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仕事の理想を語るサードプレイスは割と必要

 メディアに所属してライター兼編集者のような働き方をしている自分は、文を書いたり記事を作ったりするのが仕事だけど、単なる作業としてもそれはかなり楽しい。

 楽しいというのは危なくて、趣味ではなく仕事なので、やりがいがあって楽しいのと、好き勝手して楽しいのとを混同してはいけない。適当にしていても楽しいので迷わず働けてしまうからこそ、自ら学ぶ姿勢を忘れてはいけないし、明確に自分の足で成長をしなくてはいけないと個人的には思う。

 でも、同僚にそれを全て強いる権利は自分にない。努力は強制されたら義務になる。他人の努力の萌芽を私の小言が摘んでしまうかもしれないなんて背負うには荷が重すぎる。そんなことを思いながら、数回同じ注意をしても根本的なミスが直らない後輩に次はどうやって指摘するべきか、言い回しを考える。

「私だったら、悔しくて一度された注意は絶対もうしないのに」

 とか思うところはある。

 でも、それは同時に自分に返ってくる。

「わたしがもっと後輩自らやる気になるように指摘ができれば同じミスは繰り返さないのではないか」

「的確に問題の本質を指摘できているのか」

 思い返してみると、今の会社に転職する前、新卒の頃はとにかく雑務なんてやりたくなかった。でも、表面的にこなすのではなく目的を理解し改善を目指して創意工夫ができたら、もっと得るものがあったかもしれないし、もっと違う世界を見れたかもしれないと今更思う。

 しかし結局自分を客観視できないと自分では気がつけなくて、自分で気がつかないと意味がない。

 そして、今も多分自分で気がついていないダメなところと伸び代はたくさんあるんだろう。

 そういうのに少しでも気がつくための方法として、個人的に最近腑に落ちたのは、「知らない人でもいいから、いろんな人の話を聞きに足を運ぶこと、耳を傾け、目を通す」ということ。読書にしろ、エピソードや教訓を聞くにしろ、悩みを相談するにしろ、他人に正解を見つけようとすると、その人にしかなれない。できる限り多くのサンプルを摂取して、理解できたり共感できたものを増やして、抽象化して、自分の中で腑に落とすしか、学習はできない。そして、自分を俯瞰するためには、過去の自分が予想していないような行動を起こして、自分の思考の振れ幅から身一つで飛び出すという方法は結構手っ取り早い。

 と気づいたのは、自分にとってのかなり“予定調和の範疇外”だった、「ツドイの編集学校」に通ったことも影響していると思う。


 学校という箱庭のおかげで、学生の頃は、学力や興味関心の方向性が近い友人をたくさん作ることができた。その環境での友人たちとの対話は、ハイコンテクストで閉鎖的だったかもしれないが、頭でっかちに人生とかを考えるのには良い時間だったと思う。そして、成り行きにしろ、教育方針の都合にしろ、同じ環境を求めて学びにきた人が集まっている環境は価値観の近い人と出会いやすいと思う。

 一方で、社会人になってみると、同じ業界や職種を志していても、会社で本当に気の合う友人を見つけることが難しい。尊敬できる先輩はいても、キャリアの悩みを同じ会社の先輩には相談しにくい。業務上知り合う全ての人はお互い利害関係の線上にいて、なかなか友人を作れる気がしない。みんな学ぶためでなく仕事のためにそこにいるからだと思う。

 でも、自分は問答の中でしか自分の考えを深めていくことができないタイプなので、仕事を取っ払って仕事について考える問答をする場が欲しかった。

 そんな感じの不完全燃焼感を燻らせていた2年前の私は、ふと目に留まった「ツドイの編集学校」という、当時第1期生を募集していた何も知らない会社が手掛けるという学校に、とにかく好奇心だけで申し込んだ。

 「ふとしたきっかけ」と書いたが、本当はミーハーすぎる「ゲスト講師として(当時特にかなりハマっていたPodcastのパーソナリティである)TaiTanさんが講義をやるらしい」というだけの理由だった。ミーハーすぎる。でもそれくらい当時の私はセレンディピティに飢えていて、とにかくフォローしている誰かの発信の先のリンクを踏みまくるのが好きだった。そうして出会った「ツドイの編集学校」のことを何も分からぬまま、10万ちょいの金額を払ってありがたくも1期生の名簿に名を連ねることになる。

 豪華な講師陣も受講生も、それまで私が生きていた世界とは0.5くらい“界隈”が違っていて、いろいろなことが未知数なことだらけだった。でも、だからこそ、社内の編集部で放牧されている自分を俯瞰するきっかけをたくさんもらった。

 どこまで講義の内容を書いていいものか分からないので具体的な話は控えようと思うが、例えば「“納品”という言葉を使わないようにしている」という講師の方のお話だけでも、無意識に書いていたメールの文面を見直す機会になった。周囲の人にやる気を出してもらう=腕まくりをしてもらうためにはどうしたらいいのか、という講義のことは、その内容だけでなく「腕まくり」という言葉自体をふとした時に思い出す。書いている私が満足するだけじゃない、周囲の力を最大限に借りた良いものを作りたいと思わせてくれた。

 変わるために必要なのは、たくさんの「矜持」のサンプルを自分の中にストックすることなのかもしれない。

 アカデミックな場が好きだ。叶わなくても理想論で仕事の話がしたい。叶わないかもしれない理想を叶えるために何ができるか語りたい。会社では全ての仕事がそうもいかないかもしれない。予算が、クライアントが、上司が、言い訳かもしれないし、不可抗力かもしれない。頑張ってもどうしようもないこともあって、諦めたり妥協することに慣れていく。折衝が上手くなるのも成長だし、意地だけで働く頭の硬い人にはなりたくない。だからこそ、会社の外に、理想を話す場所が私には必要だったと、足を運んでみて気が付いた。

 似たような立場でもがいている人たちと出会って、理想を話して、現実に打ちひしがれながらも、折れないための火を灯してもらう。そういう場が、誰にとってもあって欲しい。私にとって、「ツドイの編集学校」はそんな場所の一つになった。

 振り返って自分なりに腹落ちするのに2年かかってしまってすみません。あと約30分くらい、次回生を募集しているそうです。ツドイの編集学校のことも、代表の今井さんのこともよく知らないな〜というどこかの誰かが、自分をはみ出すきっかけになれば嬉しくて、こんな長文駄文をインターネットの海に垂れ流す。





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