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「過去」と「未来」の自分への贈り物

もう、私、書かなくていいかな。


毎回文章書く度に思う。

書くのは好きだ。
ジャンル問わず思考が整理されるから。

だが、同じくらいに人様の文章を読むのも好きである。
当たり前だが、書いてると読めない。
書く時間があったら読みたいとさえ感じる。

最近熱量がこもった作品を見かけることが多くなった。私の感性にビビッときた。

多分普通なら、あ!私ももっと、書きたい!
と起爆剤になるのだろう。

私は逆だった。

あ、やっぱり、
私、もう書かなくてもいいかな。

度々わきあがる感情でもあった。

理由としてはいくつかある。

世には面白い文章があふれている。
だったら読みに徹した方がいい。
もっと心が豊かになる。

合わせて同時に込み上げるもの。

異様なまでの敗北感と喪失感、そしてかすかに嫉妬。

自分がいいなと思う文章に出会う度にやってくる禍々しい負の感情。

多分、私は自信があった。
いま振り返るとかなり恥ずかしい自惚。
アマチュアであるが、文章を10年以上書き続けている。

ひょっとして結構イケてるんじゃない、私?
とどこかで思っていた。


だが、とうとう気づいてしまった。

いや、とっくにわかっていた。
気づかないふりをしていた。
認めたくなかった。 

文章は誰でも書ける。

だが、
誰かに届く文章は書けない、書けてないのだ。

もっと率直に言えば、

努力が、そもそもの覚悟が足らない。

才能云々以前の問題だ。



認めたくない事実だった。
ガツンと一発殴られたような衝撃だった。
まがなりにも積み上げきたものが一気に崩れていくのがわかる。

苦しい。嫌だ。嫌だ。

そんな思いするなら書くのやめればいい。
趣味なんだからいいじゃないから。

けど、やめられない。

私はそんな思いまでしてどうして書くのか?
ちょっと真面目に考えてみた。




私は元来自己表現が苦手だった。

話す、おしゃべりは好きだ。
だが、自分ではあまり自覚がなかった早口で滑舌が悪い。
度々人に聞き返されることが多かった。

明確に気づいたのは社会人になってから。
自分の名前すらまともに言えてなかった。
そこからは徐々に会話するのが怖くなった。

そんな中でも声優になりたいと無謀な夢を持ち、
合わせて改善したいと声の学校にも数年通った。

結果的には声優にはなれなかったが、
前より滑舌に対しては自分で相当意識して話すようになった。大きな進歩だった。

そこで学んだことの一つに、
「自分で書いた文章を読む」
があった。

自分が書いた文章は予想外に高評価だった。
もしかしたら私は「声」より「文章」の方が向いてるのかもしれない。

ほんの少しだけそう思えた。可能性が見えた。

それからブログやSNSで文章を書き始めた。
時には創作物も書いた。
とにかく夢中で書いていた。毎日毎日。

主に自分の本音だった。
表だって言えないことばかり。
あの頃は100%他人軸で生きていた。
本音なんて言ったら嫌われてしまう。
だから言えない。

でも話したい、聞いて欲しかった。

誰に?

当時は特に考えてなかった。
自分を知らない誰かに、誰でもいいから聞いて欲しかったのだと思う。

でも本当はいたのだ。



他でもない。 私自身。


辛かった自分や苦しかった過去の自分へのメッセージ。


そして、未来への自分へのエール。

そう、

少なくともこのnoteではそうであった。

ここでは明るい話よりちょっと重たい話を書くことが多い。

以前はなるべく楽しいことばかりを書いていた。
もちろんそれが悪い訳でもない。
それが本音なら。
私の場合は無理をしていた。
キラキラした自分を見せたかった。
他者に対しての承認欲求がとにかく酷かった。
自分に自信がなかったから。
 
人に認められることでしか、自分を認められなかった。

いや、他人に認められてもまだダメだと、否定していた。
お世辞を間に受けるなと。




本音を隠して全く向き合おうとしなかった。

弱い自分は、ダメ、こっちに来ないで!!
と自分を覆い隠そうと必死に逃げて、逃げていた。

色んな要素が重なり体調を崩し、社会から少し離れることになった。休職時代。

その時はなんとなくただ生きてるだけ。
最低限生きるための活動はするが、それだけ。
まさに無気力状態。

本当にしばらく何も出来なかったが、それでも書くことはやめなかった。


やめられなかった。

書いてる自分は全てのことから解放されて、
自由だった。私らしくいられた。
生々しい感情もたくさんあった。
醜い自分、見たくない、認めたくない自分。
以前なら顔出そうと思ったらすぐに阻止しようとしたが、文字にすると幾分冷静になって見つめられるようになってきた。

どんな部分でも自分。
それでいいんだよ。

誰に受け入れられなくても
私は受け入れる。

とようやく思えるようになってきた。
脳内だけで考えたらそうはいかないだろう。

最近はよくnoteや手書きのノートを読み返す。

こんなことあったなと微笑ましく思えたり、
読んでいてちょっと苦しくなることもある。
それでも読まずにはいられない。

ああ、そうか。
答えは案外シンプルだった。

そう、私が私である為に書きたい。
残したかったのだ。


もちろん書くを仕事にしたい。
とか読んでくれた誰かを喜ばせたいとか、
そういう思いもない訳ではない。
あった方がいいに決まっている。

その域には届かない。

今は、まだ。

一番に届けたいのは「自分」だから。


今後も書き続けていくのだろう。

私の意思がそこにある限り。








華さんの自主企画コンテストに参加してます。


まさにこのテーマは書く人全員が考えさせられる
内容だと思う。深い、深すぎる。


お手本記事はこちら↓↓↓

読んだ時、私の中で何かが壊れた気がした。

衝撃だった。

それでも最後まで読まずにはいられない内容だった。

この作品を超えるって……。
超えるって!?







最初はコンテスト参加するぞ!!
と意気込んでいたが、やめようかなとも正直思った。
今の私の力量では無理だと悟った。
他の人の作品もちらほら読ませて頂いたが、圧倒的な力の差があった。
感覚的なものだが、自分の目は曇ってはいないのには自信はある。



下書きに書いてからしばらく進まなかった。

それでもやっぱり書きたい。
書かずにはいられなかった。
好きなんだよね。書くことがどうしようもなく。





一言だけでは、
到底届けられないのですが、伝えさせて下さい。

私の中で何かが確実に変わりました。
前に進める気がします。

華さん、ありがとう。


#なぜ私は書くのか


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