つぶやき2022.1.5-1.16
唐突ですが、わたしが考える大人の条件は、
大人として誰かに頼られていること
です。
#わたしが考える大人の条件
頼られていることへの応答で、その人の大人度がわかる。

微分のように感度を研ぎ澄まして集中していくことと、積分のように俯瞰し大局化していくことと。
自分の中の人を育てるには、両方大事なのだ。
またこの時、
微分も積分も自分が考えることは起点が自分でしかないことは知っておくべきである。
視点が他者に寄れば結果もまた違うということは知っておいた方が良い。
ここが、実際の数学と違うところである。
だから数学等は逆に客観的なデータを使用しなければならない。

心から感謝したくなるような物事で溢れていたら幸せだろう。
しかし現実はどうでもよいか気に食わないことの方が多いかもしれない。
気に食わないはなるべく減らしたい。ここで気に食わないことを解消する方法に人のセンスが問われる気がする。
解消の結果、感謝する、或いは、感謝されることが増えるのでなければ、きっと他にもっと良いやり方があったということだろう。知恵を使うなら、そういうところに知恵をつかうようにシフトしたいものだ。
人に感謝されて生きたいと思うことは、どこか下心があるような気がした若い年月もあったが、人に感謝されないという結果は、自分の行動の至らなさによるものと思うようになってきた。
心を尽くされれば、人は感謝するものだ。
感謝されないのは、やり方が子供じみているからだ。
つまり、感謝されないのは、自分が甘いからである。

極端に言うと、自分が痛みを負う覚悟がない絡みは全てマウンティング。
— 柴田龍一 (@sharethewonder) January 13, 2022
マウンティングするのは、人間が猿程度の下等動物だから仕方ないだろう。下等動物だから、潜在意識など、コントロールできないだろう。
むしろマウンティングに愛もユーモアも知性も感じられないことが問題として提起されるべきである。
世の中には、マウンティングしとるのに笑える人おるやろ?
この面白くなさは、共感性に関与していると思われる。
共感性を感じないマウンティングほど滅びてほしいものはない。
自分のことしか考えてないと、或いは、自分の都合だけ考えてると、共感されないわな。そりゃ。一般論としても。

まあ、愛もユーモアも知性もないのに、愛もユーモアも知性もあると勘違いしてるパターンが1番タチが悪いので、わたしのことは探さないでください。
愛してない人にされるマウンティングはすべて迷惑。
マウンティング諸兄はそこのところを肝に銘じていただきたい。
マウンティングは群れへの甘えである。甘やかしてもよいという人にしか受け入れられない。
甘えでないのであれば、相手に戦闘を仕掛けたのだと自覚した方がいい。
甘えるな。

いじめや暴力の最も嫌いな点は、加害者の甘えだ。許されるという甘え。こう言ったサディスティックなものごとの根底は甘えだと思っている。虫唾が走る。
それが許されない地獄に落ちた方が教育になるとさえ思う。

テロをゼロへってわかるんだけど、僕なんかはテロリスト全員集めて東京ドームとかで、素手で殺し合いさせればいいと思う。
マジで、戦争したい人集めて、その人たちだけでコロシアムで決着つけてほしい。
是非国連は働きかけて。

海外から洋書が無事届いた。ピカソの347シリーズという銅版画のイタリア編集版。表紙がやけているが(タバコのヤニかな?)中は綺麗。この347シリーズの一枚を部屋にも飾っており全集が欲しかったが日米出版のは大きいし(2冊組で10kg以上)これはコンパクトに347全ての絵が収められていて狭い我が家向き。


平成2年に出版された榊莫山著の齊白石の画集。この人は人物も山水も何を描いても味があるのだが、特に海老、蟹、蛙、ひよこといった生きものの絵が好きだ。生き生きと可愛らしい。


自分がおもしろいとかのっていると思っている時ほどコケるようなことが起こりやすい。
このコケるところを修復する冷静さがないと、ほんとにおもしろくはならない。

AKIRA全くストーリー忘れとるわ。面白い。

やったらできるが、手をつけられないことが増えている。
手や指をほんまに使わなくなってきたのでボケ防止のためにまたギターをはじめてみようかなど。

クラシック・ギターやフォーク・ギターは買ってもらったことあるけど、エレキは高校生の時自分で買った。おこづかいないから、グレコ。大人になってうまくなったらいいギター買おうと思っていたが、ぜんぜん上手くならないので、グレコ一台きりしか持ってない。
10年くらい前にヤマハの音楽教室に1年強通った時にメンテしてもらったけど、そっからメンテしてないし、一部部品が割れてしまった。まあ、老化防止のための手指の運動としては、申し分ない。

