃣、
すなわち、「ゼロリスク信仰」が蔓延る
この実社会において、リスクゼロということはあり得ない💦
どんな課題においても、リスクとベネフィットのバランス⚖️で物事を見ていく必要がある🧐
このように、日常ありがちなシーンみてみると、それらは、感情と科学的根拠(正しさは確率)を同じ土俵で戦わせて、白黒はっきりさせようという二項対立的な議論が多いのではないか🧐💭
だから、誤解を恐れず簡潔に言ってしまえば
科学と社会のコミュニケーションが大事💖
どちらか一方に取り込むという、ゼロサムゲーム的、我田引水的な発想ではなく、
お互いに相手の色と混じり合う解決策の模索。
お互いに落とし所としての共有ゾーンの模索。
このようなマインド醸成が必要なのではないか🧐💭
異質を『異質そのまま』に寄り添い、共感する
それが、異質なものとの調和力、コミュニケーション

相手の主義・主張を殺してしまう
一方、コミュニケーションは、
『グランド・ジャット島の日曜日の午後』の点描画🖼️のように
お互いの主義・主張が点として担保され、
印象派の絵画を構成する要素として尊重される

『同意(賛成)』はないだろう
加えるならば、
アドラー的な『善』と『悪』とは、その人にとって
『為になるか』もしくは『為にならないか』
における観点での評価結果にすぎない
だから、アドラーは言う
絶対的な善も、絶対的な悪もない
思ったより長くなってしまった😅
日を改めて、後編を書こうと思います✍️
異質なものとの調和力シリーズ(過去投稿記事)
第1弾💣【TS002】異質なものとの調和力
第2弾💣【TS006】異質なものとの調和力-人間力-
第3弾💣【TS007】異質なものとの調和力-白紙で共感-
第4弾💣【TS020】異質なものとの調和力-共感と同意の違い-
第5弾💣【TS021】異質なものとの調和力-noteコミュニティ-
第6弾💣【TS022】異質なものとの調和力-コミュニケーション-
