Bob Dylan 「All the tired horses」およびアルバム「Self Portrait」について ~非英語話者の発音苦労話

 Bob Dylanの曲に「All the tired horses」(1970年に発売された「Self Portrait」というアルバムの第1曲目である。
 歌詞は2行しかなく下のとおりである。

♪All the tired horses in the sun
How'm I supposed to get any riding done? Hmm♪

Youtubeサイト:削除された時はご容赦
All the Tired Horses

 だが、もし歌詞を知らないでディクテーションをしようとしても、2行目は日本人の私が何回聴いても出来ないであろう。まあ、そんな非英語話者では追えない歌詞は他にもいくらでも例があるが、この2行目は私が見てもかなり特殊である。はじめ聞いた時、最後の語だけは、
How'm I supposed to get any riding "down" ?
に間違いないと思っていたが、歌詞を公表しているどのサイトを見ても「riding done」となっている。多分、Dylanのアルバムの公表がそうなっているのだろうが、こういう表現があるのかと不思議になった。
「get any riding done」の目的補語を解析すると
Get [ any Riding is done ]
である。「なんらかの乗馬がなされた」という状態になる、と文法的には理解される。英語話者が「Riding is done」を普通のあり得る表現とみなすのなら、「用例」がどこかにあるはずだ。と、思って検索してみたが、目下のところ用例は検索で見つかっていない。ご存知の方がいれば教えて戴きたい。
 なぜ「Down」に拘ったかというと、Eaglesのアルバム「Long Road Out Of Eden」の同名の曲の一行に、最初歌詞サイトに、
'Far away, Master sleep'
とあって、なんかおかしいが「主は眠る」という意味かなと思い、そのように歌っていたのだが、英語の先生に、それは、
'Far away and fast asleep'
が正しい、と言われた。その後、歌詞サイトを見たら訂正されていた。英語話者が主催する歌詞サイトも間違いを犯すのだと、まず自分の耳に拘ってしまった。

 日本語訳をすると、

「日の下でそこにいる馬たちは全て疲れ果てていた
私はどうやってそれに乗って(なにかを)出来るのだろう?」

 *二行目を逐語訳しておかしな日本語になっているのは承知だ。「私はどうやってそれに乗れるのだろう」とか、「私」自身も疲れているなら、「私はどうやってそれに乗って帰れるのだろう」などが本来の訳となろう。

 私がはじめ「Riding down」だと思ったのは、それで「家に向かって帰る」とか「そこを去る」という想像が出来るからである。だがDylanが選んだのは、
1行目脚韻:Sun sʌ'n
2行目脚韻:Done dʌ'n
という韻律的にはまともな語句だった。「Down ˈdaʊn」では私は同じ様に聞こえるのだが、英語話者にはそうではないだろう。確かに韻は踏めない。

 Bob Dylanというシンガーは歌詞内で執拗に脚韻を踏むことで有名である。普通の作詞家なら節(スタンザ)にしても4~5節、多くとも7~8節あれば長いと思われるが、Dylanの歌詞は10数節、多い時は20節にも及ぶ時がある。それが全て脚韻を踏んでいるのだ。一行毎に変化し、発声される詩脚(Meter)も「詩人」ならではの見事さだ。前後の文脈からここは違う語句でも良いのではないかと思っていたら、英語話者からは「Dylanは詩人だからこの言葉でないとだめだ」と言われたこともある。並んでいる語句の調子と韻律がすでに変えられないものとなっているという。さらにスタジオ録音の曲想とライブの時の曲想が全く異なる場合が多い。「同じ曲と全く同じ様に歌わない」と嘆く人もいる。「Blowin' in the window」ぐらいならまだしも、そういう曲ではライブで合唱出来ないからであろう。
 Dylanというシンガーは長い歌詞が全て頭に入っていて、かつ脚韻を絶対的に重要視するのである。ライブでは朗読のような歌唱の場合があるので、詩脚についてはそれほど重要視していないようだ。自分が詩を作った当時の記憶と思考の流れが残っているのではないかと思う。それが「天才」の所以かも知れない。
 当初、最後の発音が同じ語句を集めた辞書(脚韻辞典)を知らずに詩を書いていたようで、ある時点で「そんなものがあったのか!」と言ったという。

 さらに「How'm I supposed to get any riding done?」 の最初の詩脚部分はとにかく早口で歌われる(この曲はDylan自身は歌っておらず女性コーラスであるが)。拍子的に見ると、
[How'm I supposed to]+ [ get]+ [any]+ [ riding done?]
の詩脚に分かれる。あるいは[How'm I supposed to get] が一つかも知れない。
[How'm I supposed to ]は4分の4拍子の一節(Bar)でたったの1拍子内である。次の「get」にシンコペーションでつながり、弱い詩脚のgetが弾き出され、強い詩脚の「any」が発音される。get まで各単語は聞き分けられないほど早口で発音される。[hawmsə’pə’st’] は最初のHに強勢があり、この行の最大の強勢は[any]にある。「I」は殆ど聞こえない。「supposed」は [sə’pə’st] となりtoと重なると [sə’pə’z] になるのではないか。「ə’」と書いた発音は「Earth」の最初の母音を想定したが、弱勢となっているので同じと言えるかは知らない。

