9条の下でのリアリズム
はじめに
これまで日本の憲法、とりわけ9条について書いてきました。
日本国憲法三原則の一つ、平和主義の象徴ともいえる条文であると共に、憲法について議論する時、真っ先に俎上にあがるのは9条であることは間違いないだろう。
その議論において、憲法を守るべきという立場を護憲派、改正をすべきという立場を改憲派と一般的には定義されている。
しかし、9条の場合は特に複雑で、単純に両者を一括りに捉えられないのではないだろうか。
例えば、戦争は反対だが日本を守る為には「戦力の保持」は認めなければならないとした考えだ。
その点に踏み込めば、憲法の改正はするべきか否かの分岐点が非常に難しくなってきます。
私は「基本的には護憲」の立場に立っていますが、上のような視点を交えながら 9条についてお話しをしていきたいと思います。
1. 憲法と法律の関係
少し長くなりますが、その為にも先ずは憲法と法律の関係から説明していき、自衛隊の問題について触れていきたいと思います。
政治は、国の最高法規である憲法に則り、その「範囲内」で法律を制定し、国を運営していかなければなりません。
その範囲を超えてつくられた法律によって行われる行政や組織は憲法に違反していることとなり、それは「無効」とされ、そうしたものは「取り消されなければならない」んですね。
2. 憲法と法律の適合性
法律が憲法の「枠」を超えていないか、その適合性を判断する手順を「簡単」に説明します。
※独学での素人故、至らない点など多くあると思われますが、あくまでも概要としたものだけでも伝わればと思います。
国会での立法の過程は、議会での議論と共に法律と憲法の適合性は内閣法制局で判断され、最終的に国会で採決され、施行となります。
※ 安保法制の立法の過程では、国会での議論を有利に進める為、「法の番人」と言われる内閣法制局長官の人事に対して「恣意的」な起用が行われたことは許し難いことであった。
国会での審議を終え、法律が施行されてから判断を行うのは司法、つまり裁判ですが、原則として司法において判断を行う為には「事後」でなければなりません。
その法律によって「行われたこと」により、「損害を受けた」ので訴えるということですので、「実際に」損害を受けていなければ、訴える「事実」はないから判断はしかねるということになる訳です。
その一例として、法律の制定前から憲法違反である恐れが大いにあると言われた安保法制に対し、違憲訴訟が起こされているが、違憲判断を回避し、原告の請求を棄却する判決が相次いでいるのは、法律が「具体的にどう運用され、誰にどのような実害を与えたか」という事実(具体的争訟)がないところが大きい、からではないでしょうか。
その点を踏まえて考えたいのは、名古屋高裁でのイラク派遣に対する訴訟において、敗訴となるも違憲判断が下された裁判は「事後」であったからと言えるのではないでしょうか。
3. 9条の憲法解釈
ここからは自衛隊と憲法の「整合性」についてお話をします。
自衛隊はこれまで、憲法に違反しない「合憲」である組織としてきました。
憲法に違反しない為に合憲とすべきは、先ずその根拠となる 9条に照らし合わされます。
日本国憲法 第二章
第九条【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
( 憲法9条は二つのことを宣言しています。
① 国際法で一般的に違反とされている「戦争を放棄する」こと。
② 放棄した戦争を行うための「戦力を持たない」こと。*1)
※ 本 note 末に( → *No. ) 間において引用及び参照した書籍を紹介します。
9条の文言だけを「素直に」読んでみれば自衛隊は違憲であると言えます。
自衛隊は違憲であると言う考えは、率直に9条の条文「だけ」を読んで解釈をしていますし、実際そう受け取られるべきかもしれません。
しかし、憲法の解釈を行うには「単体」の条文だけで判断されるものではありません。
4. 従来の政府の9条解釈
( 政府の9条の解釈の基本は、次の2点に尽きるといってよい。
①自衛隊は、外国からの武力攻撃を受けた場合に、これを排除して国民を守るための必要最小限度の実力組織であるから、9条2項で持たないとされている「戦力」には当たらない。
②したがって、自衛隊が【実力】を行使できるのは、我が国が武力攻撃を受けた場合に限られ、集団的自衛権などに基づいて海外で武力の行使をすることは許されない。
この2点は表裏一体ともいう関係にあり、これを前提として、政府は、自衛隊の武力行使が許されるのは、次の3要件を満たす場合に限られるとしてきた。(自衛権発動の3要件)
① 我が国に対する急迫不正の侵害があること、すなわち武力攻撃が発生したこと
②これを排除するために他の適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと *2)
