言語は好きですか?書評家による『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』感想文

毎年200冊以上の本を読んで書評している141(いよい)です!普段は、読書の中で得られた面白い内容や知見を紹介していますが、今回は軽く読める読書感想文です!
言語は好きですか?
突然ですが、あなたは言語や言葉は好きですか?
私は大好きです。背景を少しだけ書くと、私は書評家として日々大量の文章に触れています。単に本を読むだけでなく、その内容を分析し評価を行い、そして自分自身の言葉で再構築して読者に届ける、という作業も必要です。
言葉を「使う」プロとしても、一つの文が持つ構造、接続詞一つで変わる節と節の関係、そして選び抜かれた単語の的確なニュアンスに真剣に向き合っていると、必然的に言語そのものへの関心は上がります。気がつけば、その構造の美しさや、表現の奥深さに、はっと気づかされる瞬間が何度もありました。読むのも書くのも、本当に大好きなのです。
畑に着くと、まず水やりから始める。スプリンクラーのスイッチを入れ、水が均等に撒かれているか確認する。朝の水やりは、植物にとっての朝食のようなものだ。特に夏場は、この時間を逃すと日中の暑さで葉が焼けてしまう。
「また虫が」
トマトの葉に、アブラムシがびっしりとついているのを見つける。指で一匹一匹潰していく。農薬を使えば簡単だが、それでは土が死んでしまう。土が死ねば、作物も死ぬ。作物が死ねば、私も死ぬ。そういう単純な連鎖を、都会の人は理解していない。
お察しの通り、書くことも本当に大好きです。
同じように言語に関心を持つ人は少なくありません。言語を研究する学問を言語学と呼び、その中にもたくさんの分野があります。
音の物理的な響きは「音声学」、文を組み立てる仕組みについては「統語論」、言葉が持つ意味は「意味論」で研究されています。
その中でも、古くから哲学や科学の世界で人々を魅了し続けてきた根源的な問いが存在します。
「言語が違えば、世界の見え方も違うのではないか?」
これはサピア=ウォーフの仮説と呼ばれています。言語学者のサピアと、その弟子ウォーフによって提唱されたこの考え方は、20世紀に話題を呼びました。
この仮説は、今でこそ「そんな単純な話ではない」と慎重に扱われています。なぜなら、ウォーフたちが提示した主張は、あまりに先進的で、客観的な証拠が追いついていなかったからです。「ある言語に未来形がないから、未来を考えられない」というのは、確かに飛躍しすぎていますよね。
この「証明のなさ」が原因で、仮説そのものが一時的にタブーとされていた時期もありました。
しかし、一度は否定されたはずのこの仮説が、近年の科学の力によって、新しい姿で復活をしているのです。
ガイ・ドイッチャーの『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』
この本は、ウォーフの主張は間違いとしつつ、同時に「言語は思考に全く影響しない」と考えるのも間違いだと書いています。私たちの母語が、知覚や記憶、連想といった認知の「クセ」に、無視できない影響を与えるという、より緩やかな主張をしているのです。
例えば、ロシア語は日本語の「青」を「濃い青(синий)」と「水色(Голубо́й)」という2つの異なる基本色として区別しています。その影響で、ロシア語話者は、この2つの色の違いを英語話者よりも素早く認識できることが実験でわかっています。
また、過去や未来と書かれた2枚のカードがある場合、私たちはおそらく「左に過去、右に未来」と書かれたカードを配置します(過去→未来、と書くと自然ですが、未来→過去 とすると逆方向に見えますよね)。
ですが、オーストラリアの先住民言語グーグ・イミディル語には「右」「左」という言葉がありません。彼らは常に「東西南北」で空間を捉えます。そのため、彼らに時間の流れをカードで表現してもらうと、私たちのように「左から右」ではなく、太陽の動きと同じ「東から西へ」と並べるのです。
このように、本書は数々の実験をもとに、言語がどれほど私たちの思考に影響するかを説明していてとても面白かったです。
言語の研究はなぜ難しいのか
しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。言語が思考に影響するという説が、なぜこれほどまでに二転三転し、長い間「タブー」とされてきたのでしょうか。
それは、この分野の研究が、途方もなく難しいからです。
私たちの心の中は、直接覗くことができません。ある人の考え方が「言語」によるものなのか、それともその人が育った「文化」や「環境」によるものなのかを、綺麗に切り分けるのは至難の業です。
本書の例を支持する研究は他にもあります。私の知っている範囲では、同じオーストラリアの別の先住民言語クーク・サーヨル語の研究でも、グーグ・イミディル語と非常によく似た結果が報告されています。彼らもまた、時間の流れを「東から西へ」と並べる傾向がありました。