 上の段落の [sə’pə’st] などの連音の発音の表記は私の作り事であり、IPA(国際標準発音記号)などには沿っていない。不勉強の極みである。強音と弱音を聞き分けそれを表示したいが今の私には知識では成し難い。特にこの歌のように早口で発声されるときの弱音をどれで記して良いのか分からない。ものの本にはIPA、Johnes式、Gimson式と英語の発音記号規則があるが、問題のA、I、U、E、O系の「連続早口」での母音の弱音がどれで表せるのか疑問である。

 本題の歌以外の例を示すと、映画などでよく聞く早口に、
 ’Get out of here!' 「ゲラーロブヒア」と聞こえる。
 ’I'll get'em' ’I'll get them'の略。「アイル・ゲレム」と聞こえる。

 IPAにはR音性母音(R-colored vowel)[ɚ]という発音がある。「Girl」の発音である。これが限りなく弱く発音されるのが、もしかすると、そうかも知れない。しかし英語話者はその発音の構造上(つまり舌や口腔の使い方)で自然に使い分けているのである。口の動きと舌の動きが楷書体から草書体のように連続動作の簡略化が起こるのが、聞き分けられるのだろう。かつ英語話者は英語を話す各地のしゃべりかたの違い(方言とは違い、発音そのものの違い)を聞き分ける。これらの発音記号規則が英語話者の発音全てを網羅しているのかは識者に伺いたいものだ。
 英語脳を鍛えれば私にも出来るかも知れないというのは、幼少の頃に刷り込まれた発声の基盤が異なるので夢の話かもしれない。多言語に通じる人は羨ましい。
 勿論、同じようなことは日本語の早口でも起こり得るだろう。外国人の日本語の習得者の意見も聞きたいものだ。ただ、日本語の口の廻(まわ)りは英語に比べると数倍遅い。子音文化と母音文化とか言われるのだろう。そのために日本人は「簡略語」を造るのが得意だ。使う場合は日本語のセンスの問題がある。
 フルトベングラー : フルベン
 あけましておめでとう : あけおめ!

 英語では国語句の頭文字を使うことが多い。ネットでのタイピングの効率化やくだけた合いの手に使われる。
 LOL : Laugh Out Loud
 BTW : By The Way
 

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 この歌は、名声の頂点にあったDylanが周りからの「雑音」に疲れ切って作った歌という解釈が一般的である。アルバムの名前の「Self Potrait」も「これが本来の自分だ」という主張もそうかと思う。
 エレキで自分を決めつけようという人達に歌った「Like a Rolling Stone」もこのアルバムではライブで異なったメロディを入れて歌っている。サイモンとガーファンクルの「Boxer」もカバーしている。
 「Albata」は最初に歌った Leadberry のブルース調よりも、その後、他のシンガーがカントリー調で歌った楽想を使っている。

Bob Dylan - Alberta #1 (Official Audio)

 「Belle Isle」はどこかで聴いたようだが思い出せない懐かしみのある美しい曲だ。彼の作曲術は異常である。発想はイギリス民謡の「John Riley」と共通する、長く遠征していた男が恋人のところに来て、恋人の心を確かめるというバラッドなのだが、民謡特異の「なぜ、恋人が結婚を誓った男に話しかけられてもわからないのか」という謎を保っている。

Bob Dylan - Belle Isle (Official Audio)

 参考にJoan Baezの「John Riley」のサイトを紹介する。1950年代からPete SeegerやBaezなどから始まった「フォーク・ブルース」リバイバルの活動は、本来のフォルクロアや民主活動を含めたフォーク、そしてカントリー、ブルース、移民たちの持ち込んだ民謡、ゴスペルなどの要素が入っていた。それがイギリスとアメリカ合衆国で協調的に発展したのが現在の「ロック」である。
 この歌はイングランド民謡である。

Joan Baez - John Riley (Official Visualizer)

 だが、一般評とは異なり、私はDylanのような絶えず変わったことをする男が「疲れる」ことはあるのだろうか、と怪しんでいる。「Self Portrait」は「こんなことも出来るんだ」という主張であるかもしれない。私は彼のそういうところは最初から理解していたと思うので、当時の批評家が「こんなクソ」と呼んだのは愚かだと思った。Dylanの本質を知らないのか、Dylanフアンに読ませて記事で儲けるために書いたのか。この批評家は後で絶賛に回る。

 とにかく今まで英語を勉強しても私の脳は英語では回ってくれないが、韻律という概念が日本語と全く異なる英語詩を、興味をもって見ることが出来るのは中学校からの授業のお陰である。しかし今の学校教育は「いじめ」も防げない体たらくで、「個性」と「自然な才能の発露」を潰し続けている。その該当者たちにとっては絶望でしかないだろう。もう退場しつつある私には関係のないことなのだが、元気いっぱいで遊んでいる幼い子達を見ると、その将来を祈らざるを得ない。

 ともかくもこの様な事を書けるのは、残る人生の楽しみとしかいいようがない。

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