「カッコーの巣の上で」-誰も鍵をかけない檻
初めて触れた『カッコーの巣の上で』
精神病院を舞台にした作品だと思っていた。しかし観劇後に残ったのは、精神病院への恐怖だけではない。
人は誰かに閉じ込められるだけではなく、自分自身でも檻を作ってしまう…と言うこと。
この作品の登場人物たちは、それぞれ異なる形の檻の中にいる。そしてラチェッドはその檻を維持し、マクマーフィーはその檻を壊そうとしている。
今回は、登場人物たちから感じたことを書いてみたい。
■ラチェッドについて
私にとってラチェッドは、観劇が進めば進むほど静かな圧力を感じ、恐怖を覚えた人物だった。
彼女は怒鳴らないし暴力も振るわない。そして病棟の誰よりも強大な力を持っている。
医師ですら彼女に逆らえず、患者たちは彼女の顔色をうかがいながら生きている。なぜ医師たちも彼女に逆らえないのか。病院全体が長年築かれた仕組みの中で動いていて、事勿れ主義が蔓延して誰もそれを変えようとしないのだろうか。
彼女は秩序を守ろうとしているように見える。しかしその秩序は患者たちを自由にするためのものではなく、むしろ病院という籠…いや、檻の中に留めておくためのものに見えた。
ミーティングという名の話し合いの場も、私には患者たちの弱さや不安をさらし、その思考や行動を抑圧する場のように映った。
抑圧は時として人から考える力を奪う。
常に冷静沈着で感情を荒げないことも、彼女の不気味さを際立たせている。
彼女自身は患者のために行動していると信じているのかもしれない。しかし私には、それが患者たちのためというよりも、自らが作り上げた秩序を維持することに重きを置いているようにしか見えない。
支配とは暴力だけではない。人の弱さや組織の沈黙を利用することでも成り立つのだと改めて感じた。
■マクマーフィーについて
彼は最初、自分のために暴れ、患者たちをもどこか見下していたように思う。
自分は期限付きで病院にいる人間であり、彼らとは違う存在だと考えていたのだろう。
しかし患者の多くが任意入院であることを知った時、彼は大きな衝撃を受けたように見えた。
彼らは出ようと思えば出られる。
なのになぜ出ていかないのか。
その疑問をきっかけに、彼は患者たちを見る目を変えていったように思う。
彼らは病院に閉じ込められているのではない。失敗への恐怖や諦めによって、自ら檻の中に身を置いているのだ。
マクマーフィーはそのことに気づき、患者たちの中にある自由や自信を引き出そうとし始める。
だから彼はラチェッドと戦った。
単なる反抗ではなく、患者たちを檻から出してやりたいという思いが生まれていったように見えた。
私から見れば、口も態度も決して褒められたものではないマクマーフィーだが、そこにいる一人ひとりが自分を取り戻し、自らの意思で生きられるよう導く存在に見えた。ある意味では、彼こそが病院内で最も「人を治そう」としていた人物だったのかもしれない。
一方でラチェッドは、患者たちを守ろうとしているようでいて、実は自らが作り上げた秩序を守ることを優先しているように見えた。私には、その姿の方がよほど危うく映った。
■チーフについて
非常に印象に残った人物だった。
父はかつて誇り高い首長だった。しかし白人社会との関わりの中で力を失っていく。その姿をチーフは見続けてきた。
その結果、いつも誰かに追われているような、誰かに何かをされるのではないか、そして、自分自身は小さな存在なのだと思い込んでしまったのではないだろうか。
聞こえないふり、話せないふりをしているのも、自分を消してしまうことで外との世界を遮断し、傷つかないようにするためだったように感じる。
彼は病院に来る以前から、社会によって存在を小さくされた人物だ。
そんな彼をマクマーフィーは対等な人間として扱う。
自分を小さくする必要はないこと、自分の意思で生きていいことを彼が教えてくれた。
だからこそ、あの結末はあまりにも悲しい。
チーフにとってマクマーフィーは、自由と尊厳を取り戻させてくれた唯一の存在だったのだと思う。
■ビリーについて
最も痛ましく感じた人物だった。
母親への恐怖、彼の自らを卑下する気持ち…そんな気持ちが自分自身を縛り続けてきたのだろう。その不安定な心が彼の吃音にも影響していたのかもしれない。
マクマーフィーがくれたキャンディとの時間によって、彼は初めて自信を持ち、自分自身を肯定できたのではないだろうか。
そして、あの時のビリーが作品の中で最も自由だったときなんだろうなと思う。
しかしラチェッドは彼の弱点を知っていた。
「母親に報告する」
その一言によって、ビリーは再び恐怖の中へ押し戻されてしまう。
ラチェッドは彼を死なせようと思っていたわけではないだろう。
しかし結果として、やっと自由を手にしかけたビリーは追い詰められてしまった。そして…
マクマーフィーが激怒した理由も理解できる。せっかくビリーが自分の手で自分を取り戻そうとしている時に、ラチェッドの言葉によってビリー自身が自分の手で全てを奪い取ったのだ。
■最後に
最後にマクマーフィーはロボトミーの犠牲となる。
あまりにも残酷な結末だ。
権力や力の前では、弱き者が勝つことはないのだろうか。
ただ、一見すれば、ラチェッドの支配が勝利したようにも見える。が、彼が患者たちに残したものは、決して消えなかったようにも思う。いや、そう願いたい。
彼らはなぜ病院にいるのか。
患者たちの多くは病院に閉じ込められているわけではない。
彼らを縛っているのは、
失敗への恐怖。
他人からの評価への恐怖。
責任への恐怖。
そうしたものなのだと思う。
ラチェッドはその檻を維持する存在。
マクマーフィーはその檻を壊そうとする存在。
そして患者たちは、その狭間で揺れている。
この物語は精神病院の中だけの話ではないように思えた。
誰かが作ったルールや空気に従い、自分の意思よりも周囲の期待を優先してしまうことは、私たちの日常にもある。
力を持つ者と持たざる者。
声を上げられる者と上げられない者。
形は違っても、私たちもまた様々な不条理の中で生きている。
だからこそ、この作品は遠い世界の話ではない。
私たちもまた、大なり小なり失敗や他人の目を恐れ、自ら檻を作って生きているのではないだろうか。
『カッコーの巣の上で』は、そんな問いを静かに、そして強烈に突きつけてくる作品だった。
