逃走ばあさん
アパートの駐車場に車を入れようとバックしかけたところで、後ろから来た軽自動車に追突された。追突といっても、「コッツン」ぐらいのソフトな当たり方である。
面倒なので車から下りずに先方が来るのを待っていたが、どうした都合か相手は一向下りてこない。ミラーで見ると、運転手はばあさんだった。ばあさんはしっかりハンドルを握ったまま、こちらの車のトランク辺りをじっと凝視しているのである。
全体この人は何をしているのだろうか、あるいはぶつけたことに気付いていないのか知らと思ったら、不意に何だか車が押されているような気がした。事によるとばあさんがテンパって、アクセルを踏み込んでいるのかも知れない。それなら随分厄介だ。
急いで路肩に寄ると、ばあさんは脇目も振らずにブォーンと走り去った。何という不まじめなばあさんかと大いに呆れたが、行ってしまったものはしようがない。
車の後ろを確認したけれど、別段凹んだ所はないようだ。そもそも小傷だらけの車だったから、コツンと当たったぐらいではどれがその傷とわかるものでもないのである。それに、実は自分がバックしたせいでぶつかったようにも思われる。そうなると一方的にばあさんばかりを非難するわけにいかないだろう。だからばあさんの逃走については不問に付すことにした。
車を駐車場に入れると、大家さんが家から出て来た。それでしばらく立ち話をしていたら、何だか見覚えのある車が現れた。見ると先刻のばあさんなのである。
ばあさんは今度こそ車から下り、「あのぉ、さっきはごめんなさいね。人に会う約束があって、気が動転して……」と言い訳をし始めた。
走り去って約束した相手に会ったはいいが、当て逃げはまずい、すぐに謝って来い、と云われてどんよりしながら戻って来たものらしい。そうしてよほど脅されたのか、「ごめんなさい」と何度も繰り返しながら、とうとう財布から1万円を出した。
元々傷だらけの車であり、こちらが下がってぶつかったのかも知れないからそれはいらないと断ったけれど、ばあさんは納得しない。それではいけない、是非に受け取ってくれと尚々押し付けようとする。キリがないから結局受け取っておいた。
それでばあさんはすっきりした顔をして去って行き、「あんたは欲がないなぁ」と大家さんが感心した。
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