意識と信念がかけ合わさったものが、現実に現れ出る、という話。
今日の記事をひとことで言い表すと、
「意識したものが見える。信念が強ければ強いほど、それが強く現れる」
という内容になる。
初っ端から、読む人を、一気に突き放すかのような始まり方で、ついてこれる人が果たしているのだろうか…
と心配しているのだけど、どうしても書きたい。
自分の頭の中を整理したい。
深い気づきだと思うのでシェアしたい。
そんな気持ちで書いている。
どうか置いてきぼりにならずに、最後までついてきてもらえるとうれしい。
こんなエピソードから。
今日、クリーンキャンペーンが地元であった。近所のゴミ拾い活動だ。
家族4人で参加した。私は長男と2人で並んでゴミ拾いに勤しんでいた。
道の前方にも、近所の方が歩いていてゴミ拾いをされていた。けれど、ゴミを拾っている様子は見られない。ぱっと見、ほんとうにゴミが落ちていないように見受けられる。それくらいきれいな住宅街なのだ。
私はそんな中、ゴミを見つけては拾っていった。1cm程度の何かのプラスティックの破片を4つほど。
私がすごい、という話をしたいのではなくて。
見える人と、見えない人の違いは、
意識している人とそうでない人の違い、なのだと思う。
話が少し変わるが、こんなこともあった。
私はよく、森の中を散歩しているのだが、生き物や草花を見つけるのがとてもうまくなった。カエル、つくし、まつぼっくり、テントウムシ。
よくいっしょに連れていっている長男も、よく気がつく。そしてよく虫を捕まえてくる。
これも、ゴミ拾いの話と同じように感じている。
「ゴミ」に意識を当てているから見える。
私は常々、ゴミを意識しているから、ゴミに焦点を集中させることができている。
それと同じように、
「生き物や草花」に意識を当てているから見える。
何がいるか、どこにいそうか、そういうこともだんだんわかってくるようになってくる。
はじめは意識して見ようとしていたものも、今では無意識のうちに見えるようになった。
その反対で、見ようとしなければ、まったく見えないということも知っておいてほしい。
実際に、目の前にある「ゴミ」が見えない人がいる。
生き物や草花に気づけないまま、通り過ぎていく人がいる。
そこにあるのに、見ようとしなければ、見えないのだ。
そして、それは「信念」の強さが、現れ方に大きく左右しているということも実感した。
私は「ゴミが絶対に落ちているはずだ」という前提で、ゴミを探している。
だから、見つけられる。
でも、ある人は、「こんなにきれいだし、ゴミなんか落ちてないよね」という前提で、ゴミを探している。
そうすると、ゴミは見つけられない。
自分の信念や意志が、そのまま、現実に反映されていることに気づいた。
これは、紛れもない原理原則。
どんなことにおいても、応用できるだろう。
「夢」もそうだ。
夢をはっきりと具体的に意識できていて、「必ず叶えることができる」という強い信念があるとき、それは現実になる可能性が極めて高くなる。そうならざるを得ないと、今回のエピソードをとおして体感している。
見えたら何が変わるか?
気づけば何が変わるか?
そこまでは、はっきりとはまだ言語化できないけれど、そこにしか味わえないよろこびや感動があると断言できる。心の豊かさと直結しているようにも。
なんの理由もなく始めて、ずっと続いているゴミ拾いだけど、こんなに深い気づきを得られるきっかけになっている。だから、おもしろい。こんな話を延々したいなぁ。
さすがに引かれてしまうかもしれないので、今回はここまで。
興味のある方は、コメントをお寄せいただけるとたいへん喜びます。
今回のテーマに似た内容を、もうちょっと柔らかめに書いてる記事。
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