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犬に追われる

 小学校の三年生ぐらいまでは犬が苦手だった。
 犬は寄って来て舐めたり咬んだりするから困る。その前ににおいを嗅いで来るのも、何を企んでいるかわからなくて気持ちが悪い。
「怖くないよ」と、周りはみんなそう云うけれど、怖いのだからしようがない。全体、怖くないよを安易に信じて、ガブリとやられたら二度と立ち直れない。

 小四の時に松岡が犬を飼い始めた。白い柴犬である。
 まだ小さくて、見た目は可愛い。だから撫でるぐらいはしてみたいが、いざとなるとやっぱり怖い。
 それで手をこまねいて見ていたら、絶対大丈夫だから抱いてみろと松岡が云い出した。
 松岡は飼い主だから大丈夫だと思っているのだろうけれど、小さいからこそ無分別にガブリと来るかも知れない。自分は嫌だと拒否していたが、どういうつもりか松岡は随分執念深く抱かせようとする。
「絶対大丈夫な抱き方を教えてあげよう」と言い出したところでとうとう根負けした。
「わかった」
 教わった通りに抱いてやると、犬は果たして咬みも舐めもしないで、腕の中でおとなしくしていた。
 急に可愛く思えてきた。
 これで犬嫌いを克服したのかどうかは覚えていないが、大凡おおよそその頃から怖くなくなったように思う。

 そうなるよりも少し前の小三の時、剣道の稽古から歩いて帰る途中で、犬が後からついて来た。茶色い仔犬だった。泥棒みたいに口の周りが黒い。
 何だこの不細工なやつは、怖いからついて来るな、と念じながらチラチラ見ていたら、やっぱり先方では「ついて来い」と云っているように解釈するようで、いよいよ間合いを詰めてきた。

「!」
 すわこそ一大事である。ついに自分は走って逃げ出した。竹刀と防具一式を背負っているものだから、甚だ走りづらくてもどかしい。
 犬は犬で何を勘違いしたか、果たして走って追って来る。
 どうも大変なことになった、このままではすぐに追い付かれるのに違いない。それでなくとも邪魔な剣道の道具を余計に疎ましく感じながら、自分はたまたま信号待ちをしていた見知らぬおばさんを犬との間に挟んだ。

 そこから犬が右へ行こうとするなら自分は左へ踏み出し、左へ行くなら右へ踏み出す。そうしておばさんに「助けてください」と言おうとしたが、恥ずかしくて言えなかった。おばさんは「あらあら」と笑い、犬も何だか楽しそうに見えた。
 その内に犬は飽きてどこかへ行った。おばさんも信号が変わって向こうへ渡った。

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