沈んだまま、漂う、そんな夜。
理不尽な出来事が身に起きたとき。
どんなふうに自分は立ち向かうだろう。
最近の私はいつも、そんな時でも、がんばり続けていた。自分がやらないと家事や育児が回らない。やらないとしかたない。がんばらないと子どもたちが泣いてしまう。
ほんとうは悲しいはずなのに。
その気持ちに蓋をし、
「またあとでね」と、
いつまでたっても向き合おうとしない。
またあとでね。
今は忙しいからね。
やることがあるからね。
挙句の果てに無視をする。
そんな扱いをされたら、そりゃ「自分」だって拗ねてしまうよね。
今日、悲しい出来事があった。
気持ちが沈んで、しばらく立ち直れないでいた。夫に話を聞いてもらって、すこしだけ気持ちが落ち着いたけれど、夜になって、いきなり立ち上がれなくなってしまった。
いつもだったら、それでもがんばろうとしたはずだけど。
今日は、もう沈んだままでいようと決めた。
沈んだまま、その気持ちの行く先を眺めていようと。
ベッドで横になっていたら、子どもたちがかわるがわる様子を見にきて、次男は鼻にチューをし、長男はほっぺにチューをした。夫は洗い物から、子どもの世話までやってくれていた。夫の方こそ疲れているだろうに。ありがとう。
沈んだ気持ちに、
「またあとでね」
と言わず、
「悲しかったよね」と、
自分の子どもに言うように、ちゃんと向き合ってみた。
悲しかったよね。
ほんとうは、こうしてほしかったよね。
と。
「悲しい」という感情にそっと触れてみると、ほろほろと、その出来事に紐づくように、あれやこれやと、「悲しかったんだよ」という出来事が浮かんでくる。
その奥底まで触れてあげないと、その気持ちは成仏されない。
表面的に撫でているだけでは、またその感情がふとした時に現れるから。
自分を大事にできなかった過去の気持ちたち。
気持ちは沈んだまま、ただよい続ける。
そんな夜を過ごすのも、たまにはいいかもしれないし、これも自分を大事にすることのひとつなのかもと思う。
さ、あたたかいお茶を飲みつつ、次はどんな気持ちがあらわれるだろう。
川底に沈む小石に手を伸ばすように、自分の感情に出会いにいく。
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