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『さようなら全てのエヴァンゲリオン』ゲーム。

『タイミーで働け』というお話です。

今まで接客やってたり営業やってたり。で、たくさんの人と出会い、今はこのnoteでたくさんの人の『頭ン中』と出会う。

自分を見せる人自分を見せない人、ハッピーな人ブルーな人、キラキラな人ギトギトな人ww

オレ、ギトギトな人の頭の中が好きです。たくさんの斜線が股関に集まってる『ヒソカ』みたいな感じになりますww

なんかさ、『めちゃんこ人間してるやん♪』ってなる。正義も悪も区別せず、好かれないかもしれないを胸に秘めて、『みんなも使ってるからオレも少し使ってみる』という『触れただけで割れてしまいそうな言論の自由っぽいもの』を抱いて震えながらする発言。

オレ、『殴り書き』ほど文章として成り立ってるものはないと思う。文学というのか。その人の素というか。オレはやはりその人の『元』が好き。

だから正義と悪を気にしない人柄に興味をそそられるし、そういう人やそういう頭ン中に出くわすとワクワクする。

そして、誰よりも幸せになって欲しい、と思う。

強がりでも恐れながらでもええやん?
自分の『素』にタッチができて、恥をかきながらでも言葉にして表現ができる、しようとする。

これって『才能』の1つなのよ。

こういう人こそ幸せにせなあかんねんで!次こそは順番間違えたらあかんで!神様!って思う。『殺意はありませんでした』なんて事件を起こす人の人権は一番最後でええねん。頼むわ神様、ってホント思う。

庵野監督も最初はこういう人だった。もちろんこれはオレの経験からくるただの推測、決めつけだけど。

最後のエヴァンゲリオンだけは、たまたま機会があったから映画館で観た。

感想は『スゴかった』ww。

それまでのエヴァンゲリオンもたまたま観てて。

ウジウジしてるなぁシンジ君。周りのキャラクターもやたらとシンジ君に過保護で。それもそのはずシンジ君って庵野監督自身の投影。ここからも推定。

庵野監督は自分の経験をみんなに教えたかった。問いかけたかった。エヴァンゲリオンってその考えが詰まった作品だったんじゃないかなって。

『普通の他人』と比べて『自分』が苦しくて。アスカやレイにすがってみたり、文句を言ってみたり。自分とは『違う』他人と触れ合うことで自分を理解していく。自分とは違うという点では『他人』である親のゲンドウに触れたり。

現実の子育てもそう。自分の子の『言動』に触れて自分が育っていく。

自分を苦しめる原因とも言える『他人』で知る『自分』。

あれも自分、これも自分。

他人が作った曲で自分を知って
他人が作った絵を見て自分を知る。

他人で自分?セットなら最初から『一緒』であればいいんじゃない?違うから、違う部分があるから苦しいんだから最初から『一緒』で『補完』してしまえばいいんじゃない?って考え方も否定はしないけど、そんな現実離れした考え方に集中しなくても別に『それぞれ別』で良いんだよ。

その知った自分が汚くても悪でも関係ないよ。それでいいんだよ。それは才能なんだよって。才能ってキレイじゃないんだよって。

庵野監督はアニメ好きな人に教えたかったんじゃないかな。ぼくはこう思ってるんだけど、どう?ってロボットアニメを通してみんなに問う作品に仕上げたんじゃないかな?って思う。なんか色々詰め込んでたら『仕上がった』感が強いけどねww

で、これは『テレビアニメ版』の話で。

映画版よ。最後のアレww

これもオレの推定。決めつけ。

映画版3作目を映画館で観たんだけど、スゴかったよね。

映画が終わったあの瞬間、オレ『取り残されてた』ww

端的にまとめると、

『キミにはキミの手を引っ張ってくれる存在が必要だよ!ぼくにはそういう人が見つかったからもう次行くね!キミも探すといいよ!見つかるといいね!じゃあね!さようなら!みんな!』

ってすごい勢いで、急にジオラマなり映像なりを片付け始めて、女の子に手を引っ張ってもらって庵野監督どっか行っちゃったww

あまりにも急で取り残されるオレww

ちょっと待てよオイ!wwってなったww

オレだけかな?こんな感想を持ってるの。現実では似たような感想を持った人とは出会えてないなー。

しかしまぁ、レイみたいなタイプになついてみたり、アスカみたいなタイプになついてみたり、年上ミサトの周りをうろついてみたり、色んな『癖』を見せてたのに結局『こんなワタシを引っ張っていってくれる存在が好き♪』かよww

でもあまりにも、庵野監督自身でもびっくりするくらいに『自分』に効果があったんだろね。『引っ張っていってくれる存在』が。

引っ張っていってくれる、よりかは『誘導してくれる存在』。自分を知っていてくれて、自分が動き出すのを待ってくれる存在。

オレもそこに関しては同意。

『こじらせてない人』って意外とみんなそういう人に出会った上で人生を送ってる。

『飲み会行くぞ!』っつって強引に腕を引っ張ってくれる人、

よく断れなくて付いて行きそうになった自分の腕をガッ!と掴んで『イヤなら行かなくて良い。参加するな』って引き留めてくれる人。

ふいに現れる自分の腕を掴む手。

グィっとされることで『こじれ』がストップしてる人って多いのよ。

だから人生って『まず、腕をグィってしてくれる人に出会うゲーム』みたいなところもあるww

『さようなら全てのエヴァンゲリオン!』を言えた人から抜けていくゲームww

難しいよなww神様マジか?って思うww何度も何度も言う。人生はギャグだ。この難易度を笑えるようにならないと人生は難しいまんま。

鳥かごの中央で庵野監督が何か始めます。
→みんなが集まる。
→庵野はみんなに『こうだよね?』『こうじゃない?』『ぼくはこうだったよ?』って問いかける。
→みんなは考察、批判する。
→さらに人が集まる
→庵野、みんなに報告する。
→『ぼく結婚した』
→『みんなも良いパートナーを見つけると悩みが大幅解消するよ!』『さようなら!』って言いながら急に嫁と手をつないで鳥かごのみんなを置き去りにしてどっかに飛んで行く
→みんな鳥かごに取り残されてるww

