38歳 社会福祉士の日記233日目「始まっちゃえば何とかなる」
○月曜日の朝は決まって次女が「学校に行きたくない」とゴネる。
私も小学生や中学生の頃は月曜日の朝がダルくて仕方がなかった。漠然とした面倒臭さに襲われていた。月曜日じゃなくても、嫌いな授業がある日の朝もダルかった。ただ、「ダルいから休もう」という発想はなかった。ダルいながらも学校に行っていた。
今の子供達は少し違うようだ。「今日は行きたくない」という想いで、本当に休んでしまう子が少なくないらしい。子供達もそうだが、休むことを許容している"親"も、一昔前と価値観が少し変わってきている気がする。
次女も「行きたくない」という理由で休んだことが1度あった。それ以外は何とか行かせている。友達が全くいないわけでもないし、いじめられているわけでもないのだが、友達とのコミュニケーションが面倒臭く感じたり、周囲にうまく溶け込めないことがあるようで、そのことを考えると嫌になるようだ。加えて、「友達は自分から作る」というより、「なんで周りの人は自分に興味を持ってくれないのか?」という考えや、「私は本来人気者であっていいはず」という考えを持っている。私から見ると、ちょっと理想が高い気がする。
他にも、給食の献立に苦手な物がある日も、登校を拒む傾向にある。「嫌いな物を食べたくない」というより、「嫌いな物があるせいで完食できないのが嫌だ」という想いや、「嫌いな物があるという自分でありたくない」という想いがあるようだ。完璧主義な部分が自分自身を苦しめてしまっている気がする。自分の理想と現実のギャップがありすぎる。
こんなことを次女に口説いても仕方がないので、何とか布団から起こして、何とか着替えさせて、食べれる量だけ朝ごはんを食べさせて、何とかバス停に連れていっている。
妻は、「たまには休ませてあげたい」と言って休ませようとすることがあるが、私としては、「休むことが常習的になったら困る」という想いがあり、何とか学校に行かせている。妻の気持ちもわからなくないし、次女が可哀想だと思うこともあるが、それよりも「ダルければ休んでいい」という考えが芽生えてしまう恐れの方が強い。
「親としても、社会福祉士という資格を持つ人間としても、もっと子供の気持ちに寄り添える寛容さが必要なのでは」、という自分への問いも湧いてくるが、なかなか難しい。
毎週月曜日の朝は葛藤から始まる。
○次女への想いを抱えながら、私も仕事がダルくて仕方がないというのが本音だ。
厳密に言えば、仕事に行く前、向かっている道中、職場で制服に着替えている時が1番ダルい。
始まってしまえば、退勤時間まではバリバリ仕事をする。嫌なことや面倒なことは、始まる前や手を付ける前が1番嫌な気分になるのであって、やり始めれば意外とやれる。次女もこのことが実感できるようになれば幾分楽になるのではないかと思う。
最近は、
・とりあえず始めてみよう
・今日以外のことはあまり考えないようにしよう
・コントロール不能なことは運命に任せよう
・完成度は低くていいから、とりあえずやってしまおう
といったことを心掛けるようにしている。まだまだ変なこだわりを追い求めることもあるが、数年前ガチガチに凝り固まった考えの自分より、今の自分の方が気楽になった気がする。
○最後に今日の1曲。KUTS DA COYOTEの「深く考えなくていいよ feat. J-REXXX」。この曲を聴くと、もっとシンプルでいいんだろうな、と思える。