上の解釈について政府は、「この基本的な論理は、憲法9条のもとでは、今後とも維持されなければならない」と、安保法制の制定後においても不変であるとしています。
( このような 9条の解釈が可能とされたものとして、①「芦田修正」といわれる一説がある。
「前項の目的を達する為」。この文言を挿入したことによって、自国から戦争に繋がるような行為、つまり侵略的な【戦力】を持つことはしないが、自国を守る為の【実力】は持つことはできるという解釈が可能となったと言われている。
しかし、芦田修正説は、国会や内閣との規定との関係で、憲法全体の体系を踏まえると無理があり、より説得力のある ②「武力行使一般禁止説」が、最も有力な解釈であるとされている。
自国を守るとは、つまり「自衛権」のことであるが、国際法上認められたこの権利を、日本も他国同様に有する、といった解釈は、② において 9条を読み、加えて、憲法13条の幸福追求権と、憲法前文にある「国民の平和的生存権」によって導き出された解釈です。*3)
https://www.mod.go.jp/j/policy/agenda/kihon02.html
政府が行なってきた9条の解釈の推移を追うにあたっては、元内閣法制局長官・阪田雅裕氏の書籍が詳しい。
5. 現実との乖離
このような憲法解釈をおこない、運営されてきた国を守るための「実力組織」は軍隊ではないというのが、歴代の政府の言い分です。
しかし、2026年、現時点での自衛隊の「世界」における軍事力ランキングは7位。
その順位は下がるどころか上がってきている。
憲法の解釈など、単なる言葉遊びに他ならず、その「外観」は正しく軍隊そのものである。
よく使われる言葉に「非戦闘地域」といったものがありますが、その言葉を使って行なった、米軍への支援は戦争行為との一体化に他ならない集団的自衛権の行使であるといえよう。
イラクや南スーダンへの自衛隊派遣。
「自衛隊のいるところが非戦闘地域*」といった屁理屈によって、危険な地域へ送りだされた自衛隊員は生きた心地ではなかっただろう。
*2004年、当時の首相であった小泉純一郎氏による国会答弁。
南スーダンから帰国した現役自衛官のうち、これまでに2人の自殺が判明したとの記事がある。
「非」などと嘯き(うそぶき)、遠方から高みの見物だけしている「背広組」は、非戦闘地域の「現地」に是非ご同行を。
一定の区切りがついたからとの南スーダン撤退。
部隊の派遣は、それ以来「ゼロ」となっている。
また、イラク派遣のその後についても深刻であったことを付しておこう。このような「現実」を忘れてはならないし、許してはならない。
イラク派遣に関連して、こちらを紹介したい。
「自衛隊を活かす会」の代表を務める、元防衛官僚・柳澤協二氏は、自衛隊のイラク派遣時、内閣官房副長官補を務めていた。
イラクの自衛隊を統括する事務的な立場だったとのことだが、当時の事を振り返り、自戒の念を吐露すると共に、このようなことを言います。
「今までお付き合いして来た政治家の言葉で、一番気に入らないのは、『国民の命を守ります』とは言うんだけど、国防というのは、国民の命を守ることではなく、国民が命をかけて国を守るのが、国防なんです」
実に的を得ており、改憲派をはじめ、自衛隊を「送り出す」ことに前のめりな者が、いかに政治家や勇ましいことを「言うだけ」の者の扇動に引っかかっているのかが、よく分かります。
煽りに煽ってけしかけるだけの「チキンホーク」達の言葉に、易々と騙されてはならない。
れいわ新選組 伊勢崎賢治議員🌟
— 🐾 みぃ 🐾ピンク肉球の人🐾 (@___m__i__i__) December 21, 2025
【チキンホーク】
自らは戦場に行かず威勢のいいタカ派の政治家
今はチキンホークだらけ
これが安全保障のジレンマ
どんなに言葉を尽くしても水掛け論になるだけ
発想の転換が必要#れいわ新選組 #伊勢崎賢治 pic.twitter.com/yKmp3OLMIJ
6. 「守れない」9条
平和、日本、国民を守るために9条を守れ。
しかし、9条は自衛隊員を守るどころか、とてつもなく危険な状態に追いやっている。
そのことをちゃんと理解せず、「単純」な護憲論に陥ってはいけません。
柳澤氏は著者「自衛隊の転機」にて、「武器の使用は自衛官個人の権限として想定されており、その結果については自衛官個人が一義的に責任を負うことにならざるを得ないだろうと思っている。
仮に相手を殺してしまったら、刑事上の責任を負わされる可能性があった。
非常にショックを受けたのは、私自身が現役で働いていた時は、そのことにほとんど気がついてなかったことなのですね」と語っている。(P77)
戦闘地域で丸裸のような思いをさせられる上に、「もしも」の事があっても、自衛官個人の責任にされてしまう恐れがあるというのだ。
専守防衛で自衛隊に守ってもらう?