でもこれ現実でもちゃんと起こってるよね。コミュニティで見慣れた顔が、

『外の世界から急に現れた存在』

に腕を引っ張られて1人、また1人と消えていく。

まぁ、離婚したり、裏切られたりして
『やぁ、、、』って『死の灰』をふんだんに浴びた『トキ』みたいな顔して鳥かごに戻ってくる人もそれなりにいるけどww

この『急に『外の世界』から現れる存在』ってのが重要で。

外から。

エヴァンゲリオンのシンジ君は庵野監督。登場人物は全て庵野監督の『頭の中にいる空想の人物像』。

レイもアスカもミサトもトウジも。

頭の中でごちゃごちゃ考えるのには限界があって。

現実の世界で外からグィっと引っ張ってくれる存在ってのは『少し行きたい自分』や『少し行きたくない自分』を把握してくれていて。その方向と違う方向に行こうとする自分をグィって修正、または認めてくれる存在。そんな存在と会話することで『自分の輪郭』がハッキリすることは良くある。

『自分の輪郭』って『はっきり』把握できてる?『はっきり』してない部分を『想定』で補ってない?はっきりさせるには他人が必要で。

メンヘラ庵野くんみたいに『嫁ガチャ』の運待ちがしたくないのなら、『急に外の世界から現れる手』を待ってられないのなら、鳥かごの外に出向いて『現実で』手を引っ張ってくれる存在に会える可能性を自分で広げていくのも悪くないと思う。

タイミーで働いてみたら?って話。

タイミー、めちゃくちゃ良いよ?

本職、副業で頑張ってる人にもおすすめ。

『タイミーさんタイミーさん』って呼ばれるし、新しい出会いしかなくて。自分から出向いてるんだから偶然ではなく必然な出会いしかない。自分で人生をコントロールしてる。

オレ自身も最近タイミーで働いて、自分の輪郭がハッキリした。まだまだ働けると思ったし、初対面の年下の上司wwとも仲良くできたww

できるかどうか不安な自分の輪郭の部分がハッキリした。できる、と。

オレはたまたまツイていた。生まれた時からアトピーで、かきむしって顔が怪物だったから『みんなと同じ鳥かご』には最初からいなかった。

接客が好きだったから17.18の頃にはすでに『クレーマーたち』に悔し泣きを強いられてたから鳥かごの外で強くなれた。強くならざるを得なかった。歩合の営業をしてたから、『辞めても稼げる』を知ったことで『クレーマー』をみなさんのおかげですの木梨憲武のように力まずに『とぅっ』ってすることもできた。お金は精神安定剤の効能を持ってることも早い段階で知れた。強い方だと思う。似たような境遇でも『ツイてる』と思えることは『才能』なんだ、と『ツイてないと言う人』をたくさん見てきて気が付けた。

『ツイてないと言う人』にはどう声をかけたらいいか今まではわからなかったけど、今は短時間のアルバイトがゴロゴロ転がっている。タイミー。メルカリハロ。

今すぐの枠はすでに埋まってることが多いけど、2週間後からがんばる、を意識すればそこそこ見つかる。

『明日も同じ場所で働かないといけない』が無いから、そのバイトの時間に『全力』が注げる。

わかる?『自分の一生懸命、全力』が『他人』に見せられるチャンスがゴロゴロ転がっている。

その時点ですでに『鳥かご』から三歩ぐらい『外』に出ることができている。

一生懸命を『魅せる』。

『急にグィっと』なんて時間の問題でしょ。
神様がちゃんと仕事してさえいればww

大丈夫。鳥かごの外に出てもギトギトな、でも大切な『自分の部分』は無くならないよ。むしろたくさんの経験を経て『濃く』なる。

ギトギトで濃いからといって、全てがヘドロみたいな味がするわけではない。オレはヘドロも好きだけど。

でも、も少し、透き通った味になる可能性を捨ててまでヘドロで居続けるのは勿体ない。

考えてみて。

『和風ドレッシング』も一歩間違えるとヘドロの味だぜ?

はい。サラダおいしく食べられなくなったー。いぇーい。

『私、あの人たちみたいにヘラヘラできない』と思えたらそれはもう『才能』なんよ。

実際ヘラヘラしてる人たちの内の数人は横目でこちらをチラチラ見て『うらやましい』って思ってる。思ってることをそのまま文章にできるのは『才能』。

とはいえ苦しい。苦しいけど緩和には他人が必要。

鳥かごの中でも外でも、ヘラヘラとお金は付いてまわる。

それならいっそのこと、鳥かごから外の世界に出て振り返って鳥かごの中のみんなに言ってやりましょう。


『和服ドレッシングは、、、ヘドロ!!』

違うか。『さようなら全ての、』の方か。

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