わたしの本当の願いごとは?1年後こうであったら。
七夕に願いを…企画があり、とりあえず思いつくのを書いてみた。
もちろんここに書いたことは叶えたいことでもある。
だが、本当はそんな大それたことは望んでいないのかなと。
願いごと、突き詰めると
「幸せになりたい」
……とまたなんともざっくり。
もう少し深掘りする。
幸せの定義はそれぞれである。
昔の私なら
結婚して子供を育て幸せな家庭を。
なんて思っていた。
もちろんそれが違うとかも今も思わない。
実際のところ、周りで結婚して子育てしている人達を見ると幸せそうに見えるし、時々それがとてもまぶしく、わたしの中で醜い闇が出てしまうこともある。
ただ、きっとわたしの中では
結婚は結婚でも
「この人と一生添い遂げたい」
と思えないとダメだろうし、
子供を育てるにしても
「周りがいるから」
的な理由はもちろん子供に対しても失礼だろう。
結局のところは、明確なビジョンがなかった。
だって誰でもいい訳じゃない。それなりに?真面目に婚活していたからわかった。
「いい人」じゃなくて「合う人」じゃないと意味がない。
理想が高いと言われちゃうとアレだが、でも一緒に過ごす相手、選べるなら選びたい。
(少なくとも日本はそれが可能だと思う)
30過ぎても結婚出来ない、子供がいない。
世間からの風当たりは未だ強い。
世間に取り残されてしまい、置いてかれ感が強かったのだと思う。
当時のわたしの固定観念。
結婚、出産は難しくても、それ以外はみんなと同じにしないと。
日々焦っていた。必死だった。自分繕って。
でも、結局出来なかった。いつだって空回りばかり。
『変わってるね』
今でこそ、個性。
当時はちょっとした差別化されていたなと。
いつのまにかわたしは世間から少し外れた存在になった。
自分なりに必死に築き上げた人間関係もまやかしもの。
一人、また一人去っていく。
一方的に言いたいことだけ投げつけられて。
それでもそんな自分を「いいね」
って受け入れて言ってくれる人も紛れもなくいたし、離れないでいてくれる人もいた。
長年生きているのが辛い。
と思った。
大体の場合、孤独を感じるから。
「わたしは誰にも必要とされない」
そんな思いがいつもあった。
だからこそ余計に結婚や出産したい気持ちがあったのかもしれない。
一人はいいけど、独りは怖い。
なんとも矛盾する。
未だにその感情は拭えないが、最近は前より孤独を感じることが少なくなった。
誰かに誰かに……
と他人への愛を求め過ぎて、自己愛の欠如が激しかった。
自分だいきらい、けど愛して、好きになって欲しい。なんておかしな話。
けど、紛れもなくそんな気持ちはずっとあった。
少しずつだが、自分を受け入れられるようになったのかもしれない。
日々の当たり前が、当たり前じゃないを体感した。
それが休職時代。
文字通り「何も」出来なかった。ただ生きてるだけ。
けど、それでもいいんだと素直に思えた。
そこからわたしの中で何か確実に変わったのだ。
そんな難しいこと考えなくていい。
幸せとは?
きっと答えはシンプル。
今日も一日、生きててよかった。
わたしがわたしでいられてよかった。
あの人に出会えてよかった!
今日もあの人が元気でいてくれてよかった。
ご飯が美味しかった!
と些細なことかもしれないが、喜びあふれる日々でありたい。
それが一年後、
いや、自分の生涯を終えるまで。
ずっと感じていられたら。
きっと今も幸せはあるのだろう。
けど、まだよく見えないし、わからない。
この1年
幸せを感じていられる瞬間をたくさん感じていたい。
きっとそれがわたしの今の願い。
そして自分に呼びかける。
わたしはもっと幸せになっていいんだよ。
ことばとさんの企画に参加してます。
この度はありがとうございます🙏✨
おかわり投稿失礼します。
どなたでも参加出来るようなので、是非。
口にすると叶う。
一緒に願いを叶えましょう✨✨
閲覧ありがとうございます😊
スキ非常に嬉しく励みになります。
休職時代の話はこちらから読めます。
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