自伝シリーズ第12話 | 事務職で得た気づきと再生の兆し
社会人事務職転属編
事務職で得た気づきと再生の兆し
ー営業職からの転換ー
営業職として心が折れてしまった私は、休職中、退職を考えていました。
そんなとき、当時の支店長がわざわざ自宅に来てくれました。
「営業以外の形で、続けてみないか?」
その提案に、
私は迷った末に応じました。
理由は二つありました。
一つは、
「まだ自分を必要としてくれる人がいる」
「私の可能性を見てくれている」
という、ほんの小さな自己肯定感。
もう一つは、
「この状態で転職は…多分出来ないな」
という、冷静な気持ちでした。
そして、もし辞めたとしても、
「自分は何をしたいのか?」
という前向きな答えは、まだ見つかっていませんでした。
逃げたい気持ちと、立ち止まる不安。
そのどちらも抱えたまま、私は次の選択をしたのだと思います。
休職という、立ち止まる時間

まず私は、三ヶ月間の休職に入ることになりました。
心と身体を休めるための時間。
同時に、自分のこれからを考えるための猶予でもありました。
とはいえ、この時点で何か明確な答えが出ていたわけではありません。
「次に何をしたいのか」
「どんな生き方をしたいのか」
そのどれもが、頭が少しばかり回るようになってきた時も、まだ言葉にならないままでした。
ただ一つ言えるのは、
営業職として無理を重ねてきた自分を、
いったん止める必要があった、ということだけでした。
ただ漠然と時間の流れていく中で、感じていたのは「何か自分の中の、何かが壊れてしまった」という事でした。
営業所でのサポート業務という助走

休職明け、私は元の営業所に戻り、営業のサポート業務を担当することになります。
期間は、約三ヶ月。
前線に立つことはなく、
営業マンを裏側から支える立場でした。
数字を追い、感情を削りながら顧客対応に立ち続ける役割ではなく、
一歩引いた場所から、現場全体を見渡す役割。
この期間は、
心を慣らし、視点を切り替えるための助走だったのだと思います。
ただ正直に言えば、この時期、人に会うことはまだ怖かったです。
事務所の電話が鳴るたびに、心がざわつき、頭の中でノイズが走るのを感じていました。
何か笑う必要があった時の笑い方は、多分凄くぎこちなかったと思います。
そういう意味では、
「回復した」
とは、とても言えない状態だったのだと思います。
ただ、以前のように完全に立ち止まっていたわけでもない。
とりあえず、会社には出られるようになった。
それが、この頃の自分の正確な状態でした。
支店異動、そして正式な事務職へ

働き方として合っていたのかもしれない
その後、私は支店へ異動となり、
そこで正式に事務職として働くことになります。
事務職の業務は、営業とはまるで違いました。
顧客対応の最前線に立つことはなく、
配送管理業務や、社宅・社用車の管理といった、総務的な事務作業が主な業務でした。
表に出る仕事から、完全な裏方へ。
当初は不安もありましたが、実際にやってみると、意外にも自分に合っていました。
日々の業務は地味で、決して目立つものではありません。
けれど、会社が滞りなく回るためには、欠かすことのできない役割でもありました。
慌ただしく感情をすり減らす営業の現場とは違い、
落ち着いて物事を整理し、先を読んで段取りを組む時間がある。
その環境の中で、私は少しずつ、自分のペースを取り戻していったのです。
高校時代の学びが生きた瞬間

事務職に就いてしばらく経った頃、私はあることに気づきました。
高校時代に産業高校で学んだことが、ここで確かに生きていたのです。
エクセルやワードの基礎知識は、
配送管理や社内資料の作成、データ整理の場面で力を発揮しました。
情報を整理し、誰が見ても分かる形に整える。
その積み重ねが、「助かる」「分かりやすい」という言葉につながっていきました。
また、デザインや創作の授業で培った感覚は、
掲示物や簡単な資料を作る際にも役立ちました。
ただ情報を並べるのではなく、
「どうすれば伝わるか」
を考える癖は、確かにここで生きていました。
こうした経験を通して、私は強く感じました。
高校で学んだ知識は、決して無駄な「点」ではなかったのだと。
営業職で培った顧客視点。
大学で身につけた論理的思考。
それらが事務職の現場で結びつき、
点と点が線になり、やがて面になっていく感覚がありました。
改善と工夫、そして板挟みの中で

事務職として復帰し、2年目に差し掛かるぐらいだったと思います。
働く中で、私は常に考えていました。
「どうすれば、現場がもっとスムーズに回るだろうか」
管理方法の見直しや、段取りの工夫。
小さな改善を積み重ねていくことで、
確実に現場のストレスが減っていく。
その一方で、現場の最良を目指せば、
今度は配送業者に無理をお願いすることになり、負担がかかる。
そんな板挟みの調整が多いのが、配送管理業務でした。
それでも不思議と、
営業時代に比べてストレスは少なく感じていました。
それはきっと、
「顔の見える、身近な人たちのために動いている」
という実感が、
大きかったからだと思います。
「ここは最終地点ではない」という感覚

ただ一方で、心の奥底には、消えない感覚もありました。
「たぶん、ここは自分の最終地点ではない」
仕事は評価され、感謝もされる。
けれどそれは、あくまで
「誰かのために整える役割」
というものでした。
高校時代から好きだった、ものづくりや表現。
自分の内側から湧き出る創造性を、
ここで十分に発揮できているかと言われれば、答えは違っていました。
事務職で得たもの

出来ることと好きなことは
違う、そんな感覚で過ごしていた
それでも、この事務職の経験が無駄だったとは、まったく思っていません。
・高校時代の学びが、社会で役立つと実感できたこと
・整理し、組み立て、改善する力が、自分の強みだと気づけたこと
・「効率化」や「仕組みづくり」が、自分に向いていると分かったこと
これらは後に、
キャンプギアの製作や、ブランド運営を行う際の、確かな土台となっていきます。
事務職編のまとめ

三ヶ月の休職。
三ヶ月の営業サポート。
そして、事務職としての日々。
それは遠回りのようでいて、
折れてしまった自分を、少しずつ立て直すための時間でした。
この時期を通して、私はようやく、
「自分の歩みは無駄ではなかった」
と思えるようになります。
同時に、
「ここは通過点なのだ」
という直感も、確かに芽生えていました。
このときに育った視点と感覚は、
やがてキャンプという場所と、ものづくりの世界へと繋がっていくことになります。
