【対話】カオスと秩序の「精神交互浴」──下鴨神社から南禅寺へ、京都の地面で岡本太郎を踊る 前編


第1章:最高格式の禅寺に隠された「脳内リセット」の謂れ

わたし:
南禅寺っていつできたの?誰が作った?宗派は?なんか謂れとか知りたい。

ジェミニ:
南禅寺は、鎌倉時代の1291年に亀山法皇(天皇を引退した後の上皇)によって作られた、臨済宗南禅寺派の大本山です。最大の特徴は、数ある禅寺の中でも「日本で最も格式が高い」とされている点ですが、その誕生にはちょっとオカルトチックな面白い謂れ(いわれ)が残されています。

もともとこの場所には、亀山法皇が建てた「禅林寺殿」という豪華な別荘がありました。しかし、ある時期からこの別荘に毎晩のように妖怪(または幽霊)が出るようになり、法皇たちは夜も眠れず困り果ててしまいます。

そこで、当時の優れた禅僧である無関普門(むかんふもん)というお坊さんを呼び、お祓いをお願いしました。無関普門は、お祈りや呪術を使うのではなく、弟子たちを引き連れてただ静かに別荘で座禅を組みました。すると不思議なことに妖怪はパタリと出なくなったのです。

これに深く感動した亀山法皇は彼に深く帰依し、「この別荘を丸ごと禅寺にしよう!」と決めたのが南禅寺の始まりです。そのため、作った人(開基)は亀山法皇、初代住職(開山)は無関普門となっています。

この「妖怪」の正体ですが、実は当時の法皇が抱えていた凄まじい精神的ストレスの裏返しだったと考えられます。当時、日本は「蒙古襲来(元寇)」という未曾有の国難に直面しており、さらに法皇自身も鎌倉幕府からの弾圧によって政治的に失脚、皇位継承を巡るドロドロの争いの渦中にいました。

その脳内の不安や絶望が「妖怪」というバグになって現れていた。そこに無関普門がやってきて、「あるとかないとか、呪われているとか、そんな脳みそが作り出した理屈(分別)をすべて捨てて、ただ静かに呼吸をしなさい」と、極限のマインドフルネスを突きつけた。それによって法皇の脳内がリセットされ、妖怪という名のバグが形を保てなくなって消え去った、というのがこの誕生劇のリアルな背景なんです。

さらに南禅寺には、もうひとつ「格付け」にまつわる面白い謂れがあります。
室町時代、将軍・足利義満は、京都にある重要な禅寺に順位をつける「京都五山(きょうとござん)」という制度を整えました。このとき、義満は自分が新しく建てた「相国寺」をどうしても上位にランクインさせたいと考えました。しかし、すでに南禅寺が圧倒的な権威を持ってトップに君臨していたため、そのままでは相国寺を一番上に置くことができません。
そこで義満は、南禅寺を「五山の上(ござんのじょう)」という、ランキングの枠組みすら超越した【別格の最高位】に引き上げるというウルトラCを使いました。これによって、南禅寺は日本のすべての臨済宗寺院の中で最高ランクのステータスを持つことになったのです。

さらに境内を進むと、誰もが圧倒される巨大な「三門(国宝)」があります。この門には、歌舞伎の演目『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』の舞台としての有名な謂れがあります。
大泥棒の石川五右衛門がこの門の2階に登り、満開の桜を眺めながらキセルをふかし、「絶景かな、絶景かな!春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは値万両、万々両!」と大見得を切る名シーンです。歴史上、この門が再建されたのは五右衛門が処刑された後なのでフィクションなのですが、今でも2階(楼上)に登れば、五右衛門と同じように京都の街を一望する「絶景」を味わうことができます。

