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自覚と人生

 仕事帰りに高架下の横断歩道で、知らないおじさんに出くわした。グレーの作業服を着た、胡麻塩頭のおじさんである。頭髪がもさもさしていて、あんまり清潔そうではない。自転車に乗って、ふらふら漕いでいる。何だかぶつぶつ唱えているようでもある。どうも奇妙なおじさんだから、周りの人はみんな離れているのである。
 見るとはなしに見ていたら、段々自分もあんなふうではないか知らと不安になった。今は歩いているけれど、駅から家へは自転車で帰る。その途上でふらふらぶつぶつやっている自覚はないが、それは自分で贔屓目に見ているので、他人が見ればやっぱりふらふらぶつぶつやっているのかも知れない。それなら嫌だなぁと思う。
 全体、人間は自覚がなくてやることが一番怖いので、「そんなバカなことはよせ」と誰かに注意をされたって、自覚がないから気を付けようがないのである。何だかミスをやらかして、どうしてこんなミスをしたろうかと振り返っても、自覚がないからミスをしたのである。同じミスをしないためには自覚するしかないのだけれど、それまで自覚しなかったものを向後自覚するのは、これは存外難しい。事によると、どこにどういう自覚を持つかで人の一生は随分変わるようにも思われる。

 自転車おじさんは横断歩道の先のインド料理屋を見つめながら、やっぱりふらふら漕いで、ぶつぶつ唱える。自分がどうかは置くとして、彼が妙なおじさんなのには違いない。
 そうしてもっと妙なのは、彼の顔が三毛猫なので、自分はそんなバカなことはないだろうと思うのだけれど、段々近付くと果たして三毛猫なのである。
 それでもうあんまり見ないようにしていたら、三毛おじさんがすれ違いざま、「うぇっへん」と云った。

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