【エッセイ】孤独なひとへのまなざし
私は、もう締め切りまで日がないので
最後に1本創作大賞用に
何か書きたいと思っていた。
エッセイにするか。
小説にするか。
色々悩んでいたので親しい友人に
相談してみた。すると
「さちはよく孤独を書いているから、
孤独をテーマにエッセイを書いてみたら?」
と言われた
気付いていなかった。。
私は孤独な人を書いていた。
でも想えば私自身もずっと
「孤独」
だったのかもしれない
「孤独」というとたぶん誰も周りにいない
自分ひとりぼっち。のイメージではないか。
と思う
でも私は違った
いつも誰かは周りにいた
だからいつも孤独を
「背負って生きてきた」
という方が正しい
人とはうまくやろうとする
不器用なりに笑って、相手に合わせて
なるべく波風を立てないように。
だからとても人といることに
疲れていた時期がある
でも私は孤独を背負って一人で立てるほど
強くはなかった。
だからまた人を求めた。
離れたくて、近付きたくて。
そんなことを繰り返していた。
だからこそ
孤独な人の気持ちが少しだけ
分かるのかもしれない。
孤独のイメージはどうしても暗い
だからそういうイメージも嫌だ
でもどうしてもいつもそれと
隣り合わせな気がする
長女として生まれた私
姉としてしっかり育てられた。。
、、、。わけではない。
なんなら妹のほうがしっかり者
けっこう自由奔放に育った
子供の頃から周りには
友達や家族だっていた
ただいつも何かを1人で考える子供だった
人といるときは
なるべく気付かれないように
人に合わせた。
合わせれば合わせるほど
孤独は深くなっていった
気付けば、自分がどこにいるのか
分からなくなっていた。
それなのに
やめようとしなかった
どうしても
孤独と2人ぼっちは嫌だった
小、中学校はうまくやったつもりだった
高校生になると
ごまかしきれなくなっていた。
合わせることができず
学校へ行くことが嫌になった
この時だって
友達がいないわけじゃない
でもなぜか孤独を選んだ
自分でもこの気持ちは
「怠惰」だと思った
でもたぶん今思うと
違ったのかもしれない
私はずっと、自分でも名前の分からない
何かと格闘していた。
見えない霧の中を
歩いているような日々だった。
進んでいるのか
止まっているのかも分からない。
だから寂しかった。
そんな10代は何だか無気力で
何にも打ち込めなかった
10代から20代にかけては
恋愛にも向き合ってみた
少し友達と似たような感覚だった
一緒にいることは楽しいこともあったけど
どこかいつも満たされない。
これは自分だけなのか
今でもあの頃を思うと
よく分からない
あの頃はあの頃で
そんな重たい気持ちと
いつも一緒にいて
辛かったと思う
けれどどこか
もう少し早く40代の私に出逢えていたら、、
そしたらもう少しうまく若い時間を
楽しく過ごせていたのかもしれない
そんなことを思う
今だってまだ孤独を思うからこそ
どこかで孤独を描いてしまう
知っているからこそ
孤独な人へのまなざしになってしまう
どこかで自分と重ねて
どこか救いの言葉を置いたりして。
そんな風に自分を
自分の言葉で救っているのかもしれない
この孤独はきっと
自分にしか救えないんだと思う
もっと誰かに寄り添っていって
受け入れてもらって
それを繰り返しながら
もしかしたらいつか
この「孤独」から出られるのかもしれない
今はだいぶ色々なことに救われたり
自分の言葉や考え方を見つけたり
できるようになってきた
40代が遅いのか
まだ完璧ではないから
まだまだこれからも
孤独と関わっていくのかもしれません
孤独は雨によく似ている。
無理に追い払おうとすると
かえって濡れてしまう。

だから今は傘をさしながら
歩くことを覚えた。
雨が降る日もある。
晴れる日もある。
そのどちらも受け入れながら歩いている。
孤独は特別な人だけの
ものではないのかもしれない。
形は違っても、誰もがどこかで
抱えているものなのかもしれない。
だから私は今日も書く。
孤独な誰かのために。
そう思いながらも。
もしかしたら一番救いたいのは
自分自身なのかもしれない。