面白いのは、この研究では、同じコミュニティに住み、同じ文化を共有しながらも英語しか話さない人々と比較している点です。そして、彼らは私たちと同じように、時間を「左から右へ」と並べたのです。
環境や文化が同じでも、話す言語が違うだけで時間の捉え方が変わる。これは、「言語が思考に影響する」という説の、さらに強力な証拠と言えるでしょう。
しかし、科学はそれほど単純ではありません。一つの説を支持する証拠が積み上がったかと思うと、それに「待った」をかける研究も現れます。その代表例が、中国語の時間をめぐる論争です。
中国語には「先月」を「上の月(上个月)」のように、時間を「上下」で表現する言い方があります。かつて、ある有名な研究が「この垂直のメタファーがあるから、中国語話者は時間を『タテ』のイメージで捉える」という実験結果を報告し、大きな話題となりました。
これもまた、「言語が思考に影響する」という説の強力な証拠のように思えます。しかし、数年後、台湾の研究者がこの説を徹底的に検証します。彼はまず、中国語の膨大な言語データを分析し、「そもそも中国語話者は、『上下』よりも『前後』という水平の表現の方が、時間を語る際に圧倒的に多く使っている」という事実を突き止めました。
さらに、彼は先行研究と全く同じ実験を4回も繰り返しましたが、ついに同じ結果を再現することはできませんでした。
ドイッチャーが伝えたかったこと
ガイ・ドイッチャーが本書を通じて本当に伝えたかったのは、単なる「面白い言語の雑学」ではないように思えます。雑学のみを伝えたいのであれば、これほどまでに、1世紀以上にわたる科学者たちの「失敗の歴史」を丁寧に描く必要はなかったでしょう。
この本は、私たちに二つ重要なことを教えてくれます。
一つは、「科学とは、間違いを乗り越え、論争を重ねながら、一歩ずつ真実に近づいていく知的冒険である」ということです。台湾の研究者が示したように、地道な言語使用の実態調査や、再現実験による徹底的な検証があって初めて、その説の信頼性が担保されます。ドイッチャーは、この健全な論争そのものも含めて、言語学という科学の面白さを伝えているのです。
この考え方は、20世紀初頭の偉大な科学者アンリ・ポアンカレが『科学と仮説』で書いた内容にも通じます。ポアンカレは、科学的真理が絶対不動のものではなく、便利な仮説の上に成り立っていることを喝破しました。つまり、科学者がすべてを信じるか、すべてを疑うかという「簡単な二分法」ではなく、仮説を注意深く調べることが大切なのです。まさに、言語相対論をめぐる論争の歴史は、ポアンカレが描いた科学の姿そのものです。
そしてもう一つは、私たち自身がいかに「常識」という名の色眼鏡で物事を見ているのかを自覚し、知的な謙虚さを持つことの大切さです。かつてホメロスの色彩表現を「奇妙だ」と感じたグラッドストンも、グーグ・イミディル語の空間表現に驚く私たちも、結局は自分の母語が当たり前とする物差しで、世界を測ってしまっているに過ぎません。
実際、中国語の時間をめぐる論文の著者も、論文の最後に、こう書き記しました。
One lesson that must be learned from this investigation and Boroditsky's is that researchers can reach erroneous conclusions when they examine a cross-language issue but do not have competent knowledge about the languages they examine.
「この調査から学ぶべき教訓は、研究者は調査対象の言語について十分な知識を持たずに異文化間の問題を検討すると、誤った結論に達しうるということだ」
日本語訳は141(いよい)によるもの
これは、言語学に限らず、知的活動をする際にぜひ意識したいことです。自分の物差しが唯一絶対ではないことを、忘れてはいけません。忘れないことで、言語学を含む学問はさらに楽しいものになるはずです。
この記事が、言語学に興味を持つきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。
お読みいただきありがとうございました。
参考文献
Chen J. Y. (2007). Do Chinese and English speakers think about time differently? Failure of replicating Boroditsky (2001). Cognition, 104(2), 427–436. https://doi.org/10.1016/j.cognition.2006.09.012
Gaby A. (2012). The Thaayorre think of Time Like They Talk of Space. Frontiers in psychology, 3, 300. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2012.00300
