『暁星』湊かなえ 読了(※ネタバレ注意)
最後の1ページを、もっと言えば最後の1行を読み終えた瞬間、思 彼らの物語をパブリックなものにしてくれてありがとう、という感謝が真っ先に浮かんだ。
状況的に『暁闇』も『金星』も開かれたものにせざるを得なかったのかもしれないけれど、きっとそこには、彼らにしか拾えないたくさんの言葉や情景、感情があるはず。そんな尊い結びつきを、私たち読者がこれでもかと深掘りできるところに、物語であることの良さがあると、改めて感じた。
そして何より、彼らの物語は絶対に「本物である」ということ。
作中で私の大好きなセリフの1つに、『金星』第4章で星賀が暁生に言う
「自分の中の優しさに気づいたでしょ。半分、もらうね。」
というものがある。
これは暁生に焼きそばパンを「 ー それ、二等分できる?半分こじゃないよ」(『暁星』p272)と言って分けるよう促し、彼が見事なまでにそれを等分した後に言うセリフだ。
私は2人の人生に共通することとして、彼らの「意思」が遠くへ置かれてしまっている、または遠くへ自ら置きにいっていることだと考えている。そしてその根本にあるのは、愛光教会という憎き対象のみならず、父、母、弟、叔父叔母など愛する対象も存在しており、複雑な「愛憎」であると感じた。
そのような何から紐解けば光が刺すのかが分からないような状況で、上のセリフは暁生の中にある「意思のある優しさ」に星賀が輪郭をつけてくれたのではないか。
こんな風に、彼らは私たちが見えていない所でも、残酷だけど微かな希望がある世界の中で、お互いがお互いを確立させ、そして自分自身で歩いていけるように背中を押し合って(時にはもたれかかって)いたのだろう。
そして今、感想を書きながらなんとなくわかったかもしれない。
私が感じた「本物である」ということの中身は、
暁生が星賀を、そして星賀が暁生を想う感情は、
純白のドレスのように紛れのない、深くてあたたかな「愛情」だった、ということだ。
暁と星子がそれぞれの語りを同じことに気づいて終わっていることにも書きながら気づき、また嬉しさを感じてしまった。
なんとなく眠れない夜や、ふと目が覚めてしまった明け方に空を見上げる度、2人の物語に思いを馳せてしまいそうだ(3回目、4回目と重ねて読みたい)。
