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ハッピーライティングマラソン#6「あなたが、高校生から22歳ごろに読んだ本で、よかった本は何ですか?」

プロローグ

2025年7月8日、第6回目のお題が出ました☺️
ハッピーライティングマラソンは、思考鍛錬の現代版寺子屋だ🎓
お題が出され、自分を俯瞰し、一段上の高い視座👀から見下ろす機会を得る☺️

先週は、子供の頃に読んだ本の思い出
今週は、高校の頃に読んだ本の思い出

正直、こうしたお題は少し苦手だ😅
思い出として語れる本の“ネタ🍣”が、
あまり浮かばないからだ。

それで先週、久しぶりに本屋に足を運んでみた。

新潮文庫コーナーの前で、高校生の頃の自分を思い出した。
周囲から“知的に見られたい”という、どこか不純な動機で、少しかじった文学たち──。

そして、今週のお題が、高校の頃に読んだ本の思い出。
改めて、先週投稿した記事を読み返してみた☺️

山本有三『路傍の石』

が目に留まる。

だからと言って、本の内容を鮮明には覚えていない。
もう、四半世紀以上前の話だ。
ただ、当時、この本に惹かれていた感覚が
なんとなく残り香のように自分を包んでいる。

いまは、その感覚の答え合わせをしたいとは思わない。
だから、今回記事を書くにあたって、作品は読み返さなかった。

ネット空間で得られるあらすじは軽く流し読みした。

物語を通して吾一は、社会の理不尽や人の優しさ、そして自分の未熟さを受け止めながら、「人間とは何か」「誇りとは何か」という問いに自分なりの答えを見つけていく。

📖作品タイトルの『路傍の石』とは
道ばたの石のように踏まれながらも、自分の価値を見失わずに生きていく
という生き方への比喩。

『路傍の石』のあらすじ

印象に残っているかもしれない理由

あらすじから拾い上げた“石”たちに、
カイロス💧(記憶の残り香)をぽたりと垂らしてみた──すると、こんなテーマが浮かび上がってきた☺️

  • 貧困のなかでも諦めない主人公の姿:高校時代、何かを頑張ろうとしていた自分と重ねたのかも

  • 学問や自立への情熱:まだ進むべき道が見えていない思春期に、熱い希望や焦燥感を抱いた記憶と響き合ったのかもしれない

  • 「道ばたの石」のような存在でも、自らの意志で光ることができる:このメッセージは、静かだけど強烈な残響を残す印象

この感覚の答え合わせは、外ではなく、内に求めてみようと思い、高校生の自分に手紙を書いてみることにした📨

感情の重さを認めてくれる本──『路傍の石』の記憶

──『路傍の石』に出会った、高校生のころの僕へ

「あなたが、高校生から22歳ごろに読んだ本で、よかった本は何ですか?」

この問いに、パッと浮かんだのは、山本有三の『路傍の石』だった。
内容は詳しく覚えていない。けれど、あの時の自分の感情と、主人公の姿がどこかで重なっていた──それだけは確かに覚えている。

高校時代の僕は、一見すると“無難にこなす”側の人間だったと思う。
成績も悪くなく、トラブルも起こさず、いわゆる「いい子」。
だけど、実際の心の中は、どこか砂を噛むような虚しさがつきまとっていた。

本気で、バイトに、勉強に、恋に、夢に打ち込んでいる友達たちがまぶしく見えた。自分もそんなふうに情熱を注ぎたいのに、なぜか本気になれなかった。
輪の中心には居たし、仲間とつるんで、今思えばコンプラ違反だろうということも含めて、周りから見れば、高校生活は謳歌しているように見えただろう。

ただ、ボクの心の奥にはいつも、「親」という存在がいた。
無意識のうちに、彼らの期待に応えるような「反抗期のないいい子」を演じていたのかもしれない。

だからこそ、逆境に立ち向かい、もがきながらも“自分”を生きようとする主人公の姿に、言葉にできないほどの憧れを抱いたのだと思う。

あの頃の僕は、自分の感情の本当の声に耳を傾けることができなかった。
でも、『路傍の石』の中で主人公が問い続ける──
「人間とは何か」「誇りとは何か」
という問いかけは、静かに、しかし確かに僕の心を揺らした。

本は、何かを教えてくれたわけじゃない。
けれど、僕の中に確かにあった思春期の淡い“重み”に、そっと寄り添ってくれる存在だった。

「それでも君は、ちゃんと重さを感じているね」
そう語りかけてくれていたような気がする。

#ハッピーライティングマラソン
#本田健
#わたあめの棒


【了】

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