そして、南禅寺を語る上で外せないのが、境内を横切る赤レンガのアーチ橋「水路閣(すいろかく)」です。これにも明治時代の大きなドラマがあります。
明治時代、東京への遷都によって活気を失った京都を復興するため、琵琶湖から水を引く「琵琶湖疏水事業」が立ち上がりました。その水路を通すルートが、なんと「最高格式の南禅寺の境内をぶち抜く」という計画だったのです。
当然、「神聖な境内に、景観を壊す洋風のレンガ建築を作るなんてとんでもない!」と大猛反対が起きました。しかし、当時の住職が「京都の発展のためなら」とこれを受け入れ、現在の美しい和洋折衷の景色が生まれました。
歴史ある禅寺の中に近代的な赤レンガが溶け込んでいる背景には、京都の近代化を支えた南禅寺の、驚くほど広い懐の深さという謂れが隠されているのです。


第2章:禅の教科書『無門関』と、臨済宗の「知的エリート性」

わたし:
無門館だかなんだか、なんだっけ、犬に仏性はあるかとかのやつ。

ジェミニ:
それは『無門関(むもんかん)』という、禅宗(臨済宗)で最も大切にされている教科書(公案集)のことです!まさにその最初(第1則)に出てくるのが、「犬に仏性(ぶっしょう:悟りを開く可能性)はあるかないか」という超有名な問題です。

このお話(公案)は、中国の有名な禅僧である「趙州(じょうしゅう)和尚」の問答です。あるお坊さんが「犬にも仏性はありますか?」と聞いたのに対し、趙州は「無(む)!」と答えました。
仏教の大前提として「生きとし生けるものすべてに仏性がある(みんな仏になれる)」という教えがあるため、本来の答えは「ある」のはずです。なのに最高峰の禅僧が「無い!」と言い放ったため、お坊さんたちは大混乱に陥りました。

禅の世界では、この「無」は単なる「No」ではないと教えます。「ある」とか「ない」とか、人間のちっぽけな損得や、言葉の理屈で白黒つけようとする「分別の心(思い込み)」をすべて捨て去りなさい、という強烈な一喝が込められているのです。

実は、先ほどお話しした南禅寺の初代住職「無関普門(むかんふもん)」の名前と、この『無門関(むもんかん)』は、漢字の順番が違うだけで音がそっくりですよね。これは偶然ではなく、禅宗では「無門(門がないこと)を関(関所・入り口)とする」という思想がベースにあるため、名前に「無」や「関」という文字がよく使われます。
南禅寺の巨大な三門も、実は「空・無相・無作」という3つの解脱の門(三解脱門)を意味しており、あの門をくぐることで「言葉や理屈にとらわれない禅の世界(無門関の世界)」へ入る、というメッセージが込められています。


第3章:明治の元勲と近代日本庭園の傑作『無鄰菴』

わたし:
あれ、山県有朋の庭も近くにある?

ジェミニ:
はい、まさに南禅寺のすぐ近くにあります!『無鄰菴(むりんあん)』という名前の、山県有朋の非常に有名な別荘庭園です。蹴上駅から南禅寺へ歩いていく途中に位置しており、散策ルートに完璧に組み込めます。

無鄰菴は、明治の元勲・山県有朋が、名庭師の「七代目小川治兵衛(植治)」とともに作り上げた近代日本庭園の最高傑作のひとつです。
ここでも先ほど話題に上った「琵琶湖疏水」の水が大活躍していて、疏水の水を庭園内にダイレクトに引き込んでおり、美しく澄んだ浅い川(せせらぎ)が庭の中を流れています。
それまでの日本庭園は苔や砂が中心でしたが、無鄰菴は広々とした開放的な「芝生」を取り入れた、当時としては非常にモダンで先進的なデザインでした。さらに、庭の背景にある東山の山並みを、まるで庭の一部であるかのように見せる「借景」の技術がズバ抜けて美しく、部屋に座って眺めると絵画のようなパノラマが広がります。

敷地内にはレトロなレンガ造りの洋館もあり、1903年に山県有朋、伊藤博文、桂太郎らが集まり、日露戦争の開戦直前の外交方針を決める緊迫した会議(無鄰菴会議)が行われた部屋がそのまま残されています。
庭園を眺められる母屋が贅沢な和風カフェになっており、お庭を180度見渡しながらお抹茶やビールなどを楽しめますが、現在は静かな空間を保つために「事前予約優先制」となっています。


第4章:臨済宗 vs 曹洞宗──「知的アクティブ」と「ストイック」

わたし:
臨済宗ってどんな禅宗?道元?