頑張る頑張らないとか言っていられるのは若い内かも。正解などない。頑張ったり頑張らなかったりすればいい。結果は返ってきたりこなかったりする。
歳を取るとちょっと違う。私自身うまい方ではないが適度な負荷をコンスタントにかけることが健康面においても年齢的にマッチしている気がする。サボるのは上手くなっているはずなので。

ブレードランナー2049の主人公の気持ちを思う。まあレプリカントなのだが。切ない映画だ。
カズオイシグロのわたしを離さないで。にも通じるような。アイデンティティの喪失のようなものが人間以外のもので描かれているから切なさだけが抽出される。
また逆に人間とは何であるのか。

奥さんからLineで記事が届いた。
厚切りジェイソンが語る「お金の力」(中西正男)#Yahooニュースhttps://t.co/kiK7GqDPod
— タツオト (@megane_no_ossan) January 16, 2022
奥さんからLineで記事が届いた。


ツイッターと同じくらいにはじめたインスタが2000投稿になった。アホなのかもしれない。

ほんまコロナは気をつけてもかかるかもしれない段階に入っちゃった。コロナも感染性と引き換えに毒性が弱まったから重症化しないことを祈るばかり。とは言え感染対策は大事でかからないで済んだらそれに越したことはない。お年寄り、ワクチン3回目間に合わないのだろうか。
特にオミクロン株については、気をつけてもかかる可能性がある。感染力が桁違いだ。自分もかかってもおかしくないのだと情報をアップデートして、他人事と思わず他者にも寛容になってほしい。

ふむふむ。
最近、医療情報については「いかに伝えるか」も大事なんだけど、それ以上に「いかにみんなでいっしょに考えるか」をまじめにやったほうがいいのかもなーと思うことが増えた。
— 病理医ヤンデル (@Dr_yandel) January 7, 2022
わたしは300光年先からきたのかと思うほど、人間の価値観は古い。
わたしが新しいというより、普遍ということがわからない人は、早く300回生まれ変わってほしい。
そんなことだから、普遍が常に革新になるのである。普遍が凡庸にならないのが不思議でならない。
北朝鮮の時代遅れ感。
中国にしても。
時代は変わっているのに前史をひきずる妖怪(日本にもいる)が国を統治してる感じってひょっとしたら有史以来ずっとそうなのかね。
人間、付き合ってられないとこが僕のわりに深いところにある。
人間1人1人の営みを馬鹿にしないけど、集団として馬鹿馬鹿しすぎる。
普遍というのは最初からあるものだ。人間が再発見しているに過ぎない。
すべての新しく生まれ引き継がれるものは普遍を新しい見せ方にしたものである教の教祖になろうか。

政府や企業があてにならないと嘆いていても嘆きは増すばかりである。間違いは正す方が良いが批判ばかりしているのも同じ穴のムジナだ。むしろ頭のいい方向に自分が導いていくくらいの意識や行動がないと腐ったドブの中で一生を終えることになる。

道具が便利になっただけで、有史以来、イケてる人は2割足らずなのだろう。
見透かされた虚飾ほど無様なものはないので正直に生きてる方が相対的にかっこよくなる。

ふむふむ。
自分が思う知的さって学力でもないし世渡りでもないしビジネスで成功するとかでもなく、大事なことは何かをわかってて言葉を選べる人なんだなと仕事していても感じる。仮にその大事な部分が少しずれていたとしてもひけらかしやごまかしや詰め込みがあるよりずっと知的に見える。
— 原かのこ (@kanokotty) January 14, 2022
泳ぐ必要などないことの方が多いが泳がないと溺れることもある。
状況把握と状況に応じた生き方ができないと落とす命もある。
どれくらいの人が気づいているのか知らないが、我々はもうこれまでのような生活を維持していけないだろう。

