芸人ごっこ 第13話 (創作大賞エンタメ原作部門)
高畑と解散した私のもとにはすぐに4人の芸人からコンビ結成の申し入れがあった。
私にコンビ結成を申し込んできたのは全員同期だった。
もうすぐプロの芸人になってから3年目になろうとしていた私は、他の期の先輩後輩から見たらただのうだつの上がらない芸人に過ぎなかったが、同期の間では養成所のときに千人舎との対抗戦に選ばれたコンビのネタを書いていたというネームバリューがまだギリギリ残っていたみたいだった。
私は解散において捨てられたほうだったのにも関わらず、選ばせてもらえる状況になったので、1人1人面談を行って誰とコンビを組むかを真剣に考えた。
コンビを組もうと誘ってくれた人の中から私が選んだのは八木君だった。
誘ってくれた同期の中で、明らかに八木君のしゃべりが1番面白かった。
八木君を選んだのは自分が不得意なしゃべりが面白いのと、もう1つ、性格が良くて人間的に好きだったからだった。
他人のネタをパクってまでのし上がろうとしていた高畑の強烈なキャラクターと表現力に惹かれて結成した前のコンビは、お互いの性格を理解し合わないまま組んでしまったため、ネタ以外の人間的な相性は良くなかった。
人間的な相性が良くなかった前のコンビが破綻をしてしまったのを踏まえて、私は性格の良い人と組んでコンビとしてちゃんと添いとげたかった。
八木君も私が複数人から誘われていたのを知っていたため、コンビの申し入れを受けるのを告げたときは満面の笑みを浮かべながら
「当然やろ」
と、強がりながら嬉しそうに言った。
我々はコンビの結成届を出す前に、事務所近くの喫茶店でコンビ名を考えた。
1時間くらい考えていたときに八木君がなにげなく言った《関東ロビン》という名前の響きを2人とも気に入って、コンビ名は《関東ロビン》になった。
事務所に結成届を出した際に、私は個人の登録名を 《伴》から《鉄男》に変えた。
昔から思っていた ばん という ん で終わる呼びづらい名前は芸人としては消滅し、その日から私は関東ロビンの鉄男になった。
我々がコンビを結成したときの立本の若手の舞台のシステムは、まず立本幼稚園という名前の立本の会議室で行われていたオーディションに属することになり、それに合格すると立本小学校という名前の小劇場で行わるバトルライブに出れるようになり、そこで勝ち上がるとラミナTheたてもとに出れるというピラミッドになっていた。
私は八木君に数日、時間をもらい、立本幼稚園に向けたネタを作った。
八木君のキャラクターを想定しながらネタを作っても上手くいかなかったので、とりあえず高畑を想定しながら作ると、なんとかネタを作ることができた。
そのネタを見た八木君は
「とりあえず、今回はオーディションまで時間がないからこれで行くけど、今後はこういうタイプの高畑とやっていたようなネタはやめてくれ」
と言った。
無事オーディションを通って、立本小学校に出れることになった我々は、再度、舞台に向けたネタ合わせをすることになったが、その日までに八木君の言った条件に合うネタができなかった。
養成所ではじめてネタを作ってから、相方とのネタ合わせまでに台本ができなかったのは、はじめての経験だった。
台本を作ることしか取り柄のない私が台本を作れなかった。
私が謝ると八木君は
「俺もネタ浮かばなかったからお互いさまや、2人でこれから作ろうや」
と言った。
八木君は私と組んだのに、自分もネタを作ろうとしていた。
私はそのことに少し感動していた。
私と組んだからには、当然、台本目当てだと思っていたけれど、八木君は本当にゼロから一緒にちゃんとコンビをやっていこうとしてくれていた。
感動はしたが、ネタ合わせでは一向によい案がでなかったので、2人で気晴らしにカラオケに行った。
その前の日にも、私と八木君と迫田君の3人でカラオケに行っていた。
私は歌はあまり上手くなかったが、迫田君と八木君は歌が上手かった。
特に迫田君は歌が上手いだけでなく、モノマネが得意だった。
モノマネ芸人がよくやる俳優やスポーツ選手のモノマネをプロに近いレベルでできるのはもちろんのこと、その日は新ネタの、誰もやってないニッチな俳優のモノマネを披露してくれて、それを見て腹を抱えて笑った。
八木君が私と2人でカラオケにいった日、前の日に迫田君が披露したニッチな俳優のモノマネを八木君が普通にできていたのを見て、他人がするモノマネまでコピーできる八木君の能力に驚かされた。
それからは八木君の提案で私が台本を書いていくのではなく、2人で会ってゼロから作るようになった。
八木君は性格が良く、ネタ合わせは楽しかったが、2人で作るネタはイマイチ突き抜けるものを作れなかった。
八木君に高畑とやっていたようなボケとツッコミのない不条理ドラマのようなネタを作るのを禁じられていたけれど、いざというときのために台本を書いておこうと思い、密かに書いていたが、やはり八木君を想定すると頭に浮かばず、なんとか書けたものも今まで書いてきたものには到底及ばないクオリティーだった。
たぶん、八木君は将来を見ていてくれたのだと思う。
私がこれまで書いてきた不条理ドラマのようなコントは、演技力こそ上がるかもしれないが、将来的に芸人としてトークのやりとりでテレビに出ていくのを見据えると、やはりボケとツッコミの瞬発力の訓練としてはもの足りなかった。