ジェミニ:
道元は「曹洞宗(そうとうしゅう)」の開祖であり、南禅寺などの「臨済宗(りんざいしゅう)」とは別の宗派になります。どちらも日本を代表する「禅宗」ですが、修行スタイルやターゲット層が真逆と言っていいほど違います。

まず、南禅寺などの臨済宗(日本の開祖は栄西など)を一言で表すと、「クイズ(禅問答)を解き明かすアクティブな禅」です。「看話禅(かんなぜん)」と呼ばれ、ただ坐るだけでなく、先ほどの「犬に仏性はあるか」のような理屈では解けない難問(公案)を師匠から出され、坐禅を組みながら必死に考え抜きます。白白黒黒はっきりさせるスピーディーな戦いのようなスタイルが、鎌倉・室町時代の武士や将軍(足利義満など)の好みにピッタリはまり、政治の中心地である京都や鎌倉で大流行しました。

一方で道元が開いた曹洞宗は、「一切の理屈や見返りを捨てた、超ストイックな禅」です。「只管打坐(しかんたざ)」と呼ばれ、道元は「悟りを開くために坐禅をする、という下心すら捨てなさい」と言いました。クイズ(公案)も一切やりません。壁に向かって座り、ただただ、マシーンのようにひたすら坐る。その「坐っている姿そのものがすでに仏(悟り)なのだ」という究極にピュアな教えです。道元は京都の政治や権力争いに巻き込まれるのを嫌い、福井県の雪深い山奥にこもって「永平寺」を建てました。この姿勢がのちに地方の武士や一般庶民に深く愛されました。

南禅寺や無鄰菴のエリアを歩くときは、時の将軍や武士たちが「この難問の答えはなんだ…!」と頭を悩ませ、ダイナミックに文化を発展させた「臨済宗」の世界に触れていることになります。


第5章:日常のすべてが修行となる「作務」の本質

わたし:
作務も修行って言うのはどの宗派?

ジェミニ:
「作務(さむ:掃除や料理などの日常の労働)」も大切な修行であるとするのは、「臨済宗」と「曹洞宗」の両方(つまり禅宗全体)に共通する非常に重要な教えです。しかし、その中でも特に「作務こそが究極の修行である」と徹底的にこだわり、マニュアル化して強調したのが曹洞宗の道元です。

禅宗では、座って足を組む「坐禅」だけが修行だとは考えません。「日常のすべての行動が禅である」という思想があるため、庭の落ち葉を掃くことや床を雑巾で拭くことは、そのまま「自分の心の中にあるチリや煩悩を払い落とすこと」とイコールであると考えます。

道元は、それまで仏教界で下っ端の仕事と見なされがちだったお寺の裏方仕事(料理や掃除)の価値をガラリと変え、『典座教訓(てんぞきょうくん)』という料理人のための本をわざわざ書きました。「料理を作ることは、坐禅を組むのと全く同じ神聖な修行である」と説き、さらにお風呂の入り方やトイレの入り方に至るまで、日常生活のすべての動作に細かく美しい作法(マニュアル)を定めました。

もちろん、今回あなたが訪れる南禅寺などの臨済宗でも作務は毎日欠かさず行われます。臨済宗では、午前中に激しい作務(庭掃除や薪割りなど)で体を限界まで動かしてクタクタにすることで、その後の坐禅で余計な雑念が出なくなり、より深く集中できるというアプローチも取られます。

南禅寺の境内や無鄰菴の庭園が美しく掃き清められているのは、単なる清掃ではなく、お坊さんや職人たちが今でも毎日行っている「作務(修行)」そのものの結晶なんですね。


いいなと思ったら応援しよう!