あの日の選択|選ばなかった方の道|ちび創作大賞
東京で5年間一人暮らしをした後、地元に戻り、
大阪にある輸入洋品雑貨卸の会社に就職しました。
創業8年目の若い会社で、社長は体育会系の熱血漢。
事務所は当時繊維産業の中心地だった本町船場にあり、
創業の勢いそのままに突っ走っているような会社でした。
取り扱い商品はイタリア・フランスもの。
知られたブランドではないけれども、それっぽい香りがする品で、
得意先は百貨店やお洒落なママが経営するブティックでした。
入社当初は事務所の奥の狭いスペースで、
バイトの子たちと商品の袋替えや札付けをしていましたが、
半年ほどして営業に配属されました。
そこから社長との距離が近くなり、
一緒に得意先を回ったり飲みに連れて行ってもらったり、
接待ゴルフの運転手を仰せつかったり。
また、面倒見のいい先輩がいて、ぼくを面白がってくれて、
なんだかんだと引っ張りまわされました。
この先輩との地方営業珍道中の思い出はいっぱいあります。
ママさんも「大阪から面白いコンビが来る」といって、
その日は店の顧客さんを呼んで待っていてくれました。
もちろん売り上げにも大貢献。夜は宴会です。
そんな調子で業績も順調に伸ばしていたころ、
日本はいわゆるバブル期に突入し、
ヨーロッパの高級品を扱う我々の業界は、
もろにその波をかぶることになります。
同業大手の営業マンは、
アルマーニやヴェルサーチのスーツを着て、
仕事はお客さんとスマートに遊ぶこと。
商品は飛ぶように売れるわけですから、
売場スペースの確保が至上命令です。
いかに一等地をゲットするか!
ぼくたち中小も同じで、ショーケース1台でも、
ハンガーラック1本でも多くもらうため、
ゴルフに麻雀、夜の接待、とにかく遊びのお付き合い。
マネージャーやバイヤーだけでなく、
係長から主任クラス、売場の女の子らともお食事会。
仲良くなった他社の営業やデザイナーの子たちとも、
親睦会と称して飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。
これらみんな会社の経費か、
でなければ会費は先輩がポンと出してくれる。
仕事なのか合コンなのか・・
とにかく楽しい時間が過ぎて行きました。
みんながみんな浮かれていた時代。
事業に成功した社長は不動産投資に飛びついた。
仕方ありません。やらなきゃアホ!みたいな空気があった。
そして、バブルは崩壊します。
(中略)
会社はもう倒産必至。
手の打ちようがなくなりました。
ぼくは悩みます。
このままここにいていいのか。
まだ、30代後半と若く、今ならなんとでもなる。
実際誘ってくれる会社もありました。
一方で、当時ぼくは取締役でもあったので、
ヒラとはいえ経営責任がないわけではない。
社長にここまで引き上げてもらった恩義もある。
ここで沈みかけの船から降りて、それでいいのか。
ずい分迷いましたが、
「これはオレの人生だ」「後悔したくない」
社長にはほんとうによくしてもらった。
だけどここまでだ。
それが、ぼくの『あの日の選択』
と同時に『選ばなかった方の道』が一生消えなくなった日です。
最後の話し合いを終えて別れるとき、社長がボソッとつぶやきました。
その言葉は今も忘れることができません。
そのようにして会社を辞めたのですが、
結局、誘われていた会社もお断りして、
その後の3年間を無職で過ごすことになります。
まったくなにもやる気が起きず、
愛犬と一日じゅう山道を歩いたり、海を見てぼんやりすごしたり。
ぼくが辞めた後、数年で会社は消滅します。
ぼくがいようがいまいが結果は同じだった。
だけど、いやだからこそ、最後まで残って始末をつければよかった。
たった2年かそこらのこと。なぜそうしなかったのか。
そうしていれば、けじめもつき、なんのわだかまりもなく、
気持ちよくその後を歩くことができたはずです。
長い年月が経ちました。
その社長さんとは共通の知人の葬儀で一度顔を合わせました。
短い立ち話でしたが、好きなゴルフも続けてるよとのことでした。
当時のことにも触れ、「オレも失敗したよなあ~」と笑っておられました。
今もお元気でいらっしゃるとのこと。
風の便りです。
ちび創作大賞に参加しています。
VOID_404さんのテーマ「あの日の選択」で書かせていただきました。
ちび創作大賞 共同マガジン
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