私たちは何と愚かなことを思っているのだろう。
ここからは、その詳細と解決策を見て行こう。
キーワードは「法の空白」である。
自衛隊と軍隊には、法の仕組みに違いがある。
ポジティブリストとネガティヴリストといわれるものだ。↓ はざっくりと簡単な説明。
日本の法哲学者・東京大学名誉教授・井上達夫氏がその点にも触れながら、自衛隊が抱える「法の空白」の問題にまで言及し、憲法改正の必要性を説いている。前、後編とあるが是非目を通してみていただきたい。
自衛隊がいかに「無責任」な組織であるか、お分かりになるのではないだろうか。
「中味」に対する意見は、見識を広げていただけると共に、その通りだと言えるが、憲法改正については「必ずしも」賛同しない。
法の空白の是正には、憲法を改正する必要はないとする、伊勢崎賢治氏の「提案」を私は支持をしているからだ。
これまで「実務家」や「教授」として活躍されてきた氏は、日本の安全保障問題を、残りの人生をかけて何とか是正しようと、れいわ新撰組の参議院議員となり、長年訴え続けてきた「法の空白」を国権の最高機関、国会に持ち込みはじめた。
↓ではPKOの派遣ゼロについても言及している。
こちら↓の質疑では、小泉大臣の自衛隊の訓練を巡る、「人殺しの練習」との批判に対する大臣の反論が世論の対立を招いたことを指摘した上で、そこから関連する重要なことを質問している。
しかし、大臣の答弁は、「私としてはそのような思いで答弁をしているわけではない。その意図と思いを測りかねます。ですので、その前提になって問われても正確にお答えするのは難しい」と。
まともに答えようとしないのである。意図ではなく「質問」を理解せよといいたいが、氏が指摘する「空白」を埋める気が、自民党には更々ないことが察せられるのではないだろうか。
氏が、法の空白の是正にあたって最も重要視しているのは「人権」である。
自衛隊員の人権、法の空白による「相手」への人権侵害、更には、「ヘイトスピーチから戦争は始まる」といったことまでを網羅して考えている。
こちら↓ の氏の質疑では、「日本がジェノサイド条約に参加できてない背景 ( 先進国として本当に恥ずかしい ) として、処罰類型や構成要件の設計、これが国内的に主な障害になっているという認識でよろしいか?」という問いかけから、法の空白と人権侵害との関連性を窺わせられる。
「雛形的」な受け応えや、小泉大臣の根性論やしらばっくれようからも、「責任回避」を目論んでいるとしか思いようがない。
近年の自民党の政治姿勢の体たらくは落ちていく一方であり、責任回避には「全力で取り組んでいる」のが常だからである。
「政治的行為」は罰則対象(自衛隊法61条)です。
— 木村草太 (@SotaKimura) April 14, 2026
ここが注目されていますが、それとは別に、「隊員たるにふさわしくない行為」で懲戒対象(同46条1項2号)かどうかも問題となります。
【詳報】陸自隊員の自民党大会出席 小泉防衛相、会見でかわし続ける:朝日新聞 https://t.co/eKyfR9m0Q7 #自民
「幼稚な嘘、知らぬ存ぜぬ、差し控える」を連発し、安易に逃げ続けられる状態を許し続ければ、国は滅ぶか、行くは独裁体制である。
答えろ。聞いているのは議員や記者でない、その後ろにいる国民なのである。
話が脱線気味になったが、SNS を見ていても明らであるように、氏は議員となったことで、一段と注目度は上がってきたと感じている。
議員となる前の2020年、氏は「国際刑事法典の制定を国会に求める会」を設立し、法の空白を埋める為の法制度の骨子案を公表しました。
↓ HP で閲覧、PDFプリントアウト可能。
この法制度の骨子案を作成するにあたり、法学者を入れた衆議院議員の法制局のチームをつくり検証を行なった結果、憲法「改正の必要はない」との結論を得たとのことだ。
時間がかかりすぎる「現実的ではない」憲法の改正より、刑法と自衛隊法の改正で可能となる空白の解消。これを支持しない手立てはないだろう。
無責任な体制から、自衛隊員を守る為にも一刻を争うことではないだろうか。