当時、東京立本と呼ばれていた立本エージェンシーの東京支部の若手芸人は漫才をやる人間は少なかったが、漫才やしっかりとしたボケとツッコミがあるコントの鍛錬をしていた者は、ネタ終わりのMCとの絡みでも安定感のある受け答えができる者が多かった。
将来を見据えてトーク力を上げたい八木君と、ただネタをやりたいだけの私、普通ならすぐ決裂してしてしまいそうだが、八木君の性格の良さと、4才年上の私を芸人以外の部分でお兄ちゃんのように慕ってくる素直さにより、2人の関係は破綻しなかった。
ラミネTheたてもとに出ていた頃は、誰も聞いてないようなインターネットラジオのゲストだったり、エキストラのような扱いだが、テレビの端に映るような仕事も回ってきていたのだが、立本小学校にしか出れなくなってからは、月に2回の新宿シアターラミエールという小劇場のバトルライブでしか我々が芸人である実感を感じられる場所はなかった。
そのバトルライブで、ピラミッドを上がるでもなく、下がるでもない日々を3ヶ月ほどくり返すうちに私は自分に異変が起きているのに気がついた。
それは、台本が全く書けなくなっていたことだった。
八木君や迫田君が出してきた原案を膨らませたり、成立させたりする構成はまだできたが、自分で書こうと思うとボケとツッコミがあるネタどころか、今まで書いてきた不条理ドラマのようなネタも全く浮かばなくなっていた。
しゃべりも上達しない、仕事もない、という中でネタが書けるという事だけを心の拠り所に芸人を続けてきた私にとって、これは自分のアイデンティティを揺るがす事態だった。
毎日、毎日、机に向かい台本を考えるが何も浮かばない日々が続き、台本が書けない私なんて芸人を続けてはいけないのではないかと思うようになっていたときに、高校の同級生から仲の良かった人間だけで集まるプチ同窓会の誘いがあった。
毎日、なにも頭に浮かばなくなって、自分の中で何が面白くて、何が面白くないのかすらわからなくなっていた私は、気晴らしに同窓会に参加することにした。
同窓会の日、私のサイフには1万円しか入ってなかった。
2次会、3次会を考えると少し心もとない金額だ。
私はパチンコに行くことにした。
この1万円を元手に、お金が増えたらそれでいいし、もしダメだったら消費者金融で 成金 になればいい。
そんな覚悟でパチンコに行くと、なんと10万円も勝つことができた。
サイフに11万円も入っているのはいつ以来だろうか。いや、成金になるときはいつも5万円しか借りないから、こんな大金がサイフに入っているのは生まれて初めてかもしれなかった。
私が立本から貰った給料の最高額は、高畑と組んでいたときに、イベント出演などがたくさん入った月の4万円だった。
私は本当の成金にでもなった気分で同窓会に参加した。
その同窓会には、細井もきていた。
久しぶりに会う細井や懐かしい顔に、私は疲れ切っていた心が癒されるような気持ちになった。
同窓会が始まると皆、それぞれの仕事で与えられている立場や収入や付き合っている彼女と結婚を考えている話などの近況報告を言い合っていた。
私は会話に入れなかった。
高校の頃はくだらない、他愛もない話で盛り上がった彼らも、もう26才の立派な社会人になっていて、その近況は確かな社会の歯車を構成する1人前の大人のものであった。
私にはそんな大人達に報告できるような近況はなかった。
近況と呼べるとしたら、先月のバトルライブの結果が20組中6位だったから、最近にしては順位がよかったことくらいだったが、26才の大人達に報告できるものではなかった。
私は 向こう側 の彼らの話をただ黙って聞いていた。
そんな私の様子を見た細井が、みんなに
「そう言えばみんな、伴君、すごいんだぜ。立本の養成所にいって選抜クラスにも選ばれたんだぜ」
と言った。
一堂の興味のなさそうな
「へぇー」
と言う声にいたたまれなくなった私は
「そんなことよりも、今日、ここにくる前にパチンコいったら10万も勝ったから、この店の会計おごるよ」
と言った。
参加しているのは7人だったから1人5千円だとしても3万5千円で済む。
皆の会話には入れなかったけど、パァーっとおごって楽しく2次会に行けばいいと思った私に、同級生の1人が
「伴君、そういうのやめようよ。みんな社会人になってお金貰っているから、ちゃんとみんなで割ろうよ」
と言った。
彼に悪気はなかった。
芸人の世界では当たり前の感覚だった、その日、金があったり、アブク銭が手に入った人間が払うというルーズな金銭感覚が一般社会とはズレていただけだった。
1人前の社会人として金銭的にルーズな事をしたくないのは普通の事だった。
私にとっての10万円は大金だったが、26才の社会人には毎月入ってくる給料の何分の1かの金額だった。
私は割り勘の5千円だけ払い、1次会で帰ることにした。
帰り際、細井が駅に向かう私に近づいてきて
「伴君、俺、応援してるから」
とだけ言って、2次会に行く向こう側の人々のもとに戻っていった。
養成所をすぐに辞めた細井は、第2新卒扱いで上場企業に就職し、なにごともなかったかのように向こう側に戻り、大人として暮らしていた。
細井は悪くない。
就職を蹴って芸人をはじめたのも、細井が逃げだしたあとも芸人を続けたのも、選択したのは自分だ。
それなのに私は細井の《俺はお笑い芸人か死かという覚悟でやるから一緒にやって欲しい》という言葉を思い出してなかなか頭から離れなかった。
一週間後、私は相方の八木君と迫田君に芸人を辞めることを伝えた。
つづく
第14話