自分のことをダメだと思うのは、若い内は実力が伴っていないから、ダメが普通だし、折れずに適切な努力をしていれば、或いは、下手でも何年も続けていたら、上手くなっていく。
歳を重ねて駄目だという大半は駄目と言うクセがついているだけである。ほんとに駄目な人もいるかもしれないが今日まで生きてきただけのしぶとさはあるわけだし。自意識過剰で気にしているだけということもある。自分もナンボのもんじゃいだし世の中もナンボのもんじゃいだし。ここまで来たら開き直れ。

今までは何かを見たり聴いたりした時に、ここにはこういう良いところがあると、そういう良いものをどんどん集めるような足し算をしていた。
今年から、引き算をしていく。ほんとにしっくりくるものだけを選んでいく。ゆっくりと。

結婚の目的は若い内は色々あるだろうが50も過ぎるとお互いの老介護とかになる。

ら何みてんだよ。

思う通りにはそうそうならない。振り返ってほしい。ならないことの方が圧倒的に多いはずだ。
自分自身を振り返れば誰かの思惑通りなんて思う通りになってたまるかってところもある。人が自分の思う通りになるはずがないし、なってたら、それはほんとには良い状態じゃないかもしれない。
思い通りにならなければ腹が立つのが人情だ。時には腹を立てればいい。
しかし、思い通りにならないと腹を立ててばかりいるのは、なんとも浅はかで馬鹿馬鹿しいことではないかね。
もっと豊かなことに目を向けるべきだ。人生にかいがない。

思いがけないことで、幼い頃は気づいていなくて苦労したが、この歳になると、人間などすべからくキチガイということがわかり、なんぴともあてにしなくなった。
なぜその様なことが起こるのか。
キチガイだからだよ。
何故うそをつくか。
うそをつくのはあなたがキチガイだからだが、それを悟られたくないため、うそをつくのである。
宗教なんてものが生まれたのは人間が皆キチガイだからである。
祈るのも呪うのもキチガイだから。
戦争も暴力もキチガイだから生まれる。
イデオロギーはすべてキチガイの産物。
キチガイだから嫉妬もする。
キチガイだから妬み嫉む。
立派なフリするのもキチガイだから。

人間社会における成功など、言ってみればキチガイの度が過ぎたから。
先に述べたように、人間にはキチガイしかいない。
受け入れられるキチガイと受け入れられないキチガイがいるに過ぎない。
キチガイと言う言葉に抵抗があるだろうか。
それでは言い直そう。
人間には頭のおかしい人しかいない。
受け入れられる頭のおかしい人と受け入れられない頭のおかしい人がいるに過ぎない。
例えば、恋など、キチガイのなせる技である。本人、キチガイと思ってないので、マジキチである。
オリンピックに出るとかも、マジキチだろう。
必ずしもキチガイを恥じることはない。何度も言っているように、人間みんなキチガイなのだ。
むしろ人間はキチガイという前提に立った上で、今自分のキチガイの程度がどれくらいなのかを知ることが重要なのだ。
それが客観性である。
嫌がらせをするキチガイと嫌がらせをしないキチガイだったら、後者の方が好き。
キチガイにも度があるのである。
レスまじきことだが、自分もキチガイ、人もキチガイと思った方が、自己を正当化しようとして他人に腹を立てるより、寛容になれるのではないか。

#なうすぴにんぐ 。

左上:1978年のブラジル盤。音はフュージョン寄りで演奏上手い。派手さはないがグルービーで飽きがこない感じ。
右上:すごく音楽性豊かなコンポーザー兼アレンジャーの一枚。A1すごく良い。A面ラストも鬼グルービー。全編通して楽しい。
左下:1975年。NYのジャズ。ドラムスの人の作品。全編悪くないのだが、とにかくA2(アルトサックスとフルートで参加の人作)が泣ける程よい。
右下:オルガン・バー界隈で有名になったと記憶している。再発盤。DMRで買った記憶があるから、購入してから20年軽く超えるが、今聴いてもトキメキがある。時々そんなレコードがあるから、やめられない。
この辺は定期的に聴きたくなるやつ。

タツオトはレコードを売ってレコードを買うことを覚えた。
HPが1上がった。
1STは初めて聴く。月光浴。むちゃ良い。
てにをは てにをは。もいいなあ。

2NDもいい。何と言っても、回送列車が白眉。

バンド編成としての最新作。ダンス・ミュージックとしてのグルーヴ。

オビなしで1000円以下で買ったやつ。
デシネの丸山さんがよくかけてた「二人」が良い。
ピッチを速めると吉。
45回転でピッチを落とすくらいでも良いかも知れない。

