旅 予定通り
小説を読み終わった。
12月に買って、やっと今日読み終わった。
実に半年。
趣味読書だと?聞いて呆れるぜ。
読んだのはジャック・ケルアックの
「路上-ロード-」だ。
きっかけはLaura day romanceと秋山璃月の
歌詞に出てきたからだ。
下調べは何もしていない。
なんとなく、ロマンスが溢れているんだろうなと思って読み始めた。
ロマンスの名を持つLaura day romanceが
「ジャック・ケルアックも驚くドラマティック」というからには、それはそれは壮大なんだろうと予想した。
あとは「ついにアメリカの文学読んじゃうおれ」
を感じたかったのもある。
少しづつ読み進めた。
総武線で千葉と東京を横切っている間に、
サル(主人公)とディーン(主人公のイカれた親友)がアメリカを横断している。
ベットでどこにも移動してない間に
2人はアメリカを飛び出し、メキシコに向かう。
アメリカの広さは知らない。
速さを表すマイルという単位もよく分からない。でもとにかくうるさくて、速くて、遠かった。
自分の読むスピードと反比例するように、
彼らは常に移動し続けた。
さすがに6ヶ月も同じ本を読んでいると、
早く読み終わりたくなる。
「読み終わらなきゃ」という思いで読んでいた部分も多くなる。
でも、最後のシーンでは「このロマンスが終わってしまう」と思った。
それは甘い記憶だった。
早く終わって欲しいのに、
ずっと終わって欲しくない。
そんな感覚だった。
自由とは、安定を捨てて、
「何かを得られるかもしれない」というワクワク感を土砂降りで浴びることだと思った。
「得ること」が大事なのではない。
「きっと得られるかも」という不確定さが、
自由への憧れを加速させるのかもしれないのだと。
最後のシーンは、自由が続かないことを
暗に示して終わる。
ここまで、大地の雄大さ、ジャズ、車の
騒音ばかりを取り上げたケルアックが、
最後のシーンはあまりにも静かに終わる。
終わりは必ずしも劇的ではなくて、すんと
音を立てずに終わるのかもしれない。
「ベトナム産のキャンパス」内で秋山璃月は
「放浪するには小綺麗すぎる。
アスファルトをそれでも踏みしめる。
僕の期待外れの旅 予定通り。
ジャック・ケルアック読んでた」と歌う。
これまで響きでしか無かった、
「ジャック・ケルアック」に意味が生まれた。
どこにも移動しないまま、
私は新しい意味を手に入れた。
ジャック・ケルアックは
当時の、というか、その瞬間の、
空気、温度、風を全て現代に持ってきた。
さあ明日は、どこへ行こうか。
