あの日の選択|東京一人暮らし|ちび創作大賞
確実に違った人生になっていただろう。
そう思う選択があります。
大学受験で1年浪人しました。
夏頃、志望校を決めるさい、
地元関西の私立を1校、東京で2校。
いずれも難関といわれる大学。
その3校に絞り込み、滑り止めはなし。
不合格なら就職しようと決めました。
結果は関西で1校、東京で1校合格。
そこで選択肢が生じました。
母は地元関西でいいでしょと言う。
中学からの友達も2人通っており、
親元で色んな意味で安全・安心ですから、
母親としては当然の心理だったと思います。
父は東京の大学を勧めました。
せっかくそんないい大学に受かったんだから、そっちへ行け。
父の頭の中には、いい大学を出て、いい会社に入って、
生涯を安定して幸せに暮らす。
そんな絵に描いたようなレールがあったのだと思います。
これも父親としてはごく普通の感覚でしょう。
ぼくはというと、
元々、東京の大学は受かるとは思ってなかった。
せっかくここまで頑張ったんだから思い出作り、
力試しのつもりが、「えっ!合格?」
突然選択肢が現れた。正直、そんな感じでした。
家族会議のような状況の中で、
にわかに現実のものとなって、じわじわと生じた
東京での一人暮らしへの憧れ。
地元の大学に行っていれば、生活もそんなに乱れず、
友人でバンド仲間でもあった連中と適当に4年間を過ごし、
地方の金融機関か商社にでも就職して、
同級生か社内恋愛で結婚して・・ みたいな。
そんな人生だったんじゃないかと今でも想像します。
東京での一人暮らしは極彩色の自由でした。
そしてタガが外れます。
元々あったアートへの関心も爆発。
折々で開催される巨匠たちの美術展に出かけ、
目の覚めるような絵画や彫刻の前で立ちつくす。
日本武道館で、2度と聴けない、
世界のトップアーティストのパフォーマンスに酔いしれる。
インドの聖賢たちの本を読みふけり、
会館にある写真などを見てタイムスリップし、
実際に会ったかのような錯覚に陥る。
そして、歌を作り、ボブ・ディランを気取り、
渋谷の路上で、横浜のパブで歌っていた。
これらは当時、
東京でしか経験できないことであり、
そこにどっぷり浸かっていました。
自分が100%自分でいた。
目標や計画なんてなかった。
ただ生きたいように生きていた。
東京渋谷に棲む青年。
それだけのものでした。
結局、大学は中退し、その後も含めて5年間。
そんな暮らしをすることになります。
母親の懸念は見事に的中し、
父親の期待を裏切り、
社会的に、人としてどうかというような生活でしたが、
このときの濃密な5年間は、
ぼくという人間の土台を作った。
それは間違いありません。
それが19歳のときの、あの選択にあるのです。
人生とは不思議なものです。
曲がりなりにも67年間、ここまでやってきて、
正しいとか間違っているとかはない。
一言で言えば、わからない。
それでいいと思っています。
ただ、選択肢は生じる。
ちび創作大賞に参加しています。
VOID_404さんのテーマ「あの日の選択」で書かせていただきました。
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