この世界にはキチガイしかいなくて、そのうちの何割かはタチの悪いキチガイだから、心あるキチガイにとって、不寛容に対する寛容が人生の大きなテーマになることもある。

人が不寛容になるのには理由があるが、初めの不寛容の多くは無知によるものである。不寛容に対する不寛容は、日本人が好むところだが(仇討ち等)、厳しい見方をすれば、不寛容はすべて感情からきているので、その感情を態度に表すだけの甘えがある。
その上で、やっぱりこの世には地獄に落ちた方が良いような人間もいる。
地獄という観念が生み出されたのは、人を憎みながら復讐に手を汚すことの無かったものたちの描いた理想郷かもしれない。それもまた救いなのかもしれない。
ほんとに地獄に落ちればいいのにね。

正しさほど疑ってかかってよいものはない。

天才の狂気。凡人の狂気。
覇者の狂気。隷属の狂気。
正義の狂気。悪人の狂気。
愛の狂気。憎しみの狂気。
感情の狂気。理性の狂気。
建築の狂気。破壊の狂気。
動の狂気。無為の狂気。
精神の狂気。肉体の狂気。
あらゆるものに狂気は宿る。
知性を備えた時から人は狂う定めだ。
少し狂っていることを自覚しているくらいが丁度いい。

ものすごくまともなんてことはキチガイにしかできないし常に人のことを考えるなんてこともキチガイにしかできない。何かを成すなんてキチガイにしかできないし毎日同じような生活を繰り返すなんてキチガイにしかできない。
ずっと独りでいるなんてキチガイにしかできないしそれでも人を愛すなんてキチガイにしかできない。

地球や人々を救うなどキチガイの考えることである。並大抵なことでは世界は救えないし救えるものかもわからない。
だがこの世界には少しでも良くしようとする愛すべきキチガイもいる。
救世主のようなキチガイさはわたしにはないが、ちょっとしたことが救いになる夜もあることくらいは知っている。
だからちょっとだけ人に優しくしてみないかね。

まともな奴が一人もいないからって、ヤケになるのが馬鹿。
まともな奴が一人もいないからって、平気に生きるのが賢い人。

ものごとに反対する時、理屈より感情が優先していないか、考えてみても良いのではないだろうか。

ヒステリーを起こす人は、その人の主観において自分が受け取っている愛情が足りないと感じているのだろう。
実際に愛されたかどうかより、受け手の感じたことの話。
愛されると感情は豊かになるが、愛されないと感情の強度だけが大きくなる。

感情で物事をコントロールしようとする人はそれが幼い頃からの成功体験なのかもしれない。やっかいで近づきたくなくなるのが人情である。
真の愛を受けにくいのではないかと思う。だから子にすがり毒親になったり?常に受け取る愛が欠乏していると感じているから単純な感情が大きくなるのではないか。
愛が欠乏していると感じている人は穴の空いた袋のようなもので、満たしても満たされないのかもしれない。
いつまでも受け取ってばかりいようとするから、満たされないのである。
ものごとはおかしなもので、逆に与えようとすると、満たされてきたりするものだ。
この世の作用・反作用はわかりやすい単純なものじゃない。

「ぐしょぐしょに濡れちゃった。」
この一文からわかる事実は何かがかなり濡れたことを表現しようとした。ということである。
どんな人が喋ったのか、どんな風に喋ったのか、何が濡れたのか、濡れてどう思ったのかなど。すべてあなたが勝手に受け取って感じたことである。
注意頂きたいのは、濡れたことが事実かも、ほんとにぐしょぐしょかも、実際には定かでは無いということだ。
こうこの人は表現した。あるのはその事実のみである。
それ以外はあなたが感じたことなのである。
言葉とはそういう特性を持つことを理解していて損はない。

誤読されることが怖いのは嫌われるのが怖いから。責めはしないけど得もしない。もちろん言葉は磨くべき。その上でどんな言葉も誰かの何かに引っかかって刺さるというのは相手の問題であって自分の問題から切り離した方がいい。誰も傷つけない言葉に命はあるか?タフでなければ長くは生きられない。

傷つきたくないなら、自分で距離をおくくらいの積極さがないと、受け身すぎる。
ノーガードで、汚い暴力的な言葉ばかり受け続けるのは、あまりにも受け身すぎる。自分を守ることを疎かにして損をするのは自分だけである。
中島みゆきも、自分のオールを相手に任せるな。と歌っている。