これまで、自衛隊が一発も打たなかったことが本当に奇跡であると共に、イラク派遣、南スーダン等で苦しみ、命を落とした隊員の為にも、早期の立法実現を願う。( ここで誤解してはならないのは、立法の実現は上のようなPKO部隊派遣を是とする意はない)
※ 尚、PKOは、部隊から司令部への参謀長の派遣へと形を変える。この5月から任務に当たり、2015年に成立した安全保障関連法に基づく自衛官の国連派遣と初事例となるとのこと。
派遣は正式前との note ↓ だが、少しの理解にも繋がるのかと。
この note での「課題とリスク」を読んでも分かるように、武力衝突の恐れがある地域で、実戦経験のない、実戦が許されない組織の人間が指揮系統に立つなどとは、いかがなものであろうか。
7. 完全なる非暴力主義
ここまでは9条の解釈と、その解釈によって無責任な法体系が生まれていることを述べ、その空白を埋める為の手段について説明してきました。
ここからは、更に9条の下で、その理念を追求していく為に自衛隊はどうあるべきかということを、氏の提案を追って紹介していきます。
伊勢崎賢治氏はこれまで憲法改正の必要性にも言及していましたが、私は、それは「戦争ができる」為のものではないと理解しています。
その点をよく誤解され「単なる」改憲派と思われてきた節もある。
これは ↓ 一つの批判的意見として参考に。
確かに氏は改憲の必要性を論じていたが、その危険性を感じたのは護憲派のロシア・ウクライナ戦争への態度だったと。今、改正するべきではないと至った考えについて述べている ↓ は、必聴。
専守防衛による個別的自衛権の行使においても戦争犯罪は「必ず犯される」こと踏まえ、護憲派はよく耳を傾けて欲しい。
あなたの考えは、日本の一般市民を守ること「だけ」を考えていることになっていませんか?
そうした経緯によって刑法と自衛隊法の法改正のみで解決できることに至ったことからも分かるように、一貫しているのは自衛隊員を守り、非暴力を貫くためなのである。
氏は 9条についてこう説きます。
"9条とは「白旗」を揚げることである。
それは「命乞い」ではない。
武器よりも強い武器が非暴力抵抗だと言っている。臆病者の道具ではない。
自分の命が大切だからと言う話ではない。
相手の国の子どもたちも死なないように白旗を揚げる。
それが、9条である。
ガンジーがそうであったように、アヒムサの心を持つことである。
究極の非暴力というのは、市民の抵抗を国家に置き換えた場合、9条が言っていることがアヒムサである。
戦わないっていうのは武器なんです"
※ アヒムサ: 非暴力・不殺生。ヨガ哲学の根幹となる教え。他人だけでなく自分自身に対しても身体的・言語的・思考的な暴力を振るわないことを指す。マハトマ・ガンディーも実践した愛と敬意に基づき、全ての生き物を思いやり、心穏やかな平和的状態を指す考え方。
上の発言は定期的に行われている↓での発言をメモしておいたものです。ジャズトランペッターでもある氏。渋いジャズと深いMC、皆様も是非視聴してみて下さい。
4月18日(土)「伊勢崎賢治トーク&ライブ」同時配信ライブチケットhttps://t.co/pHgObU3Dhw
— 伊勢崎賢治 (@isezakikenji) April 3, 2026
同様の発言はこちら↓でもされています。
8. 9条をより9条とするために
そして、9条をより9条とするために、日本、自衛隊にできることがあると氏は提案しています。
それは ジャパン COIN ( Counter Insurgency )、
[ 米軍の対テロ戦略(COIN)を基に、武装した自衛隊を海外派遣せず、非軍事的な貢献(インフラ整備や対話仲介)で現地の人心掌握を目指す日本独自の平和貢献・紛争解決策。武装勢力との対話を重視する「非武装」の平和外交案 ]
という戦略の下で行う国連軍事監視団である。
詳しくは↓などをはじめとした著者を参考にして欲しいのですが、
↓の記事などでも触れられています。
( P13 9条に抵抗しない紛争解決 非武装の「軍事監視団」をお読み下さい)
https://www.hhk.jp/9jo/pdf/20151225isezaki.pdf
また↓では次のようなことを述べられています。
