第295怪~文憑幻夜、そして見世物小屋
文憑幻夜
もう先週の話か…7月21日、ストロベリーソングオーケストラでは無く、僕が鏡町で身を隠して営んでいる書肆、瀉葬文幻庫の久々の瀉葬『文憑幻夜』が秘密倶楽部アニマアニムスにて無事(?)に幕を閉じた。
当日の台本の冒頭はこうだ。
「いつもの液体でよろしいですか?」
というマスターこと、鬱の問いかけから始まり、僕こと瞽が「普段この店にあまり来れないから今日はゆっくりしていこうかなあ」と応え、僕がこれまで作ってきた曲の中でもまあまあ異例な『ビイルの唄』へと雪崩れ込む。

『海』と『くじら』の夏のお便りが共犯者様から届く
いつもありがとうございます!
昭和百一年の時空を彷徨う異形たちの宴。
いかにもステレオタイプなアングラという言葉を打破、怪しくも美しい見世物小屋から死神三寸離れた『異空間』ならぬ『異区間』をこれでもかと詰め込んだ極上の毒電波空間である。某劇的リフォーム番組も白眼を剥くレベルの、なんてことでしょうな異界への変貌である。
しかし、だ。
ステージの上でどれだけアナーキー包丁を振り回し、デンパ!デンパ!と毒電波を纏おうとも、犯行現場の裏側はトホホな現実で溢れている。実はこの日、僕がこの重厚な世界観を貫き通すために、ある「ブツ」を密かに仕込んでいたことが終演後に唖にバレてしまうという、赤っ恥な事件が起きたのだ。まずは麻取りならぬ魔取りが感づいた裏話から語るとしよう…か。
実を言うと、この数ヶ月間、度重なる鏡町の案件のせいで僕の脳髄は完全なるパニック状態に陥っていた。今回の公演のコトノハをなんとか海馬に叩き込もうと、毎朝チョコザップのトレッドミルを走りながら必死に歌詞を唱える反復作業を繰り返していたのだが……どうにもこうにも、自分で産み落としたはずの歌詞なのに、最近(いや、昔から大して変わらんか)すこぶる覚えが悪い。無理もない。僕の海馬の記憶容量ときたら、初代ファミコンソフト『がんばれゴエモン』発売当時の脅威の「2M」しか残っていないのだ!驚異どころか、もはや狂異である。今時のスマホ写真なら、たった数枚でパァァァァァァンクしてしまう容量だ。流血ブリザードもビックリ!

だからこそ、歌詞がどうしても不安な僕は、瀉葬文幻庫の最新曲でもある『月を沈める』の一部歌詞を、譜面台に置かれたiPadの横に「カンペ」としてコッソリ仕込ませるという暴挙に出た。A4サイズのコピー用紙をドカンと置けば一発でモロバレなので、わざわざ小さく切り取って貼り付けるという涙ぐましい偽装工作である。
さらに悲劇は重なる。犯行のわずか2日前におこなわれた稽古にて、信じられない事実が発覚したのだ。なんと『一生徳利』という曲で僕自身のパートがあるにも関わらず(自分で配役したくせに)、唖からの指摘によって、その存在を完全に失念していることが判明したのである。
「こんな台詞みたいな歌詞、今からよう覚えられへん!」
と、白眼を剥きながら早々に匙を投げた僕は、このコトノハたちも極小サイズに切り取って譜面台へペタリと追加で貼ることにした。誰が書いた歌詞なんだろ。運転手は僕だ。座長も僕だ。
「シメシメ、これで誰にもバレへんやろ」
と、内心ほくそ笑みながら本番を迎えたわけだが……結果は惨敗。魔取りこと唖にはバリバリにバレているし、何なら最前列で僕らを見守る毒者の皆さんの網膜にも、そのトホホな細工はバッチリと映り込んでいたようだ。かくして、威風堂々たる見世物の主は、極小カンペを盗み見しながら極上の毒電波を放つという前代未聞のプレイを披露することになったのである。
まあ、そんな赤っ恥な裏側がありつつも、なんとか無事に本編の幕を下ろすことができた。終演後は、沢山のお酒を胃袋へと流し込み、久々に唖と二人、コボコボと互いのグラスにビィルを注ぎ合いながら、朝まで呑んだとさ。
そして翌朝。
どれだけ呑んでも結局3~4時間で目が覚めてしまう僕は翌日朝から店の片づけをし、そのままチョコザップ。汗をかいたあとにタンパク質補強と久々マドラスカレーをいただきにいく。

