✴️貧乏人は生きることさえ許されねえのか No.126
漫画『鬼滅の刃』の一場面。
父の薬を買うため、狛治(人だった頃の猗窩座)は何度も罪を重ねた。
だが再び捕まったという知らせを聞いた父は、自ら命を絶った。
その墓前で、狛治はこう嘆く。
「貧乏人は生きることさえ許されねえのか」

この一言には、時代を超えて人々が抱えてきた不条理ややるせなさが凝縮されている。
貨幣が誕生して以来、人間社会は常に「お金」とともに歩んできた。
そして資本主義の広がりによって、そのルールは世界のほとんどを覆っている。
例外はあるにせよ、多くの国で「お金を持っているかどうか」が人生の選択肢を左右している。
もちろん、現代の日本においては「お金がないから医療を受けられない」ということは基本的にない。
生活保護や医療制度、最低限のセーフティネットは整っており、江戸時代のように「貧しさゆえに治療すらできない」という理不尽さはかなり減っている。
それでも、人は「お金」による重圧から自由になれない。
🔷資本主義の中で消えない不満
なぜだろうか?
最低限の生活は保障されているのに、人々は「もっと欲しい」「まだ足りない」という感覚から逃れられない。
他人と比べ、自分の収入や生活レベルを測り、不満や焦燥を募らせる。
これは資本主義の欠陥というより、人間の性質そのものに由来している。
「もっと良くなりたい」「より快適に生きたい」という欲望が人を前進させ、同時に心を苦しめてもいるのだ。
🔷「足りない」という感覚の正体
経済学者のガルブレイスは「満たされない欲望こそが経済を動かす」と語った。
つまり、不足感はシステムのエラーではなく、むしろエンジンだ。
現代人が感じる「お金が足りない」という不安は、必ずしも生存に直結するものではない。
多くの場合、それは「相対的な不足感」だ。
誰かと比べて、あるいは理想の自分と比べて、現状に満足できない。
そのギャップこそが、消費や努力を生み出す。
🔷どうすれば幸せに暮らせるのか
では、資本主義の中で人はどうすれば幸せに生きられるのだろうか。
大きく3つの視点が鍵になると考えている。
1️⃣比較から降りること
資本主義は常に「他人との比較」を促す。
だからこそ、自分なりの基準を持ち、他人ではなく「自分の満足」を軸に暮らすことが必要。
2️⃣お金で買える幸せと買えない幸せを切り分ける
資本主義の本質は交換である。
しかし本当に人を幸せにするのは「信頼できる人間関係」「健康」「自己成長」など、お金で直接は買えないものだ。
この部分を意識して育むだけで、満足度は大きく変わる。
3️⃣不満を創造のエネルギーに変えること
不満をなくすことは不可能だ。
だからこそ、それを消費欲求に流すのではなく、「創造」や「挑戦」につなげる。
「もっと自由な時間が欲しい」と思うなら働き方を工夫する。
「もっと健康でいたい」と思うなら生活習慣を変える。
方向づけ次第で、不満は人生を前進させる原動力になる。
🔷終わりに
「貧乏人は、生きることさえ許されねえのか」という嘆きは、現代にそのまま当てはまる言葉ではない。
少なくとも、日本社会においては「生きること」そのものは保障されている。
それでも「もっと上へ」「もっと快適に」という欲望に突き動かされ、不満を抱えて生きるのが人間だ。
資本主義はその性質を増幅させる仕組みでもあり、同時に可能性を広げる土台でもある。
あなたは資本主義の中で、不満とどう向き合い、どんな基準で幸せを選びますか?
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