親切であることの利益
人に親切にしたり、優しく接したりするのは、結局は自分自身のためだとつくづく思うことがある。
「情けは人の為ならず」ってことわざの意味が時代とともに変遷しているなんてことを以前テレビで言っていたのを憶えている。
それによると以前は、情けを人にかけるが結局はめぐり巡って自分に返ってくるものだという意味で使っていたのだが、現在では情けをかけるなんて甘やかすだけで人のためにならないなどという意味に変わってきているとのことであった。
つまり最近は、情を人にかけるのは「そいつ」のためにならないからやめておけ!みたいな意味に変わってきているという。
なんか、世知辛い世の中を反映しているようで、ちょっと寂しい感じがした。もっと拡大解釈すれば、ますます自分のことしか考えなくていいように勧めているような気さえしてくる。
そんなことを考えていたら、ふと気づいたことがある。
普段の生活を振り返ってみると、親切にされるとその後、誰かに親切にするハードルがグンと下がっていることに気づいた。
先日、満員電車から降りようとして降りられずにいると、周囲の方々が一旦降りてくれて事なきを得た。そんな体験をした後に、人が同じような状況に遭遇している時に、自分も一旦下車して全く同じ行動をしていたりする。
なんてことはない日常の一コマではあるけれど、人間なんてそんなものだと思う。
睨まれれば睨みたくなるし(ただ、相手は単に人相や眼つきが生まれつき悪いだけだったりするから悲しい…)、怒鳴られれば怒鳴りたくなる。
特に職場でいつも怒られてばかりの人などは知らないうちに怒りが溜まっていることもあるだろうから感情のコントロールも大変だと思う。
私たちは神様仏様ではないから、嫌な人に無理に親切にできるほど立派ではないけれど、親切にされた記憶が結局は人に親切にする原動力になっているような気がしてならない。