話上手も恋愛上手も床上手も相手を気持ちよくしているのである。
相手を気持ちよくしないで勝手に腹立てているようではもの好きにしかモテるわけがない。
100万回生まれかわって孤独に震え続けろ。

傷つくのは自分を大切に思っているからである。
自分のことは自分で大切にしないといけない。人にも大切にしてくれとは思うけれども人には人の都合もある。
人を大切にできるかは余力でしょ?人に大切にされるかは余力出したなりである。
子はまた違うものだろうけど、うちにはいないので。

ふむふむ。
カウンセラーさんが『今のなし権』を先に伝えてると聞き、生徒指導で取り入れている。子どもはつい口走っちゃうこともあるし、嘘をついちゃうこともある。だからそんな時は、怒らず「今のは本心?それともなしにする?」と聞く。「今のはなし」「OKじゃあ忘れる」子どもには黙秘権よりこっちの方がいい
— エイ (@zikatu1) January 12, 2022
片思いを美しく思うのは終わりを目にしていないから。
記憶は美しく更新されていく。
もてようとしている。
始まらなかった恋ほど長く続くものはない。
もてようとしている。
しかし、本当に大切なのは始まった愛である。
人は時々それを忘れて、失ってから気づく。
もてようとしている。

日本人の秀でたものを引きずり下ろしたいパワーはすごいな。
美人という言葉を差別というのはルサンチマンだね。
手塚治虫の火の鳥に収められている一話を思い出した。

逆に、俺も若い時は頑張らない人嫌いだったけど、それもかなり自分勝手な考え方なのよね。
いちいち説明しませんけど。

自分より立場が下の人にしか厳しくあたらない良い子ちゃんが悪い夢みておねしょしますように。

若い人が知っておいた方がいい落語家の言葉
他人の芸を見て、あいつは下手だなと思ったら、そいつは自分と同じくらい。
同じくらいだなと思ったら、かなり上。
うまいなあと感じたら、とてつもなく先へ行っているもんだ。

日本人は弱い。欧米人などに比べ、どう見ても肉体的に強くないから、精神に頼らなくてはいけない。昔の人ほど精神が強いとも思わないし、精神が強い人でも常に精神が健康で安定しているとは限らない。
自らが弱いと知った上で、柔らかさを生かした方がいい。弱いものも特性を生かせば良い働きをする。
弱いものが、俺は弱くない、強い。と思って生きることを否定はしない。そう思うことで強くなる人間も中にはいる。
しかし、弱さを知った上で、自らの持ち味を生かししなやかに生きていく人間の方が、わたしは強いと思うのだよ。

姿形という美醜はやがて崩れてくるもので、崩れるままとするかは人の勝手だが、心のあり様こそが自分次第である。
子供の頃の自分を裏切りたくないものだというのは、自分の中に確かにある。

無いものねだりはそろそろやめて、自ら種を植え、育て、収穫しなくてはいけない。

自分がしっかりしていないと、人を守るなどおこがましい。


成人式に出るという発想がなかったので出たことがない。ということは未だ未成年なのだろうか。社会には出て久しいのでいい加減出るべきだろうか。しかし今年も出なかった。たぶん来年も出ない。私は成人しないまま老人になる。

人間、長く生きていると、だんだんと厚かましくなってくる。
必ずしも悪いことではなく、生きることが下手なままではそれこそ暮らしていけないが、うまくなり過ぎるのも良い塩梅ではないのかもしれない。

どんな人でも、自分が思うような形で、かっこつけたいのかもしれない。
しかしながら現実は、かっこつかないようなことばかりが起ころうとする。
何とか帳尻よくかっこがつけば、人生は上等なのかもしれないね。
自分はかっこつけたいくせに、人がかっこつけたいこと(些細なことじゃなくてほんとにかっこつけたいこと)を邪魔する人はいけすかない。
粋じゃない。
ださい。
若い頃は人を小馬鹿にするくらいで丁度よいが、いつまでも小馬鹿にしている人は、ほんとの馬鹿である。
馬鹿にしている人間と口を聞きたいとは思わない。
俺は真面目に生きてるつもりだぜ。