「『非武装の俺を撃ったらおしまいだよ』と身をもって停戦状態を体現する。当然、殉職者も出る、高度な職能である」(P127)
下手をすれば殉職にも繋がり得ない、厳しいという言葉だけでは足らない任務であろう。
しかし、上記書籍にて日本に対するアフガニスタン等での印象を「美しい誤解」と表現する言葉がある。(P44,他)
実際に米軍と一体化的な行動がありながらも、日本が戦争に交わらなかったこれまでの「印象」によって、日本が与え得ている中立性による信頼のことである。( 宗教においても中立である )
これがあるからこそ、日本に「だけ」為せる業があると氏は言います。
私には是非、と「無責任」なことは言えない。
しかし、憲法で世界平和を希求することを唱え、国際紛争を武力で解決することを放棄する 9条を掲げる日本がより平和を追求するならば「行き着く先」であるといえるのかもしれません。
ここで同書籍から引用する。
「 憲法前文と九条をつなぐ努力が必要だ
護憲派は、この構想をどう受け止めるだろうか。自衛隊を派遣することは、どんなものであれ絶対にだめだと言うのだろうか。
憲法前文には、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖とから免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と書かれている。
続いて、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と宣言している。
これを読めば、一国平和主義ではいけないと憲法は言っているのだとわかる。世界中から紛争をなくすため、日本はイニシアチブを発揮すべきだというのが、前文の立場である。
現行憲法は、【 九条を使って前文の理念を実行しなさいと言っていると思うのだ。】前文抜きで、九条の維持だけを目的化するのは「違憲行為」だと僕は思う。
護憲派は、非武装自衛隊の派遣で実績ができたら、ゆくゆくは武装した自衛隊派遣につながるのではないかと、疑念をもつかもしれない。けれども、僕は、武装兵を出さないためにも、非武装の軍事監視員が必要だと思う。
軍事監視には中立性が必要だから、地上部隊を出せば、特にアフガニスタンにおける対タリバンという文脈の中では、中立性が喪失する。そうなれば、自衛隊による軍事監視業務そのものが成り立たなくなるのだ」
※【 】は、私によるものです
いかがだろう。憲法とは全体を見ることの必要性を前でも述べたが、日本国憲法は、前文にその理念の全てが込められていると思います。
仮に、そのような任務を遂行できる組織となれたならば、軍隊としての戦力よりも、専守防衛を貫く平和の為の本物の「実力」を持つ国として、その信頼を勝ち得ていけるのかもしれません。
インフラの整備や世界各国の被災地への貢献などは、より素晴らしいものだろう。
戦力は持つが、それは使わない。
自衛隊は、非武装による世界への貢献を行う、暴力を否定する組織として9条の下での「リアリズム」を追求していくべきではないだろうか。
長年訴えてきたことを、政治の場に舞台を移し、残りの人生を賭け行動する氏は「本気」である。
「護憲的リアリスト」
私は、氏のことをそう思っている。
現実と法を一致させ、リアリズム (現実主義) に徹底し、「責任ある組織」、政治を、そして国を作り上げていく為に、今こそ氏の行動と共に、私たちも声を上げていくべきではないだろうか。
それが、日本国憲法の平和主義の理念を追求していくことに必ずや、繋がっていくはずである。
最後にこちらの記事を共有します。氏のいう「9条の心」とは。是非お読みいただければと思う。
おわりに
このような現実主義的な話をすれば、中国の脅威などを持ち出し、そのような「現実」があるとの指摘が浮かぶこともあるだろう。
しかし、更なる現実を鑑みれば、アメリカによるイラクへの攻撃のようなことを起こしてくるかと言えば、それは非現実的ではないだろうか。
多大なるリスクを冒してまで得られる利益があるとは到底考えられないだろう。
今般の情勢によって、日本の資源の乏しさも身をもって明らかになった。
戦争となれば「継戦能力」に必要なのは武器だけではなく、資源の豊富さに加え、人、もである。
