随筆考
作家の井上ひさし氏が、エッセイの基本は自慢話であり、鼻につく臭みをどう除くかが書き手の腕だというようなことを書かれていて、なるほどそういうものかと得心した。
文を書いて、自分はこんなに凄いことをやったと自慢したり、俺はこんなに面白いやつだとアピールしたくて、渾身のボケとツッコミを一人で演じる。そうやって自分の大きさを示す、もしくはより大きく見せようとするばかりでは、文字通り臭くなるのに違いない。
昔やっていた “ホームページ” で、ヘビメタ時代のことを時系列で書いた。それをメインコンテンツに位置付けていたが、一年経って見返すと、何でこんなものを書いたか、あまつさえ公開したかと死ぬほど恥ずかしくなって随分困った。臭みの処理を一切考えていなかったのである。
公開当初、友人らにわざわざ知らせて読ませたりしたから、いよいよバツが悪い。もうみんな忘れていることを願うばかりである。
誰に頼まれたわけでもなく、自ら文を綴って公開するという行為は、きっと自己顕示である。自分はこんな者だと知らしめたい。そこから「俺が、私が」の臭みを消そうというのは、二律背反のようでもある。
それはプロのライターでも存外できていない。むしろnoteに無料で公開するような文章なら、プロの方が気負いで自分が大きくなりがちではあるかも知れない。
もっとも、全員がエッセイのつもりで書いているとは限らないので、だったらこちらの取り決めを押し付けて、あなたは臭いから気を付けたまえ、洗濯物は外に干したまえとやったって、それは大きなお世話に違いない。だからよけいなことは云わないで、黙っているのがいい。
自分を大きくしないためには、何でもないことを題材にして描写に徹するのがいいように思うけれど、実際どうかはわからない。今書いているようなのも、また一年後に恥ずかしくなっている恐れはある。
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