WALDEMAR KOLBUSZ

Mark Rothko

hester berry

Zhang Dali


Jennifer Packer

知り合いの美容師さんのところにアンドレ・ブラジリエの絵が飾ってある。お母さんから譲り受けたらしい。この人の作品の中でもかなり好みだ。この絵が収録された図録は無いだろうか?検索しても特定できない。

Inge Shuster


Masao Yamamoto

Hiroshi Watanabe

うさんくさいものは昔からあったが、体裁を整えたうさんくささには愛すべきところもない。
年齢だ、性別だ、権威だ、学歴だ、職業だ、何人だ、どこに生まれたというより、もっと大切なことがあると思っている。
コンプレックスとは妄想が9割である。
価値には、いい加減なことで決まったことと、とても大切なことがある。
前者に捉われ過ぎず、後者を見つめ直すようにしている。
理想論は理想論としてある。しかし、人間は偏っていてクセがあるので、上手くやりたいなら、クセに合わせることも大切。

叱った方がいいミスと叱らない方がいいミスがある。そういうことを考える人には好感が持てる。
ミスの本質ではなく、効果を狙って叱責する人を、私は信用しない。
生きるのに賢くなるとは、例えばそういうこと。
らしさっていうのは、特徴を感覚的に捉えたものかな。感覚は嗜好と関連するけど、感動はそれよりずっと深いところにあるよね。

飛べないブタは一般的なブタだ。
みんな自分を特別と思いたいのだから、特別だと思えばいい。
しかし、全員が特別なのだと考える冷静さも必要だ。
誰かにとって特別な人は、他の人では替えがきかない。
しかし、それは特別なことではない。
その当たり前なことを、人は忘れがちである。

ちょっとのことなら、人は許すことはできる。しかし、一線を超えてはならない。
そうなってしまうと、人の特性としては、許すよりも、30年怒り続ける方が容易い。
人の心を悪戯にする人は、それがわかっていない。
殺されるのも、不思議な出来事ではない。
情念は怖いのだ。
情念。ルサンチマン。うらみつらみねたみそねみ。
感情に火がつくと理屈は通らない。
人の情念をいたずらに刺激しないことだ。
振り出しに戻るが、人間なんてキチガイなのだということをわかった上で、対し方を心得るべきだ。

わたしは1秒あれば、真剣な話と冗談を切り替えるし、どちらも気持ちまで切り替えることができる。
わたしだって人々に愛されて2兆円を振り込まれたい。
いやせめて2兆円を振り込まれるだけでもいい。
絶対大丈夫。最後はみんな死ぬ。

地球は共鳴しとるからの。
既出かもしれないけど、フンガトンガ・フンガハアパイって、そりゃ噴火しそうだよな。

人類の潔癖性が人類を殺すディストピアに向かってる感。自らどんどん住みにくい社会を形成する人類。みんな頭でっかちになって、考えることに身体性がないのね。長生きなんかしたら、ロクなことがなさそう。
ついていかれん。その内人間もクリーンエネルギーで動くんちゃうか?
クリーンな考え方って無茶苦茶エゴイスティックじゃない?

馬鹿の定義って、人によるんだよな。
偉い人でも、馬鹿だなと思うことはあるだろうし、馬鹿にも、馬鹿にとっての馬鹿がいるのだろう。
人が人を馬鹿と思うのは仕方がないのかもしれないが、何を馬鹿と思うかで、その人の馬鹿ランキングがわかる気がする。
子供の頃はあんまり人を馬鹿にしていなかったな。こんなに馬鹿が多いとは気づいてなかった。のんびりしてた。
馬鹿に馬鹿っていうと、馬鹿は怒るからね。難しいよね。だから馬鹿はなかなか直らない。

機械を作れない人が機械の出来が悪いと怒っている。
芝居の出来ない人が芝居が下手だと怒っている。
楽器を弾けない人が演奏が下手だと怒鳴り、音痴な人がお前の歌は下手だと怒鳴っている。
書けない人が小説を面白くないと言い、描けない人がお前の絵は下手だと言う。
恋も上手くいかない人が結婚を馬鹿にし、子供を育てたこともない人がお前の子供は馬鹿だと言う。
戦ったこともない人がお前は弱いと馬鹿にして、争ってばかりいる人が我慢している人を馬鹿にする。
金を稼げば金持ちがと叩かれ、金がなければ貧乏人と馬鹿にする。
お前はいったいナンボのものなのか。

