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ジュークボックスなぁ…

FBである方がジュークボックスの投稿をされていた。週初めの今日中にしなければならないことを済ませ、カフェでマイルス・デイビスのペットを聴きながら、書きかけのノベルに手を加え、一息ついてFBを開いたところ、その記事が目に飛び込んできた。
ジュークボックスなぁ…褒められた話でない思い出がマイルスの演奏を突っ切って脳内に映像再生されてきて、記しておきたいという衝動に駆られた。
この一文はコンテスト向けではなく、遠い目をした高齢者一年生としてnoteに呟いておこうとiPad miniのアプリを切り替えた次第。呟きという「テイ」なので、あえてオレと表記することをお赦し願います。

1976年。ヘソマガリ(大阪市内の昭和中期の表現では『イチビリ』という言葉がしっくりくる)なオレは、普通に高校に行きたいとは思わず、高専と言う道を選んだ。それは親父の希望でもあった。高専の合格通知を受け取った翌日、中学三年の担任の先生が自宅をわざわざ訪問し、将来を案じてくれた。「この子はどう見ても文系です。高専に入ったら苦労すると思います。普通科から大学に行った方がいいと思いますけど…」。

これに親父が反応した。「文系の大学出て何になりますか?こいつは人にアタマよう下げられんと思うから営業マンは無理でしょう。経理も合ってないと思うし、まして総務畑でも務まらんでしょう。本人は試験管振りたい言うてますから、このまま高専にやらせます」
先生は「あなたはどうなの?」と訊くも、すかさず「高専に行きます」とオレ。「わかりました。でも普通科は受けておいてね」と仰られ、父子はそれには従った。合格したが、もちろん入学の意思はなかった。

さて高専。全寮制で全学総体育会系の雰囲気。一人で物思いに耽ったりギターをかき鳴らすのが習い性のオレの専攻は工業化学で、実験は出席番号が後の男子とペアを組む。彼はどこか皆んなとテンポが違うし手順なんかもよく間違える。それにも増してオレは入学直後から文系脳が露骨に発現し、二人のユニットは深夜まで再実験、再々実験が続き、消灯後食堂でレポートを書くと言った日が週に二日発生するのだった。そして、次第に他の理数科目、専門科目が苦痛になっていった。

学校が面白くない。学校からいっ時でも逃れようにも全寮制。一人になりたくとも24時間絶えず他者が間近にいる。静かな自習時間は苦手科目のテキストと首っ引きにならざるを得ない。消灯前の30分の自由時間にギターを弾きたくても同室の二人の硬派な先輩(柔道部)は、フォークもロックもお好きではない…

梅雨に入った頃になると、寮の消灯時間を待ち、持ち合わせのお金を持って壁を乗り越え絨毯スナックへ度々出かけるようになっていた。掘り炬燵のように絨毯敷きの床に座り、カウンター越しにお姉さんと話をしながら、当時流行りはじめたヴァイオレット(またはカカオ)・フィズを手に、「常に誰かいる」と言う環境を束の間でも忘れられる至福の時間を創ることができるのだった。
座位の後方にはジュークボックスがあり、三曲100円だったか、あまりラインナップに入っていないフォークやロックを好んでオン・エアーし、爆音に身を任せながらフィズで喉を潤す。たまにやってくる流しの兄さんにはマイナーなフォークをせがんで口ずさむ。最後はジュークボックスに再び手を掛け、「ナオミの夢」で、ゴーゴー締め。たぶんお姉さんは、大人びた風情のオレでも、おおよその年齢はわかっていただろう。いくら高専が5年生までいて、入学時に一浪〜三浪がざらで、しかも留年者が多い学校だったとしても…そして、いつも破格の支払いで済ませてくれるのだった。

夏休みが明けた9月、同学科の大洞吹き男が中学浪人をして普通科に入り大学を目指すと言い出し、退学を決めた。彼の送別会をこの店で行うことにした。5人に声をかけて、絶対的な安さで貸し切りをさせてもらった。フィズの瓶は次々と空になっていく。ジュークボックスはフル稼働。日をまたぐまで彼の門出を祝った。もちろん最後は「ナオミの夢」で締め。

その後二人の退学者をこの店で見送った。だが、オレの退学時にはここに行かなかった。誰にも見送られずに高専を去り、前年辞退した高校に一学年遅れて入学した。高専に退学届を提出したのが春休み中で、友人は誰も学校にはいなかったから、一人静かに去ったのだった。
大洞吹きの男とオレは、高専にこそ合わなかったが、後に博士号を取得した。この二人、心身が壊れる前に合わない環境からの脱却という決断ができてよかったのだろう。


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今井清賀 主にお笑いと音楽に関する、一回読み切りのコラム形式になります。時々いけばな作品も説明付きで掲載していくつもりです。気楽に訪ね、お読みいただければ幸いです。