それは、戦争の最中だけの話ではない。
戦争によって日本の多くの命や資源が失われたとすれば、復興する為の力は最早、残されてはいないであろう。
しかしながら、日本政府は戦争に陥ってしまうリスクを自ら深めているようにみえる。
日本の国際的イメージのこれから。
— yoshitomo nara / 奈良美智 (@michinara3) April 13, 2026
「日本が「平和憲法」を廃止へ
与党の自由民主党(自民党)は12日、東京で第93回党大会を開催した。首相兼自民党総裁の高市早苗氏は、憲法改正に関する問題で、「党が設立されて70年、憲法改正の時期が熟した」と宣言した。… https://t.co/KOp6WS9bRf
私たちが理解しておきたいのは、本当の脅威は国内にあるということだ。
正に真っ只中である少子化、資源不足や自給力などを解決するためのタスク (課題) に力を入れることが先決ではないだろうか。
憲法改正という名の改悪がゴリ押しされる可能性が高まってきているので【れいわ新選組:山本太郎代表】のド正論を改めて流しておきます!!!… pic.twitter.com/HXAGRRum00
— コダマ (@kodama1234567) April 21, 2026
戦争には莫大な金が掛かる。その金を払うのは私たちであり、一握りの者だけが莫大な富を得る。
命をまるで将棋の駒のように使われ、代償を払わされるのは、いつの日も一般市民だ。
扇動に乗せられてはいけない。言葉や手を出すのは簡単だが、一旦出せば、収めることは難しい。
革命の歴史は、暴力から非暴力抵抗へと移行してきた。市民の抵抗を、国家に置き換えよう。
国際法を具現化した法規を国内に落とし込んだ唯一の国、日本。
「普通の国」の国になる為に憲法改正をというのは常套句の一つであるが、私はそうは考えない。
何故ならば、9条の精神は、世界をより平和なものへと進める為の武器としてすこぶる「先進的」なものだからである。

オンラインアクションさんへ寄せた写真とメッセージ
氏の影響は言うまでもありません笑
追記として
これを書き上げる時点での最新の内閣委員会での質疑を共有したい。
海外での自衛官による過失致死傷事故があったことや、合同訓練中に米軍への誤射が発生したことなどに対する政府の無責任な対応を批判。
改めて、法の空白を埋めるために議員立法を提出することを述べた上で、最後にこう締めくくる。
「今の状態では、法的な救命胴衣も着けず、隊員を荒波に乗り出させる行為」だと。
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武器輸出ルール緩和決定の発表があった。
そもそも、実戦で使わせないものが売れるか?という話、そんな馬鹿げた契約をするとは思えないし、政府は必ず嘘をついているはずだ。
また、奇しくも?アメリカとフィリピンとの軍事合同演習「バリカタン」の開幕式典と同日である。
「日本の自衛隊は、去年発効されたフィリピンとの円滑化協定を受け、今回が初めての本格参加となり、1400人規模の隊員を派遣。地対艦ミサイルの発射訓練など、【実戦的】な演習を行う予定」
先制射撃もできない似非軍隊が実戦的な演習?
前のめりにも程がある。高市政権の無法で無謀なスピード感は危険極まりない。
「責任」は絶対に取らないであろう政治家達を、我々は一刻も早く引きずり下さねばならない。
また、訓練中における事故の訃報があった。
謹んで哀悼の意を表するとともに、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。
自衛隊がより安全な環境におかれることと共に、自衛官も9条の下で守られる国となることを強く願い、我々は決して諦めず、声をあげ続けていかなければならない。
参考書籍
*1) 憲法9条を知るための「10の問答」速水博昌
*2) 憲法9条と安保法制 阪田雅裕
*3) 自衛隊と憲法
新聞への関連投書掲載
このnote を書くにあたり新聞に投書してあったものが掲載されましたので、添付いたします。

少しでも多くの方に広がり、考えることへのきっかけになることを願います。