ご馳走!海鮮丼


ご近所ラーメン。味噌。

時々天ぷら食べたくなるね。阪急梅田近くの天ぷら屋さんいつも並んでる。並ばず入れた時に入りました。



一度目の体験には相当の情報量がある。多少高くても経験してみる価値があるかもしれない。
しかし何度も同じ経験を繰り返すべきかは少し考えてみてもいい。
繰り返しの経験は生活になる。
要は、生活に取り入れたいものであるか、ということ。
行ってみたいと思い続けていつまでも行けてないと、願望が妙に肥大していく。実際の欲求よりも大きなサイズで、気持ちの中に残っていく。一度行きさえすれば願望は正当なサイズになる。これは何においても適用される。
— ニンパイ (@shinobuk) January 16, 2022
犬も歩けば棒にあたる
口をひらけば誹謗中傷
言葉


愛の深い人間でも、愛を感じていない相手には残忍性を見せる。人間なんてそんなものである。むやみに信じるものではない。
あなたもまた、ある特定の相手に対して優しいだけである。人の優しさなど、そんなものである。
人は美しさも醜さもあるのだ。美しさしか認めない人は信用がおけない。どうせ考えることが片手落ちだからである。
事件を起こして死のうと思う人が事件を起こさず死のうと思わないのはほんとは死にたいんじゃなくて誰かの目に止まりたいのかな。気づいて。みたいな。

僕には人の醜さを見て醜いと言いたい衝動がある。
見た目の美醜ではなく心の醜さ。
嗚呼。醜い。
神にも醜さを嗅ぎとってしまう。
醜さがわかるから、美しさもまたわかる。

人間は、自分が死ぬまで自分の殻に閉じ籠ることができる。 https://t.co/eIp9CG2Jkd
— タツオト (@megane_no_ossan) January 16, 2022
40後半からウィスキーはストレートでしか飲まなくなったな。
鈍くなったからだろう。

少し役に立つことを教えてあげてると、人は尊敬されると尊敬を裏切りたくなくなるので、相手を良くしたいなら、ちょっと言いたいことがあっても、尊敬の念を示すことである。
持ち上げるまではしなくても良い。
尊敬しつつ、駄目なとこは駄目と言える関係がいいね。

多くの人は必ずうまくいく方法に気づいている。
しかし性格がそれをさせないのだ。
うまくいかない魔法を自分にかけている。
人にかかっている魔法に気づくことはあるが自分にかけられた魔法にはなかなか気づかない。
だから人と話すことは大切。

いいことを言おうとしている人はいいことを言おうとしているのである。
あなたいいことを言おうとしてますねと言われた時に、はい。と答えられる素直さがモテるのであって、いやいや、そんなそんなという人はモテたい癖にモテない人だ。
わたしは時々適当なことを言う。

リアで説教したら煙たがられるので、わたしのようにツイッターでエア説教したらいい。
見事に放っておかれるので、世の中そんなもんである。
冷える。
僕は疲れすぎた。
甘えたい。
今足りないものは、温泉である。

わたしたちは現実を懸命に生きている。しかし、この現実が、仮想の出来事であることを、疑似的に経験している。それが、夢。である。
夢であることを。違う現実からの信号で気づく。キックバック。インセプションとかマトリックスと言った映画は、そういう構造の映画だ。
この様な構造は、現実の中だけでもありそうだ。例えば、人間は、戦争や競技など争いに夢中になる。この時、災害など、他の現実からの信号があれば、それまで夢中になっていた現実に対し、冷静になる。夢中になっていた世界が、仮想とまではいかなくても、小さな世界の出来事であったことに気づく。
小さな出来事だけが大騒ぎとなり、その人の命にまで関わることもあれば、違う現実からのキックバックが強すぎて、ショックで命を失うこともあるかもしれない。
かようなことを想像していると、今朝も奥さんが生活という現実の話をしてきて空想から引き戻されました。
おはようございます。

相手がこの様なことで困るかもしれないと想像して声をかける。
相手の感情に対し、暖かさを持って感情で応える。
相手の理性に対し、誠意を持って理性で応える。
相手が楽しみたいときに、一緒に楽しむ。
相手の寂しさを突き放さず、相手の孤独にそっと思いを馳せる。
人間性とはこの様なものであり、人間にとって尊重すべき態度とは、これ位のことではないのか。
わたしができているというわけではなく、自分へのメモとして。

人による。

