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力太郎と騒音太郎

 学生寮には浪人生もいた。黒縁眼鏡の温和な男だったと覚えているが、名前は忘れた。
 直接話すことはほとんどなかったけれど、どういうわけか山下さんが彼のことを何かと気にかけていたので、山下さんを通じて関わったことは幾度かある。

 ある時、闇夜に自転車でガードレールへ突っ込んで、ハンドルが捻じ曲がった。
 真っ暗だったので何が起きたかわからないまま推して帰り、翌朝「こんなに捻じ曲がりましたよ」と山下さんに見せたら、「これは大変だ」と彼を呼んで来た。
「これ、直せるかい?」と山下さんが言い、先方は「ええと…」とハンドルを掴んで直してくれた。直したと云っても力ずくで真っ直ぐに戻したので、それなら自分でもできる。わざわざ呼んできた意味がわからないと思ったが、黙っておいた。
「彼は力持ちなんだよ」と山下さんは感心した。
「お安い御用です」と力太郎君が言った。彼も随分、山下さんに懐いているようだった。

 自分の部屋と同じ並びに、いつも大音量で音楽を聴く者がいた。恐らく初めての一人暮らしで、自由ということを取り違えたのだろう。今ならそう分かるが、当時はそんなことは考えない。
 聴いているのは大体洋楽ロックなので何なら仲良くやれそうな感も無くはないが、どうも絶妙に好みがズレていて、何だかいつもじりじりする。それがどうかした弾みに自分の好みとドンピシャの曲を聴いている時もあり、そうなると「お前がそれ聴くな」と思って余計にじりじりする。
 この騒音太郎の隣が、力太郎君の部屋だった。
「あれはいけないね。いずれ何とか云ってやらないと」と、山下さんも苦い顔をしながら様子を見ていたが、ある日その音楽以上の大音量で、怒鳴り声が聞こえた。
「いい加減にしろ! 俺はもうすぐ受験なんだぞ!」
「……」
「おい! 何とか云えよ!」
「……ごめん。俺が悪かったよ」
 それで力太郎君はぷりぷりしながら部屋へ戻った。
 自分は騒音太郎のご尊顔をこの時初めて拝んだけれど、何だか寝起きの自分と似ているようで、随分嫌な心持ちがした。
 春になって力太郎は寮を出た。挨拶などはなかったから、いついなくなったか知らない。志望校に受かったかどうかも知らないままである。それから騒音太郎もいつの間にかいなくなった。

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