甘辛くて美味しい。

アニアニ停泊の時は必ずココ。
で、恒例の丸尾湯にてさっぱりしたのが昼14時頃。
ううむ、まだ時間があるな、今夜は久々のストロベリースタジリハもあるし、昼寝でもして体力温存…
奇が憑いたら、たよしにいました。

これで1200円。やすぅぅぅぅい
たよしで生2杯呑みながら、河岸を変える段取り。これまた奇が憑けばスマホで『サイゼリヤ』のメニューを検索している始末。
はい、きっちりその後、サイゼリヤで紅白ワインのマグナムを逝かせてもうて撃沈いたしました。。チーン。
見世物パンクの原点
外の世界ではコンチキチンという祭囃子が遠くから風に乗って聴こえてくる。そう、この記事を書いている今日の大阪の街は『天神祭』の本宮で大騒ぎなのだ。世間の連中が浴衣姿でキャッキャと綿菓子やリンゴ飴を頬張る中、52歳の白塗りおじさんは薄暗い潜伏先である自宅の書斎にて一人、胃薬を流し込んでいる。
今の綺麗に整備された、無菌室のような祭りしか知らない連中には想像もつかないかもしれないが、昔の天神祭はもっと胡散臭くて、ドロリと血生臭い匂いが漂っていた。大川沿いにズラリと並ぶ一般的なテキ屋の屋台。そのハレの喧騒に紛れ込むようにして、ひっそりと、しかし異妖な存在感を放ちながら『見世物小屋』のテントが建っていたのだ。
おどろおどろしい手描きの看板、スピーカーから流れる割れた口上。そこは日常のすぐ隣にポッカリと開いたブラックホールだった。
今から30年近く前だったか、ある年の天神祭で、僕はその見世物小屋のテントの裏手でタバコを吹かしている興行の方と話す機会があった。ステージ上で異形の芸を披露し、観客の度肝を抜く彼らは、僕にとって紛れもないヒーローのような存在だった。だが、テントの片づけをしている最中、会話の途中でふと彼がこぼした一言が、何十年経った今でも、鏡町の柱時計の音のように僕の耳の奥で重く鳴り響いているのだ。
「もう後継がおらんのよ」
彼は吐き出した紫煙の向こうで、ひどく寂しそうに笑っていた。世間がどんどん綺麗に、コンプライアンスという名のベールに包まれていく中、命を削るような見世物興行は徐々に居場所を失いつつあった。あの寂しそうな笑顔は、滅びゆくアングラ文化の最後の残り香だったのかもしれない。
滅びゆく見世物の世界を語る上で、僕の海馬に今なお強烈な毒電波を放ち続けている人物がいる。伝説の人間ポンプこと、安田里美氏である。


火も豪快に吹く!
以前、氏のドキュメンタリー映画を小さな映画試写室みたいな単館で観た時のあの衝撃は、サイゼリヤのマグナムワインによる眠気を一瞬で吹き飛ばすほど、僕の脳髄を根底から激しく揺さぶった。
碁石や金魚を飲み込み、胃袋の中で自在に操り、再び生きたまま吐き出す。それは単なる手品や手先の器用さなどではない。文字通り、自らの内臓と命を削って観客の度肝を抜く、極限の芸である。徹底的に己の肉体を酷使し、見世物という名の極上のエンターテインメントに生涯を捧げたその生き様。そこには、生半可な綺麗事やコンプライアンスなど一切存在しない。ただひたすらに、観客の網膜に異形の姿を焼き付けるという凄まじい執念だけがあった。
僕らがストロベリーソングオーケストラのステージでアナーキー包丁を振り回し、放ちたいと願っている毒電波の究極形は、まさにあの命懸けの姿そのものなのだ。翻って現在の自分はどうだ。サイゼリヤで撃沈し、今も尚、胃薬を飲んで「ううむ、胃腸が……」などと嘆いている場合ではないのである。
現在。非常に悲しいかな、僕の棲むこの大阪の街から「本物」の見世物小屋は完全に姿を消してしまった。今日、天神祭の大川沿いを歩き回ったところで、もうあの胡散臭くて愛おしいテントに出会うことはない。スマートで無菌室のような催し物ばかりが並ぶ現代の祭りの風景を見るたび、僕はどうしようもない喪失感に襲われてしまうのだ。
だが、日本から完全にその火が消えてしまったわけではない。東の都・東京に目を向ければ、かつての名残をしっかりと引き継いだ劇団や、独自の毒電波を放つパフォーマーの方々が、今なお見世物小屋のテントを張り、その妖しい灯を必死に守り続けている。彼らが表現という名のアナーキー包丁を振るい、年々厳しさを増すコンプライアンスの隙間で闘い続けている事実は、僕にとって大きな救いである。と同時に、
「大阪の白塗りオッサン、たよし逝って、サイゼリヤのマグナムワインで白眼剥いてる場合ちゃうぞ」
という、強烈な発破でもあるのだ。
本物の小屋が大阪から消えたのなら、僕が僕のやり方で、新たな見世物小屋を建てるしかない。安田里美氏のように生きた金魚は吐き出せないかもしれないが、僕には脳髄に渦巻くドス黒い妄想とルサンチマンがある。
それこそが、ストロベリーソングオーケストラであり、瀉葬文幻庫であり、僕らが鏡町から28年間掲げ続けてきた『見世物パンク』という情念の灯火なのだ。

