種無しスイカ
寡聞にしてついぞ知らなかったのだが、世に「種無しスイカ」というご大層な品種があるらしい。もとより遺伝子を弄(いじ)くっての変異種とあって、食味も今一、安全性への疑問もあるらしいが、……種子という植物の自尊心を虚勢したかかる変物を僕は好まない。
もとより今では葡萄や柿も種無しは当たり前で、直接種とは無関係ながらも、多くの果実類がテクノロジーに飼いならされ、ひたすら商品として再生産されているご時世である。
もとより、安全で美味ければ文句を言う筋合いもないが、我がままな舌をしばし引っ込めてみると、俄然詩的情緒というやつがしゃしゃり出てくる。
昔、柿などは人家のあちこちに実を付けていたものだが、たいていは渋くて食えた代物ではなく、カラス専門の甘味処と心得ていたが、あの強烈な渋味はガツンと眠れる遺伝子を呼び覚ますがごとく、何やら「野性」の一面を見せつけられた思いでもあった。
一方には……これも小学生の頃だが……近くの神社に柘榴の木があって、もぎ取って食ったところ、踊りだしたいくらい酸っぱかった印象ながら、一度だけ、野趣を含みながらも、人工の味とは別世界の味覚を味わった記憶もある。
他にも、柘榴と同じく種子という自尊心満載のアケビなんぞも、面構え尋常ならず、「食わせてやるぜ!」と言ったふてぶてしさは、人間の矮小さを思い知ることのできる自然の友であった。
あいにくと柘榴やアケビはスーパーではまずお目にかかれず、……もしかしたらどこぞの研究室に拉致され、人体ならぬ「果体」実験の果てに、野性を虚勢されているのではと思うと気が気では無い。
そう。商品として、見事人間様の奴隷としての名誉を勝ち得た果物といえば、リンゴ、梨、イチゴ、葡萄……、そんな中にあってスイカ(実は果物ではなく野菜の分類らしい)だけが、面従(甘い)腹背(種)の、野性の自尊心を保っていたはずである。
スーパーに居並ぶ商品としての果実が、追従笑い卑屈な素振りで「どうぞ、あたしらを食べて下さい」と媚を売っているのに反し、スイカのどこか鷹揚で、かつ不敵な態度には、「種も一緒に食ってみるか? 腹の中で芽をふいてやら、はっは」……まさに、一目おいてしかるべきであった。
もとより、スイカの種を食べても医学的には無害ながら、祖母などは「野性の掟」のままに、「腹から芽が……」とか「虫垂炎に……」とか……要は正しい野性との付きあい方を教えてくれたものであった。
先だって、つい立ち寄った神社の手水鉢近くの、ポンプ式井戸の下に、盥に入ったスイカがふんぞり返っていた。
無信心の身、境内の社に頭こそ垂れないが、当のスイカ散人には目礼してその場を立つにやぶさかではなかった。
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