ストロベリーソングオーケストラ
鏡町という名の見世物小屋
河川敷に胡散臭いテントこそ張らないが(通報案件)、今の僕らには目の前にある単毒公演『廻る廻るワルツ』がある。そこで顔面に白粉を塗りたくり、極小カンペは仕込まず海馬に焼き憑け、共犯者たちの脳髄へ向かって直接、致死量の毒電波をブチ込んでいるのだ。
伝説の人間ポンプのように、生きた金魚や碁石は吐き出せないかもしれない。しかし、僕の脳髄に渦巻くドス黒い妄想と、2Mの容量しかない海馬から絞り出した犯行思想なら、サイゼリヤのマグナムワインを飲み干した如くいくらでも臓物から臭いコトノハを吐き出せる。時代が変わり形は違えど、僕の根本にあるのは、あの天神祭の夜に魅せられた「見世物小屋」の精神そのものだ。僕がアナーキー包丁を振り回し、舞台に立ち続ける理由はただ一つ。この狂気の灯を、大阪の片隅で絶対に絶やさないためである。
この見世物小屋への熱すぎる想いや、アングラを取り巻くディストピアな現状については、今後もXの電網の荒海へ向けて呟こうと思っている。
電網という広そうで狭い牢獄の中で、果たしてどれほどの毒電波を放てるか分からないが、共犯者諸君はどうか見逃さずに、リポスト、そしてブックマークという名の共犯に手を染めてほしい。無菌室の世間に、僕らの存在証明を叩きつけてやろうじゃないか。
ちなみにコチラは僕が影逢にめちゃくちゃ何回もテキストを送り込んで、ようやく完成させた『現・Xの図解』である。

どんな手段でもいい。
拍手、伝播、記録保存、そしてヤジ。
1つでも多くの推しへの反応をくれ!
そうしたら、ストロベリーソングオーケストラの名前が一人にでも多くの人に広まる筈だ。で、今後の公演にもつながっていくだろう。
頼んますよ!
さて、気がつけば鏡町の柱時計の針が、深く重たい土曜日深夜の時刻を告げようとしている。今日のアニアニにもお越しいただいた皆さん本当にありがとう!
帰り道の天神祭の喧騒もすっかり静まり返り、残っているのは皆が撒き散らすであろう二日酔いの痕跡、そして祭り、サーカスのあとの幻影だけだ。
見世物パンクの灯火を燃やし続け、世界中のニッチな海馬へ向けて毒電波を放つのは僕の使命である。だがしかし、なにより僕自身の命の灯火がショートしてしまっては元も子もない。伝説の人間ポンプのように胃袋を極限まで酷使しなくとも、たかだか1500円のマグナムワインで十分に内臓を痛めつけているのだから世話はない。
だから僕は明日も、チョコザップへ通い、隣のトレッドミルで走るおばちゃんを横目に、心のアナーキー包丁を研ぎ澄まし、帰ってホット豆乳ココアで胃腸を労わる。これが52歳を迎えた白塗り座長の、切実でリアルな「健康第一のディストピア」なのだ。
すべては、次に開かれる密室で、共犯者諸君の網膜に最高濃度の毒電波を焼き付けるために。
次なる犯行現場で、極上の見世物を用意して待っている。その二つの眼を僕におくれ。

単毒公演
『廻る廻るワルツ』

『青少年のための常人狂育』

『死のプロージット』
それではココからは毒者特典デス。
先日おこなった瀉葬文幻庫『文憑幻夜』から幾つかの楽曲をキリトリしてお届けしましょう。カッコよく編集しとります(やる事他に滅茶苦茶あるのに!!)
それでは毒者登録していない方は登録してから、この虚構と現実の狭間を行き来してください。
お憑かれ様デス!やってて良かったnote! アナタのお気持ち(サポート)宜しくお願いします! いただいたお気持ちは今後の執筆活動・創作活動にドバっと注いで逝きます!!褒めたら伸びる子なんデス(当社比)

